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カテゴリー「興行・放送」の検索結果は以下のとおりです。

西洋の心の故郷

西洋が、長い間、自らの心の故郷として疑いを持たなかったギリシャ文明が、実は、バビロニアの影響下に成立した、という大胆な主張だった

西洋では、数学を含め文明の起源は、ギリシャにあると確信されていた。それに反して数学者のオットー・ノイゲバウアーは、古代ギリシャのピタゴラス学派の数学はバビロニア起源であると主張した。これは、20世紀初頭の西洋世界に大きな衝撃をもたらした。なにせ西洋の人たちの多くは、バビロニアなどオリエント地域は「本質的に異質な世界であり軽薄で非合理的世界」と見做していたから。

古い録音(mp3)のリストにピタゴラスの名があったので聴いてみた。2022年に放送されたラジオ番組「ピュタゴラスの定理は誰のもの」。

西洋の人にとって心のふるさとは、ローマにある、いやいやギリシャにある、とドイツ人の同僚が言ったことがある。そんなこと言われても、東の果ての島国に生まれた私にはぴんと来ない。へえそんなものなのか、と生返事をしていたら、

パルテノン神殿みたいな建物があちこちにあるだろう、と彼は続ける。ニューヨーク証券取引所しかり、リンカーン記念堂しかり。移民の国アメリカでさえそうなんだ。古代ギリシャ様式を模した建造物が、この現代に建てられる。なぜそんなことが起こるのか考えてみると良い、と。それを聞いて、あ、そういうことなのか、と、ちょっと納得したりした。

# 「数学者たちのこころの中」第2回「ピュタゴラスの定理は誰のもの」三浦伸夫▽こころをよむ(NHKラジオ第2、2022年1月9日 6時)、オットー・ノイゲバウアー|Wikipedia

 

石見相聞歌

恋人が住む場所であれば、どんなところであっても素晴らしい。他人が何と言おうと最高だ

PCでNHKらじる★らじるにアクセスすると、万葉集の歌を解説していた。それは、柿本人麻呂が詠んだ「石見相聞歌」だった。一首目の長歌、巻2-131。

石見には、良い浦(入り江)はない、良い潟(浅瀬)もない、と他人は見るかもしれないけれど、そんなことはいいんだ、と人麻呂は詠む。風景描写に妹(恋人)を掛けている。現地に置いて来た妹のことを他人は良くは言わないかもしれないが、自分にとっては愛しくてしようがない女だと。

上で引用した解説を聞いて、ユーミンの「夕闇にひとり」に少し通じるものがあるように感じた。その歌は「あの人の噂が聞ける街なら私は流れて行くわ」と始まる。

験なき物を思はずは(サイト内)。こころをよむ「万葉びと、その生と死と」(4)「愛と別れと」、【出演】國學院大學文学部教授・上野誠(NHKラジオ第2、5/4 17:45)

浪速のモーツァルト

大嫌いです。それ言いますと、モーツアルト信奉者が一杯いてはりますから、このくだりはお聞きにならないようにお願いしたいんですけど。モーツアルトみたいな整然とした感じはあまり好きやない。もうちょっと奔放な、切ったら血が流れるような音楽の方が好きなんです。

浪速のモーツアルトことキダ・タローさんは、インタビューで訊ねられ、モーツアルトは嫌いと答えていた。ショパンを信奉しているとか。

関西発ラジオ深夜便「明日へのことば」(5/4)から。初回放送2023年2月。

「生活笑百科」のテーマ曲などキダさんの曲が何曲か流れた。その一つ「平成古寺巡礼」のテーマ音楽は「小さな旅」のそれに少し似ていると感じた。あちらは大野雄二作曲。

ラジオ深夜便モーツアルト十選(いずれもサイト内)。関西発ラジオ深夜便▽明日へのことば「浪速のモーツァルト(2)~90歳過ぎてますます元気」全2回【出演】作曲家:キダ・タロー、聞き手:住田功一元アンカー(NHKラジオ第一、5/4 午前4時台)

フジコ・ヘミングさん死去

一つ一つに魂が入っているようなさ。

一つ一つ、一音一音、とピアノの蓋を、パラパラパラと、指で打つ。「あまりに完全で機械みたいなのは嫌い」と吐き捨てるように言う。

ETV特集「フジコ~あるピアニストの軌跡」から。追悼で昔の番組が再放送された。「おとなのEテレタイムマシン」(Eテレ、5/4 22時)。初回放送1999年2月11日。

Lubuntuマシンのファイル更新のついでにNHKプラスにアクセスしたら、この番組が、ドキュメンタリーのリストにあった。噂には聞いていたけれど観るのは今回が初めて。

フジ子・ヘミングの奇蹟(サイト内)。ピアニストのフジコ・ヘミングさん死去「奇蹟のカンパネラ」(5/2)、Fuzjko Hemming(1931-2024)

SNS投稿で裁判官罷免

SNSに殺人事件の遺族を傷つける投稿をしたなどとして訴追された仙台高裁の岡口基一判事に対し、先月、国会議員からなる裁判官弾劾裁判所が罷免の判決を言い渡した。

過去、弾劾裁判にかけられ、罷免されたのは、児童買春やストーカー、盗撮で刑事責任を問われたり、職務怠慢があったりした場合だった。SNSでの不適切な発言で、弾劾裁判で処分するのは行き過ぎではないか、そんな意見もあるようだが、どうだろうか。

岡口氏は、問題発言を繰り返して来た。口頭での厳重注意、文章での厳重注意でも改めず、最高裁から2度の戒告を受けた。裁判所内部ではこれ以上打つ手がなくなり今回の弾劾裁判となった。現職の裁判官からは特殊な事例として受け止められるのではないか。

NHKのラジオ番組で、慶應大の大屋雄裕教授がそんなコメントをしていた。

在京六紙の社説でも意見が割れていた。「自らが招いた必然の帰結」(読4/6)、「国民常識にかなう判断」(産4/5)、「制裁が苛烈に過ぎる」(東4/4)、「表現の自由や司法の独立にも絡む、重い課題」(経4/5)、「微妙なケース」(朝4/4)、「司法の発信考える契機に」(毎4/6)。

六紙社説(サイト内)。マイあさ!▽けさの“聞きたい”「SNS投稿で異例の罷免 裁判官のあり方を問う」大屋雄裕(慶應義塾大学教授)(NHKラジオ第一、5/1 7時台)

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