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カテゴリー「時の話題」の検索結果は以下のとおりです。

ゴーン氏が最初に述べたこと

最初にお話しておきたいのですが、(略)私は、日産を強化推進し続け、日本で最も優れており、最も尊敬される企業の地位を回復させることを、ひたすらに目指してきた

そう述べて、続けて、自らにかけられた嫌疑に対して申し立てを行っている。ゴーン元会長意見陳述全文(nikkei.com, 2019/1/8 13:52, 18:12更新)から。

彼は、なぜ、「最初に」そういうことを言ったのだろうか。そもそも怪しまれた原因が、経営者として実績や熱心さが足りないように見えたから、とでも思っているのだろうか。それとも、これまで会社のために大いに頑張ったんだから、ちょっとぐらい悪いことしても大目に見てよ、というメッセージなのだろうか。いずれにせよ、この冒頭のコメントは、心証を悪くすることはあっても良くすることは決してない。我々一般市民にとってばかりではなく、おそらく裁く方々にとってもそうだろう。

100均の聖地、浙江省義烏

義烏では黄色いベストは既に品切れ。にもかかわらず、スウェーデンやチェコ、スイスからも新たな注文が次々に舞い込んでいる

パリで始まった抗議活動が他国に広がっている。そういった欧米の動きが、義烏(ぎう)のビジネス動向で判るらしい。Yahoo!ニュース「100均の聖地」が世界の窓に 「黄色いベスト」の大量注文(19/1/3 3:04 掲載)から。

義烏の駅は、何度か利用したことがある。2011-13年の頃だ。その隣町、東陽市横店に取引先があった。そこへ通うには上海から義烏まで、高速鉄道(CRH)に乗るのが便利だったのだ。「100均の聖地」と呼ばれるだけあって、駅で乗り降りの際や車中で、日本(向け)のバイヤーらしき人たちをよく見かけた。大きな荷物を持っていたり、席で製品のサンプルや試作品を取り出してごそごそやっていることもそうなのだが、みなさん、独特の雰囲気を身にまとっていた。

年賀状じまい

年齢層は60代から80代で、平成最後を節目に、人生の終わりに向かう準備の一環として年賀状を見直す人が多い

年賀状じまいをする人が増えているそうな。改元も、そのきっかけになるんだな。「今年限りで失礼します」(NHK Web News、2018年12月25日 20時05分)から。

おれが年賀状を出すのを止めたのは十年ほど前のこと。平成20(2008)年分からだ。中島義道著「人生を<半分>降りる」(新潮OH!文庫、2000年)に「年賀状はもう何年も出していない」とあるのを読んで、そろそろおれもそうしよ、と思った。すぐには止められなかった。数年かけて義理を欠く作業を徐々に進めた。07年から二年間、社内ビジネス・スクールを受講。それにかまけて、完全に、出すのを止めたのだった。

スマホと学校の成績

それか、こわいオカンがおるとこや。自律か他律かどっちかや。

スマホの使用時間と学校の成績に関係がある。不思議なことに、まったく使わない子供より、1時間使う子供の方が成績が良いのだとか。1時間で使用を止められる、そう律することができる子供が勉強もできる、と推測されている。今朝の「社会の見方・私の視点」(NHKマイあさラジオ、12/20 6:43)、お題「小中学校へのスマホ持ち込み解禁までに議論すべきこと」から。兵庫県立大学の竹内和雄准教授へのインタビュー、引用のように関西弁丸出しでおもろい。

改元は、5/2 か

1) 1日は二つの元号に分かれることになり、国民生活に不便をもたらす、2) 厳密に何時何分に改元されたのか特定できない

もし、即位の日(5/1)に改元を施行するとそのような問題が生じるため、改元は翌 5/2 とする、と政府は考えている模様。Yahoo!ニュースに掲載の共同通信 12/16(日)2:00 配信から。

改元の日時について、直近の四つの元号に限って、少しまとめてみた。他意はない。シリーズ放送中の歴史再発見「元号文化の歩み」(NHKラジオ第二)などを参考にした。

明治改元。いつ明治へ改元されたのか。明治天皇即位の後、という考え方とは別に、その年、旧元号では慶応4年、の元日まで遡って改元されたと解釈する説がある。なぜなら、改元の詔書(9月8日)に、慶応4年を改めて明治元年となす、とあるからだ。いつ改元されるかは、その後、法令で決められる。旧皇室典範(明治22年)第12条で「践祚の後元号を建て」となった。践祚(せんそ)は、即位のこと。さらに、登極令(明治42年)に、天皇践祚後は「直ちに」元号を改める、と時期が明記された。

大正改元。明治天皇崩御は、明治45年7月30日午前0時43分、というのが公式見解。実際には、日付が替わる少し前だった。登極令にある通り「直ちに」作業を進めようとすると、その日の内に残された時間はわずかしかない。時の政府は、一日先送りするという現実的な選択をしたのだ。古来より、死の公表を遅らせることは珍しくはなかったという事情もある。喪を秘す、と表現される。結局、7/30 に崩御、同日、践祚、改元となった。旧皇室典範に基づき、初めて、改元の日が特定された。

昭和改元。大正天皇は、大正15年12月25日午前1時25分に崩御。同日、新天皇が践祚、昭和に改元された。改元の日は、12/25 とはっきりしている。が、その日は、大正と昭和が混在することになった。果たして改元は何時何分だったのか、同日午前0時まで遡るなど諸説あり、後々まで議論されることになった。

平成改元。昭和64年1月7日、昭和天皇崩御。同日、新元号「平成」が公布され、その施行は翌8日午前0時から、とされた。「直ちに」と定めた登極令は既にない。ここに至って、改元の日時、何時何分、が明確化されることになった。

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