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真髄を掴み取る

理屈にもいい理屈がある
 
日本画家、小倉遊亀がそう言う。おとなのEテレタイムマシン、土曜美の朝「日本画家 小倉遊亀」(NHK-Eテレ、1/13 22:45)から。元は、1994/2/5放送。
 
創作において、理論や頭で考えたこと、つまり理屈、を否定するのではなく、それは対象の真実を捉えるための道しるべとなるべきだ、と説いているのだろう。紅梅の赤い色について語る場面があった。闇雲に眺めるのではなく、なぜその色が美しいのかという道理を追求せよと言っているように聞こえた。
 
同じ1秒を、2秒にも3秒にも見ることができるという働きがある
 
これは、安野光雅の言葉。同じく、おとなのEテレタイムマシン。訪問インタビュー「安野光雅」(4)絵の道ひとすじ一直線(NHK-Eテレ、1/17 22:00)から。元々1984/8/2に放送されたもの。
 
本シリーズの(1)旅のスケッチ 函館、(2)北海道・大沼、(3)空想工房の日々、では割と遠近法など理論の話が多いように思った。続くこの第4回で、カメレオンや天井の蝿の視点から、新たな物の見方について話は展開して行く。同じものを観ているのに、時間の伸び縮みを感じられる、そのことにこそ絵描きや作家の「存在意義」があるのでは、と。
 
対象の本質を掴み取り、必然性を探り当てようとする深い洞察、とでも言えばいいのだろうか。お二人の絵を描く際の本質的な姿勢を見る思いがして、しばし考えに耽った。
 
美の幾何学(サイト内)。小倉遊亀(1895-2000)、安野光雅(1926-2020)

不破哲三氏死去

え、と驚く一本があった。産経新聞の社説が、日本共産党の不破哲三元委員長が亡くなったことを採り上げている。この一週間、在京六紙の社説は、首相が衆院解散を伝達、立民と公明が中道新党、日韓首脳会談、など各紙が揃って書いて賑わった。そんな中、今回は、産経新聞のこの一本を読み解いてみよう。その社説のタイトルは、「不破哲三氏死去 時代を見ぬ革命家だった」(1/13付け)。
 
産経新聞のこの社説には、同紙の右派保守としての鮮明な編集方針と、日本共産党に対する長年の批判的スタンスが強く反映されている。これは、一政党指導者への、単なる、追悼文ではない。
 
産経新聞は、皇室を日本の伝統・文化の中心として極めて重視する論陣を張っている。この社説内で不破氏による綱領改定を「戦術的擬態」「憲法秩序への挑戦」と厳しく批判している中には、共産党がかつて掲げた「君主制の廃止」という本音を見逃さないという、同紙の強い警戒感を見て取れる。
 
不破氏は、長年に渡り、日本共産党の知の巨人として君臨し、同党の路線の決定権を握って来た。産経新聞は、その不破氏の死を単なる個人の死去ではなく、戦後共産党の一時代を築いた象徴の終焉と捉えている。同紙にとって、保守主義の対極にある共産主義の象徴を総括することは、自らの言論のアイデンティティを確認する作業でもある。
 
産経新聞は、防衛力の強化や日米同盟の堅持を強く支持する。社説の中で、不破氏が「中国の脅威」に対処するための現実的な防衛政策転換を行わなかったと非難するのは、日本の安全保障環境が悪化する中で、共産党を、現実を直視できない存在と見なしているからだ。
 
産経新聞の読者は、共産主義や左派勢力の動向に対して厳しい監視の目を向ける保守的な層が多くを占めている。他紙が不破氏の功績を淡々と報じる一方で、あえて「時代を見ぬ革命家」と断じる辛辣な評価を掲載することは、読者の期待に応え、保守メディアとしての存在感を示す狙いがある。
 
という具合に、産経新聞は、不破氏を日本の伝統的秩序を脅かす思想の象徴と位置付け、もはやその思想が時代に適合していないと強く主張している。そうすることによって、共産主義の時代の終わりを宣言し、同紙の読者層である保守層の価値観を代弁する。右寄り高市政権への高い支持率や、隣国の脅威による安保意識の高まりという今の日本の空気が、同紙にこの社説を書く勇気を与えたに違いない。
 
しかし、どんなものだろうか。訃報に接して、「時代に取り残された」と書く姿勢は、言論機関としての品位に欠ける。その言説は、死者への礼節を欠いた不当なバッシングだし、同時に、右傾化する日本社会を象徴する不寛容さの表れだ。
 
とても危険なニオいがする。
 

HDMIケーブル、MB-B503E

Arch Linuxを載せたMB-B503E(マウスコンピューター製)をメインで使うようになり、これに、当家に一台だけある外部ディスプレイ(LG製E2240V)を繋ぐことにした。
 
このディスプレイ、Windows機で使っていた頃にも画面が消えることが、時々、あった。今回のMB-B503Eの場合には明らかにその頻度が上がった。消えるのは1秒かそれ以下の短い時間なのだが、それが数秒おきに連発するようになった。動画を観ている際などにその症状が出るとイライラする。
 
