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2024年03月の記事は以下のとおりです。

不幸な幼年期

君は子ども時代に楽しいことはなかったのかね?

信じられないほど複雑な多面体パズルを見たある人が、作者に向かってそう言った。作者のS.コフィンは、その複雑な形状は、確かに、自分の「子どもの頃の悲しい記憶」を表していると感じたのだとか。

上記引用は、ジェリー・スローカム、ジャック・ボタマンズ共著「悪魔のパズル」芦ヶ原伸之訳(日経サイエンス社、1995年)から(p39)。

この挿話が基になり、後に創出された立体チェッカーボードパズルは「不幸な幼年期」と名付けられた。これは10個のピースが、5x5x2に組まれる。解は一つ。

この「不幸な幼年期」をつくってみようと材料を用意した。

悪魔のパズル芦ヶ原伸之(いずれもサイト内)。Unhappy Childhood|ちょいとパズルでも

迷い道

  • 2024/03/15 05:50
  • カテゴリー:音楽

目が覚めた時、現在、過去、未来、と始まる唄を思い出していた。歌っていたのは確か渡辺真知子さん。調べてみてすぐに曲名は判った。「迷い道」。

人は、過去、現在、未来、時の流れの中に生きている。過去の記憶を抱え、現在に軸足を置き未来を見据えている。これまでがそうだったから、今はこうなる、こうしよう、明日はああしようこうしたい、と。

明日のことを考えないのなら、きのうまでのことと今日のことだけ見てればいい。夜が明けてまだ続いているのなら、また、その日のことを考える。甚だ刹那的だ。中には、気楽で良いと思う人もいるけれど、多くは、先の展望を持てないことを残念がる。

その唄の後半、こんな歌詞がある、ひとつ曲がり角、ひとつ間違えて、と。

残念なことになっているのなら、どこかで間違えてしまった可能性がある。岐路に立った時もっとよく見極めていたらと思わなくもないけれど、その時その時には、自分たちがしっかり判断を下したのだ。頑固なまでに意志を通した。そのことを思い返すなら、結果として今ある無念を受け入れる辛さは、多少、和らぐかもしれない。

# 渡辺真知子「迷い道」(1977年)

県立図書館の新サービス

平日のオフの日に県立図書館をちょっと覗いてみた。今月色々新たなサービスが始まったと聞いていたのだけれど、私が利用する範囲では特に変化は感じられなかった。

閉架書庫にあるもの中心に何冊か借りて来た。

岸田国士全集13巻(小説6)「暖流」(岩波書店、1991年)、団伊玖磨著「好きな歌・嫌いな歌」(読売新聞社、1977年)、ロバート・B・チャルディーニ著「影響力の武器」(誠信書房、2007年、第2版)、完全版マーティン・ガードナー数学ゲーム全集2「ガードナーの数学娯楽」(日本評論社、2015年)

もう一冊、東浩紀著「訂正する力」を借りようと思ったのだけれど貸出中だった。

「暖流」を読んでみよう最高のパフォーマンス(いずれもサイト内)。R6.3.1~図書館システムに新しい機能が搭載!|沖縄県立図書館

失われた兵士たち

  • 2024/03/13 06:00
  • カテゴリー:読み物

一つの時代を後世の価値観で裁くことは、私たちがおちいり易い錯誤である。国家に殉じることが、最高の名誉とされた時代もあったのである。反戦を叫ぶ現代の日本人が一時代前に戦って死んだ人々よりもすぐれていることにはならない。

野呂邦暢著「失われた兵士たち-戦争文学試論」(文春学藝ライブラリー、2015年)から引用した(p26)。作者唯一の評論。

「文学論というより、一種の書誌的論考」とあとがきで記されている。「戦争文学の枠をとりはずし、ドキュメントや手記のたぐいをも紹介することで、日本人が戦った戦争とは何であったかを考えてみた」(p450)。

万葉集をぱらぱらと見ることがあって、そんな折、「現代の日本人が一時代前」どころか古代の人たちに比べても「すぐれていることにはならない」と思ったりする。この野呂の評論や戦争文学とはまったく関係のない話なのだが。

例えば、「我妹子が額に生ふる双六のこと負の牛の鞍の上の瘡」(巻16-3838)という、わけのわからない歌がある。意味不明の歌をつくれる者に褒美をとらす(或有作無所由之歌人者賜以錢帛)、その問いかけに応じて献上されたのだとか。千数百年前にそんなユニークでナンセンスな言葉遊びに興じる人たちがいた。今の人が古い人より優れているなんて決して言えない。

昭和史百冊野呂邦暢(いずれもサイト内)。万葉百科|奈良県立万葉文化館

高原列車は行く

山越え谷越え、はるばると、らんらんららーん、高原列車は、ららららん、行くよー

通りを挟んで向かいの工事現場から「高原列車は行く」が聞こえて来た。アナウンサーの声はなく懐メロばかりが続いたので、ラジオではなくCDでもかけていたのだろう。

建て替え工事は着々と進む。既に1階のコンクリート注入は済み、先週から2階部分の組み立て作業スタート。足場が組まれカバーが掛けられた。昨年に取り壊されて以来、南西の向きにあたる向こう側が見えていたのだが、これで眺望は利かなくなった。それはわかっていたことなので、この5か月ほどは、それこそ「山越え谷越え」、できるだけ遠い先を見るようにしていたのだった。

那覇の花火、23年10月(サイト内)。岡本敦郎「高原列車は行く」(1954年)

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