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カテゴリー「時の話題」の検索結果は以下のとおりです。

社説で読む衆院選、26年

在京六紙の社説から衆院選に関係するものを拾ってみると、1/20〜31の間に54本あった。それらのタイトルをざっと眺めて、どんなことを感じたか書いておこう。
 
どうも低調な感じが拭えない。選挙戦序盤で、社説による争点洗い出しは、まだまだこれから、ということはある。が、
 
主要政党がこぞって、減税や、給付を掲げたことで、論戦が今あるパイの奪い合いという再分配論に終始しているからだろう。社説もまた、「ポピュリズム」「大盤振る舞い」と批判しながらも、具体的な代替案を出せず、国民に心地よい目先の利益を示すだけで、共犯関係に陥ってしまっている。
 
例えば、人口減少や、消滅可能性都市の現実、そして財政の限界を直視した、賢い撤退と集約は、真の争点の一つだが、政党もメディアもこの痛みを伴う議論を封印している。これは地方の高齢者という、主要な支持者、読者への忖度にほかならない。
 
政党や一般紙が、そうやって特定層の機嫌を伺う一方で、日本経済新聞の社説は「新たな成長生む戦略こそ競うべき本丸だ」(1/29)のタイトルを掲げている。他紙の再分配論に掻き消されそうになりながらも異彩を放つ。
 
日経が言う成長戦略は、選択と集中を前提とした経済の新陳代謝、つまり低生産性企業の退場を促す、痛みを伴う議論だ。先一週間、こういう、国民が向き合うべき現実、つまり真の争点を示す社説が、続々と掲載されることに期待したい。
 
さて、この一週間ほどで、六紙社説は、そのほかに、グリーンランド問題、訪日客4000万人超え、プルデンシャル生命の不正、中国軍高官失脚、東大教授の汚職、春闘と賃上げ、などを話題にした。
 
六紙社説、真の争点を報じる(いずれもサイト内)

不破哲三氏死去

え、と驚く一本があった。産経新聞の社説が、日本共産党の不破哲三元委員長が亡くなったことを採り上げている。この一週間、在京六紙の社説は、首相が衆院解散を伝達、立民と公明が中道新党、日韓首脳会談、など各紙が揃って書いて賑わった。そんな中、今回は、産経新聞のこの一本を読み解いてみよう。その社説のタイトルは、「不破哲三氏死去 時代を見ぬ革命家だった」(1/13付け)。
 
産経新聞のこの社説には、同紙の右派保守としての鮮明な編集方針と、日本共産党に対する長年の批判的スタンスが強く反映されている。これは、一政党指導者への、単なる、追悼文ではない。
 
産経新聞は、皇室を日本の伝統・文化の中心として極めて重視する論陣を張っている。この社説内で不破氏による綱領改定を「戦術的擬態」「憲法秩序への挑戦」と厳しく批判している中には、共産党がかつて掲げた「君主制の廃止」という本音を見逃さないという、同紙の強い警戒感を見て取れる。
 
不破氏は、長年に渡り、日本共産党の知の巨人として君臨し、同党の路線の決定権を握って来た。産経新聞は、その不破氏の死を単なる個人の死去ではなく、戦後共産党の一時代を築いた象徴の終焉と捉えている。同紙にとって、保守主義の対極にある共産主義の象徴を総括することは、自らの言論のアイデンティティを確認する作業でもある。
 
産経新聞は、防衛力の強化や日米同盟の堅持を強く支持する。社説の中で、不破氏が「中国の脅威」に対処するための現実的な防衛政策転換を行わなかったと非難するのは、日本の安全保障環境が悪化する中で、共産党を、現実を直視できない存在と見なしているからだ。
 
産経新聞の読者は、共産主義や左派勢力の動向に対して厳しい監視の目を向ける保守的な層が多くを占めている。他紙が不破氏の功績を淡々と報じる一方で、あえて「時代を見ぬ革命家」と断じる辛辣な評価を掲載することは、読者の期待に応え、保守メディアとしての存在感を示す狙いがある。
 