おそらくHDMIケーブル(のプラグ)に問題があり接触不良を起こしているのだろう。症状が頻発するようになって、なんとかしようと考えた。接点活性剤を試してみるか、などと。
 
たまたま、ダイソーに行った折に、HDMIケーブルが300円であったので買って来た。プレミアムHDMIケーブル、1.5mスリムケーブル、4K/60Hz、とパッケージにある。QRコードが添えられており、アクセスしてみると、HDMI.orgのサイトで認証を受けていることが判る。
 
新しいケーブルに替えてみると問題は、あっさり解消した。ディスプレイE2240Vは2010年製。規格はフルHDMI(1920x1080)。4K対応のプレミアムケーブルで支障ないようだ。いわゆるアッパーコンパチブル(upper compatible)というやつだな。
 

シンギュラリティ

未来学者は、2040年には自律したAIが指数関数的に知能を向上させるシンギュラリティ(技術的特異点)が到来すると予測しています。
 
と、橘玲氏がコラム、「テクノロジーの「加速」はもう止められない」の中で書いている。
 
シンギュラリティ(singularity)の到来は、当初、2045年と言われていた。が、近年の生成AIの急速な進化により、それは早まると予測されている。2040年どころか、2030年前後だと唱える人も少なからずいるようだ。
 
シンギュラリティに到達するといったいどんな世界になるのだろう。楽観的に見れば、人間が労働や生活の苦しみから解放され、純粋に生を享受するユートピア。はたまた悲観的に見れば、人間がAIに管理され、あるいは邪険にされるディストピア。いずれにせよ、人間が世界の中心にいて全てをコントロールする、そんな時代を懐かしむような世界になるわけだ。
 
橘氏が書くように「もう止められない」。シンギュラリティへと向かって行く。さあどんなことになるだろうか。その顛末はあと数年か十年ほどで判明する。
 
技術的特異点|Wikipedia

原発の不正と社会の責任

中部電力、浜岡原発のデータ捏造のことを数日前に書いた。
 
不正を働いた電力会社は責任を免れない。一方で、彼らにそうせざるを得ないように追い込んでいったものがあるのではないか、と気になった。
 
私が先日ここで書いた文章に基づいて、Google AIモードをディスカッションし、以下のまとめを得た。「
 
【骨子:浜岡原発データ不正から見る「失敗の本質」と現代社会の責任】
 
組織論的分析:日本型組織の脆弱性
  • サンクコストの呪縛:巨額投資を理由に撤退できない心理が、安全確認より再稼働を組織の絶対命題に変えた。
  • 不都合な真実の隠蔽:現場のデータ改竄は、組織のメンツや結論ありきの空気を優先する旧日本軍と同じ閉鎖性の現れである。
  • 歪んだ正義感:国策に従事しているという選民意識が、規制や批判を邪魔者と見なす独善性を生んだ。
政府・当局の責任:撤退の選択肢なき国策
  • プランBの欠如:原発への回帰を国策で固定し、撤退基準(損切り)を設けない硬直性が、現場を嘘という破滅的な適応へ追い込んだ。
  • 責任の丸投げ:政治が負うべき最終的なリスク判断を、現場のデータという科学の儀式に丸投げし、担当者に過大な重圧を強いている。
メディアの責任:対立の煽りとプロセスの軽視
  • 二元論的報道:白か黒かの議論を強いることで、事業者が中間的なリスクを正直に開示できない沈黙の強制を生んでいる。
  • 感情的批判:構造的・技術的な深掘りよりも、「資格ない」「裏切る」などと表現することでバッシング(人格攻撃)を優先し、組織をより閉鎖的にさせている。
  • 監視の偏り:結論のみを追い、長期化する審査プロセスの不健全さや現場の疲弊を放置してきた。
一般市民の責任:非難の消費と無意識のプレッシャー
  • ゼロリスク信仰:わずかなリスクも許容しない世論が、現場に完璧な嘘をつかせるインセンティブを与えている。
  • 非難の消費:メディアが非難を売るのは、市民がそれを欲して消費(エンゲージメント)するからであり、メディアは市民の鏡である。
  • 矛盾する要求:安価な電力という恩恵を享受しつつ、それに伴うリスクやコスト、不都合な現実の議論から逃避している。
克服への視点
  • DXによる透明化:ブロックチェーン等の技術で、データそのものを改竄不能なシステムに委ねる必要がある。
  • 失敗の許容:不都合な事実を早期報告した者が評価される心理的安全性の構築。
  • 複雑さへの耐性:単純な勧善懲悪に逃げず、不確実なリスクと向き合う成熟した知性を社会全体で育む必要がある。」
 
組織の閉鎖性や、政府の撤退なき国策、メディアの非難の構造、市民のゼロリスク信仰。この四者の構図の中で、原発の現場や電力会社は喘いでいる。
 
果たして、今回の原発不祥事を、社会は内なる脆弱性と無関係でないと認識し、システムと文化の両面から作り直す契機にすることができるだろうか。
 
浜岡原発、失敗の本質(サイト内)

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