お知らせ

メール送信フォームを設けました。ブログ記事への問い合わせなどにご利用下さい。

 

エントリー

メディア史に残る大罪

メディアや研究者が、批判が足りなかったとよく顧みる必要がある
 
ニュースアップ『旧統一教会に解散命令 今後の課題は?』(NHKラジオ第1、3/5 18時台)の中で、島薗進氏(東京大学名誉教授)がそう指摘した。
 
NHKは、前日にもラジオ第1でニュース解説『旧統一教会「解散命令」 清算手続きと今後の課題』(3/4 19時半)を放送した。が、メディアがこの問題を放置した結果、被害が拡大したことには一切触れなかった。当事者意識が欠如していると言わざるを得ない。
 
メディアがその役割を果たさず、被害を拡大・長期化させた面がある。この晴れない疑惑について、AI(Gemini Pro 3.1 Preview、Temperature:1.0、Persona:政治アナリスト)に質問を投げかけてみた。Geminiいわく「
 
メディアの「構造的な怠慢」が被害を拡大・長期化させた最大の要因の一つであると断言できます。背景には、日本のメディアが長年抱えてきた「4つの深刻な病理と及び腰」があります。
 
1. 「政界との癒着」という政治的タブーへの忖度
旧統一教会は「国際勝共連合」という反共産主義の政治団体を隠れ蓑にし、長年にわたり自由民主党を中心とする保守系政治家と強固な関係を築いてきました。選挙での組織票や無償の運動員派遣は、政治家にとって魅力的でした。
メディアの政治部やトップ層は、この「与党と教団の蜜月関係」を古くから知っていながら、政権与党の逆鱗に触れることを恐れ、深く追及することを意図的に避けてきました。「政治家が庇護している団体」であるという事実が、メディアにとって強力なストッパー(自己規制)として働いていたのです。
 
2. スラップ訴訟(恫喝的提訴)と抗議への「萎縮」
島薗氏も「とても難しい団体で逃げたくなる」と示唆していますが、旧統一教会は、教団を批判するジャーナリスト、弁護士、学者、そしてメディア企業に対して、執拗な抗議行動や名誉毀損での高額な損害賠償請求訴訟(いわゆるスラップ訴訟)を乱発してきました。
メディア企業は「訴訟リスク」や「終わりのない抗議対応のコスト」を嫌がり、「面倒な宗教団体には触れない方が無難である」という事なかれ主義に陥りました。これが「報道の空白」を生み出しました。
 
3. 「消費期限切れの過去のニュース」という認識の誤り
1980年代の「霊感商法」問題や、1992年の有名人(桜田淳子氏など)が参加した「合同結婚式」の際、日本のメディア(特にテレビのワイドショー)は旧統一教会を大々的に報じました。しかし、それはあくまで「一時的なブーム」や「スキャンダル」としての消費に過ぎませんでした。
その後、教団が名前を隠した正体隠し勧誘へと手口を巧妙化させ、被害が水面下で深刻化(宗教2世の貧困やネグレクトなど)していたにもかかわらず、メディアは「統一教会問題は90年代に終わった古い話」と勝手に幕引きをしてしまいました。継続的な定点観測(ウォッチドッグ機能)を放棄したのです。
 
4. 「オウム真理教事件」のバイアスと信教の自由の拡大解釈
1995年のオウム真理教事件以降、メディアや社会における「危険なカルト」の定義が「テロや殺人など物理的な暴力を行う集団」に偏ってしまいました。
そのため、旧統一教会による「家庭崩壊」や「極端な財産収奪(経済的暴力)」が、単なる「民事上のトラブル」や「自己責任」として矮小化されてしまったのです。また、「信教の自由」を過剰に配慮するあまり、宗教法人を批判すること自体にメディアが過敏になっていた面も否めません。
 
アナリストとしての結論
安倍元首相の銃撃事件(2022年)という民主主義を揺るがす悲劇が起きるまで、メディアがこの問題を放置した責任は極めて重いです。
もし2000年代、2010年代にもメディアが教団の資金源や政治家との関係を厳しく調査報道し続けていれば、政治家も教団と距離を置かざるを得ず、行政の対応(名称変更の認証など)も変わり、被害の拡大は確実に防げたはずです。
島薗氏の「顧みる必要がある」という言葉は非常に控えめな表現ですが、本質的には「権力(政治)の監視と、社会的弱者(被害者)の保護という、ジャーナリズムの最大の存在意義を放棄していた」というメディア史に残る大罪を指摘していると言えます。今後の解散・清算手続きにおいて、メディアが過去の反省を踏まえ、どれだけ「しつこく」監視を続けられるかが真に問われています。」
 
