原発の不正と社会の責任
- 2026/01/15 07:00
- カテゴリー:時の話題
中部電力、浜岡原発のデータ捏造のことを数日前に書いた。
不正を働いた電力会社は責任を免れない。一方で、彼らにそうせざるを得ないように追い込んでいったものがあるのではないか、と気になった。
私が先日ここで書いた文章に基づいて、Google AIモードをディスカッションし、以下のまとめを得た。「
【骨子:浜岡原発データ不正から見る「失敗の本質」と現代社会の責任】
組織論的分析:日本型組織の脆弱性
- サンクコストの呪縛:巨額投資を理由に撤退できない心理が、安全確認より再稼働を組織の絶対命題に変えた。
- 不都合な真実の隠蔽:現場のデータ改竄は、組織のメンツや結論ありきの空気を優先する旧日本軍と同じ閉鎖性の現れである。
- 歪んだ正義感:国策に従事しているという選民意識が、規制や批判を邪魔者と見なす独善性を生んだ。
政府・当局の責任:撤退の選択肢なき国策
- プランBの欠如:原発への回帰を国策で固定し、撤退基準(損切り)を設けない硬直性が、現場を嘘という破滅的な適応へ追い込んだ。
- 責任の丸投げ:政治が負うべき最終的なリスク判断を、現場のデータという科学の儀式に丸投げし、担当者に過大な重圧を強いている。
メディアの責任:対立の煽りとプロセスの軽視
- 二元論的報道:白か黒かの議論を強いることで、事業者が中間的なリスクを正直に開示できない沈黙の強制を生んでいる。
- 感情的批判:構造的・技術的な深掘りよりも、「資格ない」「裏切る」などと表現することでバッシング(人格攻撃)を優先し、組織をより閉鎖的にさせている。
- 監視の偏り:結論のみを追い、長期化する審査プロセスの不健全さや現場の疲弊を放置してきた。
一般市民の責任:非難の消費と無意識のプレッシャー
- ゼロリスク信仰:わずかなリスクも許容しない世論が、現場に完璧な嘘をつかせるインセンティブを与えている。
- 非難の消費:メディアが非難を売るのは、市民がそれを欲して消費(エンゲージメント)するからであり、メディアは市民の鏡である。
- 矛盾する要求:安価な電力という恩恵を享受しつつ、それに伴うリスクやコスト、不都合な現実の議論から逃避している。
克服への視点
- DXによる透明化:ブロックチェーン等の技術で、データそのものを改竄不能なシステムに委ねる必要がある。
- 失敗の許容:不都合な事実を早期報告した者が評価される心理的安全性の構築。
- 複雑さへの耐性:単純な勧善懲悪に逃げず、不確実なリスクと向き合う成熟した知性を社会全体で育む必要がある。」
組織の閉鎖性や、政府の撤退なき国策、メディアの非難の構造、市民のゼロリスク信仰。この四者の構図の中で、電力会社は喘いでいる。
果たして、今回の原発不祥事を、社会は内なる脆弱性と無関係でないと認識し、システムと文化の両面から作り直す契機にすることができるだろうか。
# 浜岡原発、失敗の本質(サイト内)