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カテゴリー「時の話題」の検索結果は以下のとおりです。

原尞氏逝去

「それまでの明日」(早川書房、2018年)が遺作となったと訃報にある。探偵沢崎シリーズの第5作だ。2019年に図書館にあるのに気付き読んだ。

シリーズ諸作をいつ頃に読んだのか調べてみた。一番最初に手にしたのは第3作「さらば長き眠り」(1995年)だった。それが1996年のこと。その年のうちに、旧作の二つ、「そして夜は甦る」(1988年)、「私が殺した少女」(1989年)の文庫版を購入。第4作「愚か者死すべし」(2004年)は、さらに10年ほど経った2007年に読んだ。

ここまでの4作はいずれも再読している。第5作もこの機にもう一度読んでみよう。

それまでの明日愛読書十選 (3)(いずれもサイト内)。原尞|Wikipedia、【訃報】原尞氏逝去のお知らせ(5/10)|早川書房

シャトル外交とお詫び

岸田文雄首相が、7日、ソウルで尹錫悦(ユンソンニョル)韓国大統領と会談した。日韓首脳が相互訪問するシャトル外交は12年ぶり。

首相は、朝鮮統治をめぐって反省とお詫びに言及した1998年の日韓共同宣言に触れ、その立場を「引き継いでいる」と尹氏へ伝えた。さらに今回、個人の見解としながらも、元徴用工を念頭に「心が痛む」とも述べた。

在京六紙の社説が、どう評価しているか見てみよう。

引き継いでいるなど「遠回しの表現も多い。より直接的に反省やおわびを示すことで、自国内の批判覚悟で対日関係改善に乗り出した大統領の気概に応えるべき」(東5/9)

「韓国側にはなお明確な謝罪と反省を求める声が強いが、首相自らの言葉で思いを伝えたことは評価できる」(朝5/8)。「踏み込んだ」(毎5/9)。

「首相の思いが韓国の人々に届くかを見極めたい」(経5/8)

「首相が自らの言葉で思いを述べたのは、尹氏の政治決断を評価し、韓国国内の反発を和らげる狙いがあるのだろう」。が、「首相は、相手の立場に配慮する大切さを忘れてはならない」(読5/9)

徴用工をめぐっては「日本側に謝罪したり賠償金を支払ったりするいわれがない」「岸田首相の発言は加害者という印象を植え付ける。主客転倒の誤った発言」(産5/8)

評価するという声が複数ある一方で、足りない、もしくは、そもそも謝る必要ない、という意見がある。これくらいにバラついている方が、ある意味、健全なのかもしれない。

さて、5/8週の六紙社説は、そのほかに、能登の群発地震、プーチン演説、首相のアフリカ外交、米国債のデフォルト懸念、銀座仮面強盗、コロナ禍の検証、LGBT法案などを話題にした。

六紙社説(サイト内)。岸田首相訪韓 日韓新時代(NHK、5/9)

憲法記念日とセブン50年

在京六紙は、例年通り揃って、憲法記念日にまつわる社説を掲載した。

「憲法は、先の大戦の悲惨な体験を踏まえて生まれた」「平和を願う国民は歓迎した。だからこそ定着し、今日まで続いている」(毎5/3)

「戦争に突き進まず、自由や基本的人権を守るには、九条だけでなく、憲法条文に込められた先人たちの決意を読み取り、不断の努力を続ける必要があります。それこそが不戦の誓いというバトンを受け継ぐ今を生きる私たちの使命ではないでしょうか」(東5/4)

「政府が説明や議論を軽んじ、憲法が主権者と定める国民を置き去りにしたまま、国の大事な原則を次々と変えていく。真に恐れるべきは、民主主義の形骸化である」(朝5/3)

「時代や安全保障環境の変化を踏まえ、最高法規のあり方を建設的に論じ合い、必要な部分については改めなければならない」(読5/3)、「国会は改正原案策定急げ 9条、緊急事態が最優先だ」(産5/3)、「緊急時への備え含む憲法論議の加速を」(経5/3)

