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2025年07月04日の記事は以下のとおりです。

なにわ落語青春噺

おまえはな、ここ(頭)でばっかり考えてんねん。おもろい落語っちゅうんは、ここ(心)で感じるもんやぞ

六代目笑福亭松鶴が、桂米朝に言う、頭と胸に手を当てて。「JOBK100年 桂米朝 なにわ落語青春噺」(6/21)の中のドラマにて。昭和二十年代後半の想定とか。

心で感じるもの。その通りだと思う。これは、落語だけでなく芸全般に接する際に言えることだろう。

音楽や絵画の鑑賞もそう。しかし、実際はどうか。

例えば、所謂クラシック音楽の鑑賞に関して、あるブログは、「付加情報が語られることは多いが、どう感じたのかという主観を語る人は少ない」と指摘する。「感性で楽しむ」のではなく「知識で楽しんでいる」と。

何かを創り出す欲求が湧いた時、既存のやり方の組み合わせだけでなく、別の手法や工夫が必要になる場合がある。それが新たな技法や形式となり定着し受け継がれていく。これは専ら創る側の事情だ。鑑賞する側には、本来、関係ない。例えば、提示とか再現とかソナタ形式なんて知らなくたっていい。

どうして、心で感じる、とならないのだろう。おそらく、評を生業としている人たちの存在と無関係ではない。そういう人たちは、感動した、とか、これはもう一つ、とか、そんな評論だけでは食っては行けない。創る側の事情に踏み込み、「付加情報」として技法や形式をも語ろうとする。鑑賞者は、そういう評がカッコ良く見える、真似したくなる。

心で感じる、芸や芸術とはそう付き合いたいものだ。

うつくしい靴黒田辰秋 ものづくり問答(いずれもサイト内)。「JOBK100年 桂米朝 なにわ落語青春噺」(NHK総合・関西、6/21 19:30)、知識で楽しむ、感性で楽しむ|クラシックおっかけ日記、「百年目」桂米朝(1981年収録)▽上方 推しらくご(NHK総合・関西、6/29 17時)、日本の話芸「どうらんの幸助」桂米朝(1992年放送)▽おとなのEテレタイムマシン(NHK-Eテレ、7/2 13:10)

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