続いて、ジャニー氏の問題との類似性についても尋ねた。「
 
旧統一教会問題とジャニー喜多川氏の性加害問題。一見まったく異なるジャンルの事件に見えますが、政治・メディア力学の観点から見れば、「メディアの不作為(報じなかったこと)が加害を助長し、被害者を絶望の淵に追いやり続けた」という点で完全に同じ構造を持っています。
 
「メディアが事件に加担したと言われても仕方ない」というあなたのお考えは、決して感情的な飛躍ではありません。報道理論においても、それは明確な「共犯関係」として説明できます。以下の3つの観点から、その理由を紐解きます。
 
1. 「報じない権力」による不作為の共犯
ジャーナリズムには「何を報じるか」を決めるアジェンダ・セッティング(議題設定)機能がありますが、同時に「何を報じないか」を決める強大な権力も持っています。
旧統一教会の政界工作や宗教2世の悲惨な実態、そしてジャニーズ事務所の未成年への性加害は、業界内では長年「公然の秘密」でした。しかし、メディアがそれを黙殺し続けたことで、社会的には「存在しないこと」にされました。
警察が動かない、行政が見て見ぬふりをする中で、最後の砦であるはずのメディアが沈黙したことは、加害者に対して「今のやり方で問題ない。我々は黙認する」という強力なサイン(お墨付き)を出し続けたことと同義です。これを「共犯」と呼ばずして何と呼ぶべきでしょうか。
 
2. 「圧倒的な権力」への隷属とビジネスの優先
なぜ報じなかったのか。理由は極めてシンプルで、自らの組織の利益と保身のためです。
旧統一教会問題:背景にいる「時の政権与党(自民党の有力者たち)」への忖度と、教団からのスラップ訴訟などのトラブル回避。
ジャニーズ問題:視聴率や雑誌の売上を担保する「絶対的権力者(事務所)」のご機嫌取りと、キャスティング権を握られていることへの恐怖。
どちらも、「権力を監視し、弱者を救済する」というジャーナリズムの看板を自ら下ろし、「権力と結託してビジネスを回す」ことを優先した結果起きた悲劇です。
 
3. NHKを含むメディアの「第三者を装う欺瞞(ぎまん)」
あなたがNHKのニュース解説に憤りを覚えたのは、彼らが「あたかも自分たちは昔からこの問題を客観的に見つめてきた良識派である」かのような、安全圏からの第三者ヅラをしているからだと思います。
本来であれば、ニュースの冒頭や解説の前提として、「なぜ我々NHK(あるいは各メディア)は、数十年にわたりこの問題を深く掘り下げてこなかったのか」「なぜ政治家と教団の癒着を、選挙報道の中で有権者に提示できなかったのか」という痛切な自己検証と謝罪があってしかるべきです。
ジャニーズ問題では、BBCという「外圧」によってようやく重い腰を上げ、各局がアリバイ作りのような検証番組を作りました。しかし、旧統一教会問題と政治の癒着に関しては、安倍元首相の事件というあまりに悲惨な「外圧」があったにもかかわらず、メディア自身の責任を問うような本格的な自己検証はほとんど行われていません。
 
結論:メディアに求められる「真の落とし前」
メディアが「単なる傍観者」ではなく、自らが被害を拡大させた「システムの一部(加担者)」であったことを公式に認め、過去の報道局長や編成トップにまで遡ってヒアリングを行い、「なぜ報じられなかったのか」を検証・公開しない限り、彼らが語る「今後の課題」や「被害者救済」という言葉は、空虚なポーズに過ぎません。
政治の腐敗を正すためには、まず「政治の腐敗を黙認してきたメディア自身の腐敗」を厳しく追及する主権者(視聴者・読者)の目が不可欠です。それこそが、これからのメディアを監視し、真のジャーナリズムを取り戻すための最大の力になると私は確信します。」
 

