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カテゴリー「時の話題」の検索結果は以下のとおりです。

自民党両院議員懇談会

自民党は、参院選の惨敗を受け、両院議員懇談会を開いた(7/28)。

在京六紙の社説は、揃って、これを採り上げた。タイトルを並べてみよう。

首相に辞任要求 続投こそが政治空白だ(東7/29)
自民両院議員懇 首相は党の信頼失墜望むのか(読7/29)
自民両院懇 続投表明の説得力ゼロだ(産7/29)
自民党は大敗の総括急ぎ解党的出直しを(経7/29)
自民の敗因 党への不信任 直視せよ(朝7/30)
自民の両院議員懇談会 大敗の反省がうかがえぬ(毎7/30)

前半の3つを読むと、自民党も自民党だが、新聞も新聞で、今回の参院選の結果が何を意味するのか、依然、分析が十分に進められていないように感じる。が、

後半3つは違うトーンを発している。そう、政権政党としての自民党こそ不信任を突き付けられたのだが、自民やその取り巻きは、それがわかっているのか、と。

「党への不信任 直視せよ」「大敗の反省がうかがえぬ」「総括急ぎ解党的出直しを」

解党「的」出直しなどと悠長なことを言ってないで、解党してしまえば良い、と思う。

さて、7/28週の六紙社説は、そのほかに、タイ・カンボジア停戦、台湾の政治対立、ガザの集団飢餓、列島各地で津波警報、FRB金融政策、海自と川重の癒着、ガソリン減税、教員の児童盗撮、日米新相互関税、などを話題にした。

六紙社説(サイト内)

参政党の支持者とは

先日の参議院選挙で躍進した参政党。どんな人たちが支持したのだろうか、と考察したサイトがあったので読んでみた。タイトルは、参政党の支持者はどこから来たか?(7/26)

「2類型」あるとのこと。

一つは、昨日も書いた、これまで投票所に行かなかった人。「いわば無関心層のうち、保守的な人の動員に参政党は成功した」。

もう一つは、元々は自民党支持でかなり右寄りの層。「自民党から参政党に移動していった人たちは強い保守層であり岩盤保守層だった」。

岩盤保守層は、リベラル色が強まった岸田政権の頃に、自民党から離れ始めた。「特に総裁選で高市氏が敗れた時の失望は大きかったようで」、離反は明確となり、自民党は直後に行われた衆議院選挙(2024年10月)で大敗する。

岩盤保守層は、自民党から離れて、参政党などあちこちに散らばった。もし大きな組み替えが起きれば「岩盤保守層が再結集して強い保守政権ができる」可能性がある。リベラルとしてはそれは避けたい。それで「石破政権の存続を願う」動きが起きている。

なお、この記事はCeronで知った。そのCeronは明日(7/31)終了するようだ。日々訪ねていただけにたいへん残念。2023年にtwitter版は終了したが後にbluesky版で再開。今回、本当に終了してしまうような気がする。

地殻変動の深層「石破やめるな」Ceron更新停止(いずれもサイト内)。参政党の支持者はどこから来たか?(7/26)、Ceron

「石破やめるな」

朝日新聞のサイトに、石破茂首相の続投を支持するデモの記事が出ていた(7/25)。併載された写真や動画では、「石破辞めるな」のプラカードが目立つ。ほかに「言葉の通じる総理が必要」や「石破さんのせいじゃない」などもある。「お前が辞めろ」には、唇の歪んだ帽子男や、キツネ目の女らの顔が描き込まれている。

一方、在京六紙の社説では、まったく人気がない。20日の参院選で、与党(自公)は過半数割れとなり、その翌朝には、社説タイトルに退陣の文字があった。

「首相は直ちに退陣を」(産7/21)、「首相続投は民意軽視だ」(東7/22)、「居座りで混乱を長引かせるな(読7/22)、「政権居座りは許されぬ」(朝7/24)、「国政の停滞回避へ石破首相は進退判断を」(経7/25)、そして「退陣不可避」(毎7/25)。

石破さんを引きずり降ろしてどうしようと言うのだろう。与党にもっと相応しい人がいると見ているのか。キツネ目の女とか? それとも、立憲民主党との大連立とか、野党勢力による政権交代とか、大きな変化を期待しているのだろうか。