護憲、改憲、様々な立場や意見はあるだろう。前文や第9条の基本理念は「護」るべきだと思うけれど、「改」めるべき点についてはしっかり議論すれば良い。時世にそぐわなくなっている条文があるという意見には説得力がある。なにせ施行から76年も経っているのだ。

憲法記念日の3日、一本、まったく毛色の違う社説があった。日経の「セブン50年の成果と課題」。コンビニ大手のセブン‐イレブンが一号店を開いて50年を迎えるのだとか。記事には、1974年に東京・豊洲にオープンした一号店の写真が添えられている。

関西出身なので、セブンよりはローソンの方が馴染みがある。「開いってまぁす、あなたのローソン」のCMはよく覚えているし、それより古い地味なバージョンも記憶にある。が、当時、実際にコンビニで買い物をすることは、ごく限られていた。まだ、どこにでもあるという存在にはなってはいなかった。

京都の街にローソンが溢れていて驚いたことがある。あれは、確か1983年の秋だった。チェロ弾きの先輩と二人で京都へ行った。至る所にローソンがある。街にこんなに沢山コンビニがあって、それもローソンばっかり。大学へ戻って、そのことを誰かに言うと、「今の京都はローソンの牙城」と教えてくれた。え、大阪じゃないのか、と思いつつも、妙に納得した。それほどまでにローソンの看板は京都の街で目立っていた。

さて、5/1週の六紙の社説は、そのほかに、トヨタグループの不正、中国反スパイ法、首相アフリカ歴訪、G7のAI声明、金融不安再燃、米利上げ継続、こどもの日、コロナ5類感染症へ移行、能登震度6強などを話題にした。

六紙社説、憲法記念日、22年コロナ下の憲法記念日(いずれもサイト内)。コンビニエンスストア|Wikipedia

「週3日は外に出て」

最寄りのJRの駅から電車に乗り、琵琶湖を一周ぐるりと回って、最寄りの手前の駅で降りる。鉄道ファンに親しまれる「大回り」という乗り方だ。

隣駅までの一駅分の料金で3時間ほど時間つぶしする。定年退職後、家に居場所がないオジさんの悲喜劇。

朝日新聞の連載記事「定年クライシス 居場所はどこに」全8回、その第3回、「週3日は外に出て」妻に言われた夫 一駅分の電車賃でつぶす3時間(4/16)から。

定年クライシス 居場所はどこに濡れ落ち葉|Wikipedia

大久保駅前の巌松堂

大久保中学校へ通うのに山陽電車(山電)を使っていた。各駅停車で2駅乗り、中八木駅で降りて北東へ1キロほど歩く。

その道沿いの様子は随分と替わってしまった。県立高校が一つ建ち、国立病院は明石医療センターに生まれ変わった。明姫幹線が国道250号線になり、山電沿いの通称「浜国」(旧国道250号線)は県道に降格。何と言っても一番の違いは、神戸製鋼の工場や社宅が無くなったことだろう。その広いエリアは再開発された。

神戸製鋼は、山電と国鉄(現JR)の間に展開していた。工場敷地の上辺が国鉄にぴったりと沿っていて、その真ん中辺りに大久保駅があった。今から思うと、神戸製鋼の関係者用に専用の改札はあったのかもしれない。一般には、駅の出入り口は北側にあり、そのサイドしか利用できなかった。南側の住人には不便な駅だった。

駅の北側、国道2号線までの間に商店街があった(ある)。そこの本屋さんには中・高の頃よくお世話になった。お店の名は巌松堂。調べてみると、昨年、開店50年だったようだ。ということは四十数年前のあの頃は、開店後数年しか経っていなかったのだ。名前が名前なので古くから続いている老舗だろうと当時も思っていた。ちょっと意外。

和坂(かにがさか)(サイト内)。大久保駅 (兵庫県)|Wikipedia、兵庫県道718号明石高砂線|同、山陽本線大久保駅(兵庫県明石市)|ぶらり歴史旅一期一会、地域に寄り添い開店50年 大久保駅前の書店「巌松堂」(神戸新聞、2022/1/30)

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