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2018年12月16日の記事は以下のとおりです。

改元は、5/2 か

1) 1日は二つの元号に分かれることになり、国民生活に不便をもたらす、2) 厳密に何時何分に改元されたのか特定できない

もし、即位の日(5/1)に改元を施行するとそのような問題が生じるため、改元は翌 5/2 とする、と政府は考えている模様。Yahoo!ニュースに掲載の共同通信 12/16(日)2:00 配信から。

改元の日時について、直近の四つの元号に限って、少しまとめてみた。他意はない。シリーズ放送中の歴史再発見「元号文化の歩み」(NHKラジオ第二)などを参考にした。

明治改元。いつ明治へ改元されたのか。明治天皇即位の後、という考え方とは別に、その年、旧元号では慶応4年、の元日まで遡って改元されたと解釈する説がある。なぜなら、改元の詔書(9月8日)に、慶応4年を改めて明治元年となす、とあるからだ。いつ改元されるかは、その後、法令で決められる。旧皇室典範(明治22年)第12条で「践祚の後元号を建て」となった。践祚(せんそ)は、即位のこと。さらに、登極令(明治42年)に、天皇践祚後は「直ちに」元号を改める、と時期が明記された。

大正改元。明治天皇崩御は、明治45年7月30日午前0時43分、というのが公式見解。実際には、日付が替わる少し前だった。登極令にある通り「直ちに」作業を進めようとすると、その日の内に残された時間はわずかしかない。時の政府は、一日先送りするという現実的な選択をしたのだ。古来より、死の公表を遅らせることは珍しくはなかったという事情もある。喪を秘す、と表現される。結局、7/30 に崩御、同日、践祚、改元となった。旧皇室典範に基づき、初めて、改元の日が特定された。

昭和改元。大正天皇は、大正15年12月25日午前1時25分に崩御。同日、新天皇が践祚、昭和に改元された。改元の日は、12/25 とはっきりしている。が、その日は、大正と昭和が混在することになった。果たして改元は何時何分だったのか、同日午前0時まで遡るなど諸説あり、後々まで議論されることになった。

平成改元。昭和64年1月7日、昭和天皇崩御。同日、新元号「平成」が公布され、その施行は翌8日午前0時から、とされた。「直ちに」と定めた登極令は既にない。ここに至って、改元の日時、何時何分、が明確化されることになった。

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