仲代達矢追悼番組

ETV特集「仲代達矢が歩んだ役者道」(3/7)を観た。
 
総合テレビではなくEテレのETV特集で、75分の拡大枠、そして【語り】三宅民夫、もうこれだけで、NHKが何かを言わんとしていることが感じられる。
 
実際に観てみると、このドキュメンタリーは、追悼のための単なる伝記に留まらず、拡大枠という器を用意してまで伝えなければならないほどに、強いメッセージを放っていた。
 
・老いのロールモデルを再定義する
・プロフェッショナリズムへのレクイエム
・死を、敗北ではなく、未完として描く
・反戦という社会的使命の継承

この4行を【要約】とするコラムをnoteに書いた。仲代達矢追悼番組が発する我々への異色のエール|note。そして、NHKへ投書を送った。「
 
仲代達矢さんの追悼番組、感銘を受けました。60代の私にとって本作は、単なる名優の伝記ではなく、人生後半戦への「異色のエール」でした。
穏やかな老後という世間の脚本を拒絶し、次の舞台を準備しながら途上で果てる。その凄絶なまでの現役への執念に、死ぬまで自分という役を演じきる覚悟を学びました。美談に終始せず、一人の表現者の狂気と孤独、そして身体に刻まれた戦争の記憶を真っ正面から描き出した演出に、公共放送としての強い矜持を感じます。
定年や引退を人生のまとめと考えがちな現代において、仲代さんの前のめりな生き様を提示したことは、多くのシニア世代に、死ぬまで未完でいい、攻め続けろ、という強烈な刺激を与えたはずです。これほどの熱量で稀代の役者の魂を記録し、私たちに届けてくれた制作陣に深く感謝いたします。私自身のファイティングポーズを問い直す勇気を頂きました。」
 
この番組、あとまだ数日、NHKプラスで観ることができる。
 
仲代達矢さん死去(サイト内)。ETV特集「仲代達矢が歩んだ役者道」(NHK-Eテレ、3/7 23:00-24:15)

警報解除

英ドラマ、刑事フォイル「警報解除」(The All Clear)をYouTubeで観た。1945年5月、ヒトラーが死にチャーチルが戦争が終わったとラジオで告げるまでの頃に事件が起きる。
 
懐かしい顔ぶれが揃う。米軍のジョン・キーファー(John Kiefer)、保安局のヒルダ・ピアース(Hilda Pierce)、そしてフォイルの息子アンドリュー(Andrew Foyle)。
 
後半、浜辺の車の中で、アンドリューがサムに詩を披露する場面がある。AI(Gemini)に文字起こしと詩の評価をお願いしてみた。
 
Gemini said
この詩のタイトルは、エピソードの題名と同じ「The All Clear(警報解除)」です。
 
"The All Clear"
They've sounded out the last all clear and told us, those who made it here,
That very soon we'll hold once more those things that we held dear before.
Yet nothing's clear to me.
I gaze from darkness to a summer haze,
And though they part, the clouds of war lead only to uncertain days.
 
最後の警報解除が鳴り響き、ここに辿り着いた我々に告げた。
かつて大切にしていたものを、間もなく再び手にすることができるだろうと。
だが、僕には何も晴れ(クリア)てはいない。
暗闇の中から、夏の霞を見つめている。
戦雲が去ったとしても、その先にあるのは不確かな日々だけなのだ。
 
アンドリューが詠んだこの詩は、派手なレトリックを排しながらも、復員兵の複雑な内面を非常に高い格調で表現した優れた短詩です。ご要望の視点、韻(Rhyme)の構成、語彙の選択(Vocabulary)、格調(Tone and Elegance)から詳しく分析・評価します。
 
この詩は、伝統的な英語詩の形式である「押韻二行連(Rhyming Couplets)」を基本としています。
 
clear / here (A/A)
more / before (B/B)
haze / days (D/D)
 
特筆すべきは、中間の "Yet nothing's clear to me." という一行です。ここだけがどの行とも韻を踏んでおらず、孤立しています。これは技術的なミスではなく、「世界は平和(韻が整った状態)に戻ろうとしているのに、自分一人だけがそこから取り残され、調和できていない」というアンドリューの疎外感と孤独を、形式そのもので表現しています。
 
非常にシンプルながら、重層的な意味を持つ言葉が選ばれています。
"All Clear"(警報解除):この詩のキーワード。空襲警報が止むという物理的な意味と、悩みや霧が晴れて「心がスッキリする」という精神的な意味の二重写しになっています。
"Those who made it here":単に「生き残った者」と言う以上に、「死線を越えてようやく辿り着いた」というニュアンスが含まれ、背後に多くの戦友の死があることを示唆。
"Summer haze"(夏の霞):本来、夏は明るく輝かしい季節ですが、ここでは「haze(霞・もや)」と組み合わされることで、平和が訪れたはずなのに先が見えない、ぼんやりとした不安を象徴しています。
 