という具合に、産経新聞は、不破氏を日本の伝統的秩序を脅かす思想の象徴と位置付け、もはやその思想が時代に適合していないと強く主張している。そうすることによって、共産主義の時代の終わりを宣言し、同紙の読者層である保守層の価値観を代弁する。右寄り高市政権への高い支持率や、隣国の脅威による安保意識の高まりという今の日本の空気が、同紙にこの社説を書く勇気を与えたに違いない。
 
しかし、どんなものだろうか。訃報に接して、「時代に取り残された」と書く姿勢は、言論機関としての品位に欠ける。その言説は、死者への礼節を欠いた不当なバッシングだし、同時に、右傾化する日本社会を象徴する不寛容さの表れだ。
 
とても危険なニオいがする。
 

シンギュラリティ

未来学者は、2040年には自律したAIが指数関数的に知能を向上させるシンギュラリティ(技術的特異点)が到来すると予測しています。
 
と、橘玲氏がコラム、「テクノロジーの「加速」はもう止められない」の中で書いている。
 
シンギュラリティ(singularity)の到来は、当初、2045年と言われていた。が、近年の生成AIの急速な進化により、それは早まると予測されている。2040年どころか、2030年前後だと唱える人も少なからずいるようだ。
 
シンギュラリティに到達するといったいどんな世界になるのだろう。楽観的に見れば、人間が労働や生活の苦しみから解放され、純粋に生を享受するユートピア。はたまた悲観的に見れば、人間がAIに管理され、あるいは邪険にされるディストピア。いずれにせよ、人間が世界の中心にいて全てをコントロールする、そんな時代を懐かしむような世界になるわけだ。
 
橘氏が書くように「もう止められない」。シンギュラリティへと向かって行く。さあどんなことになるだろうか。その顛末はあと数年か十年ほどで判明する。
 
技術的特異点|Wikipedia

原発の不正と社会の責任

中部電力、浜岡原発のデータ捏造のことを数日前に書いた。
 
不正を働いた電力会社は責任を免れない。一方で、彼らにそうせざるを得ないように追い込んでいったものがあるのではないか、と気になった。
 
私が先日ここで書いた文章に基づいて、Google AIモードをディスカッションし、以下のまとめを得た。「
 
【骨子:浜岡原発データ不正から見る「失敗の本質」と現代社会の責任】
 
組織論的分析:日本型組織の脆弱性
  • サンクコストの呪縛:巨額投資を理由に撤退できない心理が、安全確認より再稼働を組織の絶対命題に変えた。
  • 不都合な真実の隠蔽:現場のデータ改竄は、組織のメンツや結論ありきの空気を優先する旧日本軍と同じ閉鎖性の現れである。
  • 歪んだ正義感:国策に従事しているという選民意識が、規制や批判を邪魔者と見なす独善性を生んだ。
政府・当局の責任:撤退の選択肢なき国策
  • プランBの欠如:原発への回帰を国策で固定し、撤退基準(損切り)を設けない硬直性が、現場を嘘という破滅的な適応へ追い込んだ。
  • 責任の丸投げ:政治が負うべき最終的なリスク判断を、現場のデータという科学の儀式に丸投げし、担当者に過大な重圧を強いている。
メディアの責任:対立の煽りとプロセスの軽視
  • 二元論的報道:白か黒かの議論を強いることで、事業者が中間的なリスクを正直に開示できない沈黙の強制を生んでいる。
  • 感情的批判:構造的・技術的な深掘りよりも、「資格ない」「裏切る」などと表現することでバッシング(人格攻撃)を優先し、組織をより閉鎖的にさせている。
  • 監視の偏り:結論のみを追い、長期化する審査プロセスの不健全さや現場の疲弊を放置してきた。
一般市民の責任:非難の消費と無意識のプレッシャー
  • ゼロリスク信仰:わずかなリスクも許容しない世論が、現場に完璧な嘘をつかせるインセンティブを与えている。
  • 非難の消費:メディアが非難を売るのは、市民がそれを欲して消費(エンゲージメント)するからであり、メディアは市民の鏡である。
  • 矛盾する要求:安価な電力という恩恵を享受しつつ、それに伴うリスクやコスト、不都合な現実の議論から逃避している。
克服への視点
  • DXによる透明化:ブロックチェーン等の技術で、データそのものを改竄不能なシステムに委ねる必要がある。
  • 失敗の許容:不都合な事実を早期報告した者が評価される心理的安全性の構築。
  • 複雑さへの耐性:単純な勧善懲悪に逃げず、不確実なリスクと向き合う成熟した知性を社会全体で育む必要がある。」
 