この機に、もし自民党が分裂するなら、様々な組み替えを経て、政権交代可能な保守の二大政党制になる、なんてことにならないだろうか。ま、無理だろうな。

さて、7/21週の六紙社説は、参院選で与党大敗にもかかわらず首相が続投表明、それ以外では、美浜原発新増設、日米関税15%合意、クマ被害対策、参政党の人権軽視、セブン買収撤回、などを話題にした。

六紙社説、石破に陣中見舞い届かず(いずれもサイト内)。「石破やめるな」、首相官邸前でデモ 自民党内から退陣要求出る中で(7/25)

経営戦略をつくる

人によって戦略という言葉に対して受け止め方は、まちまちです。ある企業の経営幹部にヒアリングしたことがあります、戦略とは何ですかと。彼らが語る戦略をよくよく聞いてみると、中期計画や、企業理念、新規事業とポートフォリオmgmt、目標の連鎖、のことだったりしたわけです。

先日、ある人に、そんなことを書き送った。ここで言う戦略は、経営戦略のこと。

戦略には実に多くの意味がある。

私はこんな風に思っている。経営戦略とは、会社の大きな方針と、現場の作業を繋ぐ色んな仕掛けのこと。何かこれ一つ、ではなく、様々な要素を含んでいる、と。

では、もし、具体的に戦略をつくるよう命じられたらどうする。私なら、会社の強みを再確認し、かつ、その事業領域におけるkey success factor(KSF)を特定した上で、新規事業の開発と事業ポートフォリオmgmtを軸とした、中期計画を作成する。実際には先5年間の計画を立案することが多かった。

そういえば、最初に勤めた企業の中期計画は、3年計画だった、少し風変わりな。初年度の春に作成し、2年度は状況を鑑み見直しを行い、3年度は使用せずに、新たな中期計画をつくる。それを繰り返した。要するに毎年作業した。別途作成する年間計画と同じじゃないかという声はあった。いやいや、中期計画の方は、3年という、やや長い、戦略的な視座を事業計画へ盛り込むことを求められていたのだ。

戦略の未来戦略(いずれもサイト内)

王子製紙苫小牧工場

工場の操業は苫小牧の発展にも大きく影響を及ぼしている。

Wikipediaで王子製紙苫小牧工場の項を見るとそんな記載があった。

苫小牧が製紙の街ということは何となく知っていた。社会科で習ったように思う。今回実際に苫小牧市に滞在してみてそれを実感した。街の真ん中で大きな工場が稼働している。

工場は、苫小牧駅からすぐのところ。建屋の屋根に「OJI PAPER」と大書されている。新千歳空港(CTS)発着便からの視線を意識しているのだろう。工場のある区画は王子町。そこから東へ延びる道は王子通。それに沿って、同じ名を冠した施設、ホテル、スケート場、総合病院などが立ち並ぶ。駅の名前がよく王子駅にならなかったもんだ。

典型的な企業城下町だ。今となっては、一社だけでの繁栄ではない。市が大きな港を持ったこともあって、企業が多数集まって来ている。それは、明治時代から続く製紙産業が核としてそこに存在したことと無縁ではないはず(王子製紙苫小牧工場、1910年操業)。

第二次産業の主要な業種で百年保ったのは製紙だけ、という話を聞いたことがある。企業だけでなく産業にも浮沈がある。わが国の経済を牽引して来た産業は、百年前は、繊維いわゆる糸偏だった。戦後の成長期は、商社が頑張り、自動車産業の隆盛を待った。今では、そこへIT通信系が食い込んで来ている。その間、生糸や石炭など様々な産業が消える中、製紙はずっと健在だった。

企業城下町では、かつて大いに儲けて雇用を創出した会社が、産業の衰退に伴い、廃業するか著しく縮小するかして、街全体が息絶え絶えになっている例が少なくない。苫小牧はそうはならなかった。製紙産業は100年保った、を証明する街だ。

が、これから先、紙の需要はどうなる。製紙産業は安泰でいられるだろうか。

北海道、25年7月(サイト内)。王子製紙苫小牧工場王子軽便鉄道苫小牧市立中央図書館|Wikipedia

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