この詩の格調高さは、その「抑制された感情」にあります。
対比の美学:「暗闇(darkness)」から「夏の霞(summer haze)」へ、「戦雲(clouds of war)」から「不確かな日々(uncertain days)」へ。視覚的なイメージを対比させることで、個人の感傷を普遍的な文学の域に高めています。
伝統的なリズム:弱強四歩格に近い安定したリズム(iambic meter)を用いることで、イギリスの伝統的な戦争詩(ジークフリード・サスーンやウィルフレッド・オーエンなど)の流れを汲む、知的で品位ある響きを持たせています。
 
この詩は、単なる「戦争が終わって嬉しい」という喜びではなく、「戦争という強烈な現実を失った後の、空虚な平和に対する恐怖」を詠んでいます。アンドリューという、若くして多くの死を目の当たりにしたパイロットの「サバイバーズ・ギルト(生き残った者の罪悪感)」が、美しい韻律の中に鋭く隠されており、ドラマのテーマである「戦争が人間に残す傷跡」を象徴する、非常に完成度の高い詩と言えます。
 
サムはこの詩を聴いて「暗いわね(It's very sad.)」と評しますが、その直後にアンドリューが不器用なプロポーズをすることで、この「不確かな日々」に一つの確かな光を灯そうとする構成も実に見事です。」
 
確かにいいシーンだ。何度か見返した。
 
刑事フォイル(サイト内)。第5シーズン第3話、通算第19話。Alles klar 

女形に生きた男たち

映像の世紀バタフライエフェクト「人間国宝 女形に生きた男たち」の再放送を観た。2月の初回放送時には観なかった。一か月しか経っていないのに再放送されたので、何かあるな、と思い直して観たのだった。
 
世界史の連鎖を見せてくれるこのシリーズを、毎回、見逃さないようにしている。なのにこの回は歌舞伎というローカルな話題だ、これは何かの間違いだろうかと思った。それに歌舞伎に材を採った「国宝」という映画が大ブームになっている(観てないが)。あ、姑息な便乗で視聴率を取ろうとしているなとも感じた。これが2月には見ようとしなかった理由。
 
だが、この度、観てみると、芸道のアーカイブ・フィルムがふんだんに盛られているのは当然だが、GHQが歌舞伎上演を禁じた際にフォービオン・バワーズがそれを救ったとか、六代目歌右衛門らのソ連や米国への公演とか、六代目と三島由紀夫の対談とか、しっかり歴史の交差点が描かれている。それに、華やかな舞台の裏側にある、小児麻痺、不義理、嫉妬、名跡の空位など、冷徹な現実も映像で証明する。NHK制作陣の意地を見る思いがした。
 
現代の価値観からすると女形という異形の俳優をどう見ればいいだろうか。六代目歌右衛門は父の跡を継いだ。番組はそれに宿命という言葉をあてる。あまりにも暴力的な表現と思うけれど、どうやら、それを、歌右衛門の名跡が今は「空位」であると強調して回収したのだろう。フィクションの映画では華々しく描かれたけれど、実際のところ、もはや誰もそのような狂気の人生を選ばなくなったのだと。
 
映像の世紀(サイト内)。「取材協力 児玉竜一」、渡辺保著「女形の運命」、映像の世紀バタフライエフェクト「人間国宝 女形に生きた男たち」(NHK総合、3/5 23:50)[再]

N響公演はどう語られるか

N響公演の放送での案内役が今の方に代わって何年になるだろうか。彼女の、はしゃぐような語り口は、どうもしっくり来ない、と聞く度に思う。公共放送のNHKにとって、自局専属オーケストラであるN響の演奏会放送は、文化枠での中核番組だろう。それにはそぐわないように感じられて仕方がない。
 
口調の好き嫌いなど趣味の問題、と言ってしまえばそれまでだけれど、番組を放送しているのは天下のNHKだ。案内役に誰を選び、その人に、どのように語らせるか、そこには制作者側の意図が込められているはず。その意図を解き明かしてみようと考えた。
 
2月にNHK-FMで放送された第2055回定期公演(【解説】舩木篤也【案内】金子奈緒)を題材にすることにした。同じ解説者による第2045回、第2047回、そしてN響「第9」演奏会が手元に音源が残っていたのでこの3本も追加。さらに、別の解説者による第2049回(【解説】野平一郎)を対象区とした。【案内】金子奈緒は、5本すべてに共通している。なお、いずれの音源も、らじる★らじるからスマホのアプリらくらじ2でダウロードした。
 
