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2019年11月の記事は以下のとおりです。

古代文明と気候大変動

  • 2019/11/21 06:18
  • カテゴリー:読み物

粘土板に残された農耕民の暦から察するに、彼らは大災害をもたらす洪水や、川の水が低い年の兆候も見抜いていた。

紀元前5800年ごろのメソポタミア南部、農耕を営む人々が定住し始める。それから1千年のあいだに、共同体が成立する中で、古代メソポタミアの宗教が芽生えた。ブライアン・フェイガン著「古代文明と気候大変動-人類の運命を変えた二万年史」(河出文庫、08年)から(p208)。

「聖書」にはメソポタミア的なものが少なからず取り入れられていると聞いたことがある。例えば、天国の概念であり、捨て子の物語であり、そして、洪水伝説だ。人々の運命を左右する降雨や河川の水位は、古代の宗教において神々の所業と讃えられ、そして恐れられたのであろう。それが伝説となり、ユダヤ教など後の宗教が成立するまで長く語り継がれたということだろうか。

紀元前5千年紀 - Wikipedia

一茶

  • 2019/11/20 05:54
  • カテゴリー:読み物

一体に一茶は、瓦版の記事になるような出来事に、強く興味を惹かれるたちだった。火事があった、泥棒が入った、どこそこで心中があったという事件を聞きこむと、丹念に句帖の端に記した。のがさずに書いた。

いわゆるメモ魔だ。生涯に二万句を詠んだと言われる。そのアウトプットを支える膨大なインプットがあったことは想像に難くない。引用は、藤沢周平著「一茶」(文春文庫、81年)から(p177)。この評伝では全編に渡って一茶の句が引かれている。おれが知っているのは、唯一、目出度もちう位也おらが春(p293)のみだった。

三屋清左衛門残日録(サイト内)、小林一茶 - Wikipedia、夏目成美、鈴木道彦、浅間山の噴火(p37、1783年、天明噴火)、乳母が前もくぞう蟹のごとくなり(p73)

ヤフー・LINE 統合

GAFAとBATに続く第三極だと評価されるようなシナジーを生み出したい。

ヤフー側のトップがそう言ったとか。ヤフーとLINE、統合の裏に「GAFAに負けっぱなし」への危機感 世界で勝つ戦略とは?(Yahoo!ニュース、11/19 5:05)から。

第三極を口にするぐらいだから、そこそこデカいのだろうか。他の記事で、時価総額ランキングを見付けた(数字は兆円)、「世界のテック巨人に危機感」ヤフー・LINE統合(日本経済新聞電子版、11/18 22:15)。ヤフーのZホールディングスとLINE、その時価総額は合算して 3.2兆円。米中のジャイアンツらとは比ぶべくもない。桁が違う。だいぶ巨大な「シナジー」が求められそうだ。

Apple、128.4
Alphabet(Google)、100.1
Amazon.com、93.8
Facebook、60.5
Alibaba Group(阿里巴巴集団)、52.7
Tencent(騰訊)、42.5
Meituan-Dianping(美団点評)、7.8
JD.com(京東集団)、5.3
Baidu(百度)、4.4
NetEase(網易)、4.1

休場続出、19年九州場所

体重増によって、膝や足首への負担ばかりか、スタミナ切れで稽古が減っている

それが休場力士が増えている一因と舞の海秀平氏が指摘していた。本来であれば、稽古を積むことによって、身体が瞬時に反応し大怪我を避けているのだが、それができなくなっていると。ここ20年で幕内力士の平均体重が10kg増えているそうな。『マイあさ!』スポーツトピックス「大相撲九州場所中盤戦展望」(NHKラジオ第1、11/16 7時台)から。

休場力士の体重を見てみよう。きのう土俵入り後に急遽休むことになった高安を含め幕内で7力士が休場。その内、偶発的に生じた怪我の若隆景(125kg)は比較的軽量。あとの6人はどうか。幕内力士42人の平均体重162kgに対して、鶴竜(161kg)と豪栄道(〃)はほぼ平均値、あとは軒並み、平均を大幅に上回っている。高安(176kg)、栃ノ心(178kg)、友風(181kg)、そして、逸ノ城(224kg)。値は、10月28日のデータに基づく。

力士データ|dメニュースポーツ相撲は本当に体重が重い方が有利?

首里城正殿構造模型

丘陵地にある正殿に及ぼす風の影響が懸念されたため、木造部会では模型を使った風洞実験や、伝統的な継手・仕口の原寸大模型での強度実験を行った。

1988年の作業とある。この時の模型が、師匠が「観る価値がある」と言っていた構造模型に違いない。首里城址駐車場のビルに展示されていると聞いた。引用は、「国建の半世紀-創業50周年記念誌」(2010年)、第2部の3「首里城を復元する」から(p128)。

過日、首里城址を訪れた際に、レストハウス「首里杜館」の総合案内所で訊ねた、首里城正殿の構造模型が、この辺りに展示されていると聞いたのですがと。「はい、ここにありました。が、5年ほど前に展示場所を正殿へ移しましたので今はありません」と女性スタッフが教えてくれた。では今回の火災でそれも燃えてしまったのですね、と確認すると、それには応えたくないのか彼女は黙ってしまった。その困ったような顔を見ておれはそれ以上何も言わなかった。

折も折、別の模型が、沖縄県立博物館美術館にあることを昨日知った。こちらは1952年に制作されたものらしい。こちらもスケール 1/10。

「国建の半世紀」有朋自遠方来、19年11月(サイト内)、世界遺産!首里城へ行ってきた首里城正殿の骨格模型首里城正殿構造模型1952年に製作された首里城の精巧な模型を展示初公開の首里城は鳥肌もの

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