識者評論・加藤陽子氏
- 2026/01/08 07:08
- カテゴリー:時の話題
2人はいずれも戦後、首相となった。戦後の自民党の源流には、斎藤にくみした、保守でありリベラルでもあった人々がいると石破は伝えたかったはずだ。
二人とは、1940年に帝国議会で反軍演説を行った斎藤隆夫に対する除名決議で、反対した芦田均と棄権した鳩山一郎。加藤陽子氏が、石破首相戦後80年所感に対する「識者評論」の中でそう述べている。昨年10月の沖縄タイムス紙にその記事(2025/10/16付け)はあった。
当時の「保守」や「リベラル」とは何だったろうか。大日本帝国憲法の下、国体、つまり天皇を中心とした国のあり方、が重んじられる時代だった。
当時の彼らにとって、保守とは、大日本帝国憲法が定める立憲君主制の枠組みを正しく維持することだった。統帥権の独立を盾に政治へ介入し事実上の独裁を目指した軍部の動きに対し、憲法が定める議会の権限や内閣の補助責任を逸脱していると批判した。
リベラルの立場は、国家総動員法などに対抗し、個人の自由や言論、議会の代表機能を重視する姿勢を意味した。軍部が掲げる、聖戦や、東亜新秩序といった抽象的なスローガンの欺瞞を突き、国民の犠牲や現実的な国益の観点から問い質した。
斎藤の除名に反対・棄権した、芦田、鳩山らは、戦時下であっても、議会での正当な批判という自由主義的ルールを守るべきだという信念を持っていた。
石破首相は戦後80年所感で、これら戦前の保守リベラルの系譜に触れた。軍部や世論の圧力に屈せず、議会人としての良識を貫こうとした人たちがいた、これこそが自民党の誇るべき源流である。石破首相はそう言いたかったのだ、と加藤氏は読み解いている。
1940年当時、彼らは、国家の暴走を止めるブレーキとはなり得なかった。日本は英米との戦争へと突き進んでしまう。
自公連立政権の時代、公明党は、平和主義(憲法第9条堅持)や、大衆の生活維持といった価値観に基づき、強力なブレーキとなり、自民党のタカ派的政策をマイルドにする役割を果たして来た。
昨年、その公明党が連立を離脱した。これから、この国はどこへ向かうのだろうか。私たち有権者は何を注視すべきなのだろうか。
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