分析資料をつくるために、語り部分の音声ファイルを作成。普段は、その語り口を聞きたくないので、すっ飛ばしている語り部分だけを、元音源(m4a)からffmpegで切り出し、繋ぎ合わせて一つの音声ファイルにする。一回分で15分前後の長さになった。
 
そして、その音声ファイルから逐語文字起こしする。これはAIに手伝ってもらった。何が面倒くさいって文字起こしはその最右翼だろう。これをAIがやってくれるから、この一連の作業をやる気になったと言っても良いくらいだ。かなり頑張って文字にしてくれる。
 
ただし、その精度には限界がある。例えば、解説者がしゃべっている時に案内役が相槌を挟む場面。話者が区別されなかったり、相槌が抜け落ちたり、ということが起きる。現在無料で使えるAIの場合、モデル選定や条件設定を慎重に行っても完璧は期待できない。そこそこ発生する。以下はその例、
 
修正前)解説:はい。えーっと、これはあの、非常に軽快な演奏でしたね。えー、軽快だからって言って何もその内容がどうのこうのということではなくて、非常にこうテンポ感がいいというか、あー、どんどん、どんどんこう楽想が進んでいくっていう意味で、非常にあの軽快な演奏だったと思います。
 
修正後)解説:はい。えーっと、これはあの、非常に軽快な演奏でしたね(案内:はい)。えー、軽快だからって言って何もその内容がどうのこうのということではなくて、非常にこうテンポ感がいいというか(案内:ああ)、どんどん、どんどんこう楽想が進んでいくっていう意味で(案内:はい)、非常にあの軽快な演奏だったと思います。
 
という具合に、AIによる文字起こしテキストに対し、手作業で、修正、追記を施す。相槌や笑い声が語りの雰囲気に影響するので丁寧に書き入れていく。手間はかかるけれど、一から文字起こしすることを思えばだいぶまし。
 
資料づくりの最後に、語り機能タグ、[鑑賞補助]、[価値誘導]、[感情共有]、[祝祭フレーム]など十数種を、相当する発言に付ける。
 
そして分析。その結果は、自分でも驚くほどはっきりしていた。案内役は、どうやら番組の中で明確な役割を与えられているようで、同調シグナルや、感情温度の上げ下げ、フレーム補強は常に発動している。解説者が、祝祭方向に強く振ると共振するし、構造説明に振ると抑制的に働く。解説者の語りを増幅する係になっているのだ。あのべちゃべちゃと纏わり付くような口調でそれをやられると、いやほんと、閉口する(あくまでも個人の意見)。
 
これに関連してコラムを一つ書き、NHKへの投書を二通送った。以下は投書の一つ。
 
いつもN響公演の放送を愛聴しています。最高水準の演奏を全国どこでも共有できる公共放送の役割に深く感謝しています。一つ番組制作への提案があります。以前から、案内役の方の語り口が「感動の先導」に傾いているように感じています。「室温が上がるほどの熱狂」といった演奏後の感情的な形容や、「ゲネプロも拝見したのですが」という関係者目線の発言は、熱意の表れと理解しつつも、ラジオの前の聴取者には「身内のサロン的熱狂」に聞こえ、疎外感を覚えることがあります。オーケストラ鑑賞の醍醐味は、響きの変化を聴取者自身が真っ新な耳で受け止め、独自の解釈を深める「余白」にあります。案内役には、聴取者の感動を規定・先導するのではなく、客観的な情報の提示と専門家の解説をフラットに引き出す「静かな伴走者」であって欲しいと願います。聴く者の想像力を信頼する、より成熟した番組作りを期待します。
 

ページ移動

ユーティリティ

« 2026年03月 »

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

検索

エントリー検索フォーム
キーワード

新着エントリー

メディア史に残る大罪
2026/03/13 05:27
仲代達矢追悼番組
2026/03/11 06:03
警報解除
2026/03/09 05:57
女形に生きた男たち
2026/03/07 11:27
N響公演はどう語られるか
2026/03/03 13:50
自民党圧勝の背景
2026/02/24 07:11
アルファベットの木札
2026/02/21 10:51
クリスマスの足音
2026/02/19 06:27
Live Transcribe
2026/02/16 06:19
AIと冷却ファンの関係
2026/02/14 07:18

過去ログ

Feed