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カテゴリー「興行・放送」の検索結果は以下のとおりです。

地殻変動の深層

MAGAって言葉は何のことなのか知らなかった。息子が言った、「バカか、MAKE AMERICA GREAT AGAINだよ」ってさ。

道端で星条旗を売っているおっさんが言う。トランプ支持者なのだろう。6月14日、ワシントンD.C.。この日はトランプさんの誕生日、かつ、陸軍創設250年軍事パレードの日。

ETV特集「アメリカ 地殻変動の深層」(7/19)から。力のこもった良い番組だった。

欧米で鳴動する「地殻変動」、その波が、極東の日本にも届いたようだ。日本人ファーストを掲げた極右政党が参議院で合計14議席を獲得した。

その比較的新しい党は、比例代表で「約740万票を得た」。内3百万票は、「これまでの人生で一度も選挙に行かず、与野党の対立構造もあやふやな有権者」が投じた、と推定している記事があった。「まっとうな政治的価値観を期待することができない。そのような層は、政治信条の核がないので新規出店した政党に向かう」。

MAGAも知らずに星条旗を売るおっさん。政治信条もなく極右政党を支持する層。そういうわけもわからない人たちが「地殻変動」の一翼を担っている。

「石破やめるな」(サイト内)。ETV特集 アメリカ 地殻変動の深層|NHK、参政党「参院選14議席」の衝撃…無関心、自民、れいわから流れた“740万票”のカラクリ|日刊ゲンダイ

笑いを知りたい

人生、3個分は欲しいですね

ノルウェー人の社会言語学者ヴォーゲ・ヨーラン氏は言う。関西に住み、日本の「笑い」を研究している。NHKの「最深日本研究」(7/1)から。

人間国宝の竹本越路太夫(1913-2002)が「一生では足りない、二生欲しい」と言うのを何かのドキュメンタリーで観た。このノルウェーの学者は、二生でも足りないようだ。

芸能にせよ学術研究にせよ、極めた者であればこそ、その道の奥深さを知っている。自分がどこまで達しているかそれを計る尺度も持つ。さらなる高みを目指し、もう一生分の計画も見えるのだろうか。

手応えのある何か一つライジング若冲(いずれもサイト内)。最深日本研究~外国人博士の目~「“笑い”を知りたい」(NHK総合、7/1 23時-)、NHKスペシャル「人間国宝ふたり-文楽・終わりなき芸の道」吉田玉男、竹本住大夫(NHK総合、2001/1/13 21時-)

前頭前野の血流増大

昔を回想すると、日常会話をしている時に比べて、数十倍、脳の前頭前野の血流が増大する

認知症に関する番組をNHKプラスで観ているとそんな話題があった。

このブログ(twp)では、できるだけ毎日、何か書くようにしている。頭で考えて指先を動かすキーボードでの作業は、ぼけ防止に繋がるかなと微かに期待して。加えて昔話だ。懐古趣味でちょっとどうかなと思いながらも書いていたけれど、前頭前野の血流が増大して認知症発症リスクを下げられる可能性があるなら、もっと積極的に過去を回想してみるのもいいかもしれない。

自伝的記憶を整理して、より良い未来を手に入れる古い about.shtml(いずれもサイト内)。あさイチ 40代からの対策がカギ!認知症予防最前線(NHK総合、7/7 8:15-)

超文楽入門

新しい人を育てる時に、素質って言うけれど、素質なんて、ちょっとやりかけてから判るもので、それ以前の素材(というものがある)

文楽・三味線の竹澤團七氏がそんな話をしていた。「超文楽入門▽北村有起哉・桐竹勘十郎と文楽を楽しむ」(6/21)から。JOBK100年記念番組の一つ。

「素質」と「素材」。その「素材」というのは、どういう感じなのだろうか、と考えていた矢先、ドラマ「舟を編む」で「申し子」が話題になった。この言葉がどうやら「素材」に近そうだ、と思った。

手元の「大辞林」(第2版、三省堂、1995年)では「申し子」は以下のようにある。

(1)神仏に祈ってさずかった子。「八幡様の―」
(2)霊力を持つものから生まれたように見える子。「天狗の―」
(3)あるものの特性を著しく反映して生まれたもの。「国際化時代の―」

ドラマの中での語釈と微妙に違うかもしれない。「ある分野で、優れた能力を持つ人」

ビフォア・サンセット多発する山岳遭難(いずれもサイト内)。JOBK100年 超文楽入門▽北村有起哉・桐竹勘十郎と文楽を楽しむ(NHK総合・関西、6/21 10:40-)、ドラマ10「舟を編む~私、辞書つくります~」(4)(NHK総合、7/8 22時)

なにわ落語青春噺

おまえはな、ここ(頭)でばっかり考えてんねん。おもろい落語っちゅうんは、ここ(心)で感じるもんやぞ

六代目笑福亭松鶴が、桂米朝に言う、頭そして胸に手を当てて。「JOBK100年 桂米朝 なにわ落語青春噺」(6/21)の中のドラマにて。昭和二十年代後半の想定とか。

心で感じるもの。その通りだと思う。これは、落語だけでなく芸全般に接する際に言えることだろう。

音楽や絵画の鑑賞もそう。しかし、実際はどうか。

例えば、所謂クラシック音楽の鑑賞に関して、あるブログは、「付加情報が語られることは多いが、どう感じたのかという主観を語る人は少ない」と指摘する。「感性で楽しむ」のではなく「知識で楽しんでいる」と。

何かを創り出す欲求が湧いた時、既存のやり方の組み合わせだけでなく、別の手法や工夫が必要になる場合がある。場合によっては、それが新たな技法や形式となり定着し受け継がれていく。これは専ら創る側の事情だ。鑑賞する側には、本来、関係ない。例えば、提示とか再現とかソナタ形式なんて知らなくたっていい。

どうして、心で感じる、とならないのだろう。おそらく、評を生業としている人たちの存在と無関係ではない。そういう人たちは、感動した、とか、これはもう一つ、とか、そんな評論だけでは食っては行けない。創る側の事情に踏み込み、「付加情報」として技法や形式をも語ろうとする。鑑賞者は、そういう評がカッコ良く見える、真似したくなる。

心で感じる、芸や芸術とはそう付き合いたいものだ。

うつくしい靴黒田辰秋 ものづくり問答(いずれもサイト内)。「JOBK100年 桂米朝 なにわ落語青春噺」(NHK総合・関西、6/21 19:30)、知識で楽しむ、感性で楽しむ|クラシックおっかけ日記、「百年目」桂米朝(1981年収録)▽上方 推しらくご(NHK総合・関西、6/29 17時)、日本の話芸「どうらんの幸助」桂米朝(1992年放送)▽おとなのEテレタイムマシン(NHK-Eテレ、7/2 13:10)

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