卒業
- 2018/12/20 07:33
- カテゴリー:読み物
しきりにそれに関する質問をしてくる。まるで話上手とは相手の自慢話を聞くことだということを心得ているかのようだ。
東野圭吾著「卒業-雪月花殺人ゲーム」(講談社、86年)から(p256)。映画版「祈りの幕が下りる時」を観る機会があり、加賀恭一郎シリーズの原作を最初から読みたくなった。この「卒業」は、年末年始(市立図書館の休館期間 12/17-1/10)に読もうと何冊か借りて来たうちの一冊。主人公の加賀がまだ大学生の頃のお話。
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2018年12月の記事は以下のとおりです。
しきりにそれに関する質問をしてくる。まるで話上手とは相手の自慢話を聞くことだということを心得ているかのようだ。
東野圭吾著「卒業-雪月花殺人ゲーム」(講談社、86年)から(p256)。映画版「祈りの幕が下りる時」を観る機会があり、加賀恭一郎シリーズの原作を最初から読みたくなった。この「卒業」は、年末年始(市立図書館の休館期間 12/17-1/10)に読もうと何冊か借りて来たうちの一冊。主人公の加賀がまだ大学生の頃のお話。
アメダスによると、きのう(12/18)15時、那覇の気温は19.0度、その後三時間おきに、18.0、17.1、16.2、と推移。日付が変わって未明3時は14.7、6時14.2。そろそろ底で上昇するかと思いきや、7時13.4、さらに13.3(07:37)まで下がって反転、8時14.0となった。平年値のリストを見ると、2月上旬の日最低気温は14.1度。今朝は、それを下回って、真冬の寒さとなった。予報では、日中は23度まで上がるらしい。
沖縄県立図書館が、12/15(土)、那覇バスターミナルのビルに新たに開館。さっそく訪ねて何冊か借りて来た。帰りがけに、記念品のトートバッグをもらった。それには英文の詩のようなものが印刷されている。The Five Laws of Library Science, S. R. Ranganathan とあり、調べてみると、「図書館学の五法則」と言われているようだ。5行から成る。
何を言っているのか、にわかに理解できなかったりするが、4. に至ってこれは図書館スタッフの行動規範ということが判る。これをプリントしてユーザに配るのだから、新装オープンした図書館の意気込みを宣言していると見るべきなんだろう。そう踏まえて(意)訳してみよう、例えばこういうのはどうだろうか。
なぜか『3年が一区切りだった』と語る人が多い」という発言にも興味を持った。やはり1年や2年ではなく、また5年という話も聞かない。なぜか1クール3年なのだ(略)。一つの立場で物事をなすためには、3年程度の時間が求められるのだろう。
楠木新著「定年後-50歳からの生き方、終わり方」(中公新書、17年)から(p114)。大工や寿司職人などが一人前になるのに必要な10年程は3年が3クール、大学と大学院で3年が2クール、と、3年の組合せで捉えることができる、そんな風に書いている。
おれにとっての一区切りは、6年でやって来る。周りにもそう言って来たしここにも書いたことがあったと思う。意識し始めたのは、会社での研究所勤めがちょうど6年で終わったときだ。考えてみると、幼少期や、小学校、中高、大学と大学院、6年ずつで計24年。就職して研究所勤めに6年。果たして、その後も6年間が一区切りとなる、事業部へ転勤して6年、結婚して転職の準備とその試行に6年。そして、2005年、42歳の春、再度の転職で新しいシリーズを迎える。ここで、自身のホームグラウンドで本格的な事業づくり、全く未知の領域で事業づくり、各々に、やはり、6年ずつ費やした。今は、還暦に向かう6年間の中にいる。
# クール〖(フランス) cours〗放送で,連続番組の一区切りの単位。一三週(三か月)が一クール。出典:大辞林第2版
1) 1日は二つの元号に分かれることになり、国民生活に不便をもたらす、2) 厳密に何時何分に改元されたのか特定できない
もし、即位の日(5/1)に改元を施行するとそのような問題が生じるため、改元は翌 5/2 とする、と政府は考えている模様。Yahoo!ニュースに掲載の共同通信 12/16(日)2:00 配信から。
改元の日時について、直近の四つの元号に限って、少しまとめてみた。他意はない。シリーズ放送中の歴史再発見「元号文化の歩み」(NHKラジオ第二)などを参考にした。
明治改元。いつ明治へ改元されたのか。明治天皇即位の後、という考え方とは別に、その年、旧元号では慶応4年、の元日まで遡って改元されたと解釈する説がある。なぜなら、改元の詔書(9月8日)に、慶応4年を改めて明治元年となす、とあるからだ。いつ改元されるかは、その後、法令で決められる。旧皇室典範(明治22年)第12条で「践祚の後元号を建て」となった。践祚(せんそ)は、即位のこと。さらに、登極令(明治42年)に、天皇践祚後は「直ちに」元号を改める、と時期が明記された。
大正改元。明治天皇崩御は、明治45年7月30日午前0時43分、というのが公式見解。実際には、日付が替わる少し前だった。登極令にある通り「直ちに」作業を進めようとすると、その日の内に残された時間はわずかしかない。時の政府は、一日先送りするという現実的な選択をしたのだ。古来より、死の公表を遅らせることは珍しくはなかったという事情もある。喪を秘す、と表現される。結局、7/30 に崩御、同日、践祚、改元となった。旧皇室典範に基づき、初めて、改元の日が特定された。
昭和改元。大正天皇は、大正15年12月25日午前1時25分に崩御。同日、新天皇が践祚、昭和に改元された。改元の日は、12/25 とはっきりしている。が、その日は、大正と昭和が混在することになった。果たして改元は何時何分だったのか、同日午前0時まで遡るなど諸説あり、後々まで議論されることになった。
平成改元。昭和64年1月7日、昭和天皇崩御。同日、新元号「平成」が公布され、その施行は翌8日午前0時から、とされた。「直ちに」と定めた登極令は既にない。ここに至って、改元の日時、何時何分、が明確化されることになった。