組織の閉鎖性や、政府の撤退なき国策、メディアの非難の構造、市民のゼロリスク信仰。この四者の構図の中で、原発の現場や電力会社は喘いでいる。
 
果たして、今回の原発不祥事を、社会は内なる脆弱性と無関係でないと認識し、システムと文化の両面から作り直す契機にすることができるだろうか。
 
浜岡原発、失敗の本質(サイト内)

浜岡原発、失敗の本質

浜岡原発のデータ不正に対し、在京六紙は、挙って社説で激しく非難した。
 
原発データ不正 審査の根幹再び揺らぐ(朝日、1/7)
浜岡原発のデータ不正 中部電に運転の資格ない(毎日、1/7)
原発データ不正 何が現場を焦らせたか(東京、1/7)
浜岡原発の不正 安全性揺るがす深刻な事態だ(読売、1/7)
原発の安全性揺るがす中部電データ不正(日経、1/8)
浜岡原発で不正 信頼の基本裏切る事案だ(産経、1/9)
 
この6本にざっと目を通して思うことがあった。現代の原子力事業と昭和期の旧日本軍、両者には驚くほど多くの共通点がある、と。
 
数千億円の安全対策費を投じたんだ、今さら引き返せない、という経営判断が優先され、審査を通すことは、安全の確認ではなく、組織の絶対命題にすり替わった。それは、これまでに既に多大の犠牲(サンクコスト)を払った、ここでやめては英霊に申し訳ない、という論理が働き、客観的な勝算がなくても戦線を拡大し続けた旧軍と同じではないか。
 
地質調査などで「活動性あり」を示唆する不都合なデータを現場レベルで書き換え、組織の筋書きに合わせようとした。科学的客観性よりも、組織のメンツや、予定された結論を優先する、この閉鎖性は、ノモンハン事件やミッドウェー海戦の損害などを、士気が下がるとして、隠蔽、改竄し、都合の良いデータだけで作戦を立て続けた軍部と同じ体質だ。
 
原子力推進が国策であるという自負により、事業者の中に、多少の強引な手法も国家のためという歪んだ正義感や、外部の規制当局や批判勢力を邪魔者とみなす独善的な選民意識が生まれていた。これは、軍部が、国策を旗印に、政治や国民のチェックを拒絶し、暴走を正当化したことと軌を一にする。
 
一度始めたことは、どんなに状況が悪化してもサンクコストを理由にやめられない、という日本型組織の弱点が、80年以上経った今、最も高度な安全性が求められる原子力という現場で、再び「嘘」という形で噴出してしまった。
 
「引き返せない」「身内を守る」「空気に従う」という構造的脆弱性は、日本人が持つ「誠実さ」「勤勉さ」「協調性」という美徳の裏返しなのだろう。だから、どこのどんな組織にもあるし、いつでも起きる。過去の話や、特定の業界の話と切り捨てることはできない。我々の内にある脆弱性を常に自覚し、意識的に、風通しの良さや、外部の視点を取り入れ続ける必要があるだろう。
 
さて、この一週間の六紙社説は、そのほかに、米国のベネズエラ攻撃や、中国が輸出規制を強化、米国の国際機関脱退、などを話題にした。
 
六紙社説、失敗の本質(いずれもサイト内)。野中郁次郎ら著「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」(ダイヤモンド社、1984年)
 
追記)デジタル・トランスフォーメーション(DX)の遅れもある。例えば、改竄が不可能なブロックチェーン技術で観測データを即時に、記録、公開するような、システムによる透明性が担保できたはずだ。精神論に重きを置き、竹槍で米軍の重火器に立ち向かおうとした旧軍を彷彿とさせる。

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