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キーワード「棟田博」の検索結果は以下のとおりです。

拝啓カアチャン様

  • 2021/01/03 07:00
  • カテゴリー:読み物

一に通信、二にラッパ、三に薬莢のしりたたき、特別番外、馬にハト

歩兵連隊の中で、スカせる(楽ができる)ランキング。番外の馬当番と通信鳩担当はとりわけ楽ができる。薬莢の尻叩きは小銃を撃つことつまり歩兵本科。引用は、「棟田博兵隊小説文庫」第7巻(光人社、74年)から(p55)。解説に「資料的価値に富む」とある。物語としても随分面白い。

本書に収載された「拝啓カアチャン様」(初出63-64年)は馬当番の長編、「ポッポ班長万歳」(同60年)はタイトルの通りハト兵の短編、馬とハト、楽できるはずなのだが・・・。いずれも岡山歩兵第10連隊の兵営を主たる舞台にしている。一方、第三話の「サイパンから来た列車」(同55年)は東京駅から話が始まる、まったく毛色の違う話。

棟田博(サイト内検索)。ものかは、ゆくりなく、よそながら、メートルを上げる、小間物店を開業。小畑敏四郎|Wikipedia

海軍めしたき物語

  • 2020/11/11 06:51
  • カテゴリー:読み物

水加減といっても、シャバの一般家庭の小さな釜と同じだったことには驚いた(略)、だいたいのところ手のくるぶしの上位ということ

戦艦の烹炊所では、化学プラントの反応釜のような装置で飯を炊く。高橋孟著「海軍めしたき物語」(新潮文庫、82年)から(p116)。最近、棟田博の一連の著作を読む内に、この本のことを思い出し図書館で借りた。「面白半分」で連載(77年1月-79年3月号)を読み、単行本(79年8月刊)も読んだ。無性に懐かしい。

この文庫版には足立巻一による解説が付いている。出版の年、82年は、足立の名著「虹滅記」が刊行された年でもある。

1263夜『やちまた』(サイト内)、面白半分|Wikipedia

台児荘

  • 2020/10/19 06:34
  • カテゴリー:読み物

まったくおかしな状況だ。えらいひとの作戦はわからんが、せっかく、占領したと思うと、すぐそこを捨てて帰ったり、右を攻めよったと思うと、左へ攻撃を転じたり、なにがなんだか、わからん状況になってきた。

「えらいひと」の一声で、下々は右往左往させられる。「棟田博兵隊小説文庫」第3巻(光人社、80年)の「台児荘-続々分隊長の手記」(初出41年)から(p11)。著者の分隊が属した第10歩兵連隊は編成地が岡山だった。「こらこら、おおきいのばかり取ったらおえんぞ」「満月じゃ。まん丸じゃ。きょうは旧は何日じゃろなあ」、と岡山の言葉遣いがあちこちに出て来る。

私たち戦中派は「台児荘」という言葉をきくだけで、大変だったなア、という感慨が、すぐに、深く、胸にくる。と、伊藤桂一は本書の解説を始めている。そう言えば、久生十蘭著「生霊」で語られる「関原準尉」は、「台治荘の滕県城で戦死」したのだった。

拝啓天皇陛下様生霊(いずれもサイト内)。崔顥「黄鶴楼」(p89)、李白「登金陵鳳凰臺」。台児荘の戦い|Wikipedia。

宇垣一成

  • 2020/10/15 06:33
  • カテゴリー:読み物

人は誰しもみな、多かれ少なかれ毀誉褒貶のなかに生きている

棟田博著「宇垣一成-悲運の将軍」(光人社、79年)、あとがき(p224)から。本書は評伝ではあるけれど、あたかもフィクションそれも大層良質なフィクション、例えば J・ヒギンズの「鷲は舞い降りた」、のようだ、読み終えてそんなことを思った。

宇垣一成の評価は定まらない。ひとえに毀誉褒貶の程度が「超特級」であったからと著者は書く。反宇垣派が、槍玉に挙げるのは、宇垣軍縮(25年)であり、三月事件(31年)である。しかし、その軍縮は、実質ほとんど縮小せず、「軍を近代化へ導いた」とその貢献が評価されもする。また三月事件は、それがクーデターを企図したものでありながら、「未遂に終わったのを惜しむ声が少なくなかった」。宇垣という大器が総理になれなかったことに、「死児の齢を数えるに似た悔恨」を抱く人物もあった、その後の悲惨な戦争を避け得たのではないかと。

拝啓天皇陛下様(サイト内)。「温故知新」の掛軸、「岡山大学建設用地」の木札

拝啓天皇陛下様

  • 2020/10/09 06:02
  • カテゴリー:読み物

きのうが無事にすぎたという事実は、きょうもまた無事にすぎるのではないかという希望をいだかせるものである。

「棟田博兵隊小説文庫」第6巻(光人社、80年)に収載の「拝啓天皇陛下様」(初出62年)から(p118)。同名の映画(松竹、63年)を、渥美清の代表作にあげる人は少なくない。その原作が最寄り図書館にあったので読んでみた。これは面白い。解説にも、ユーモア小説としても「当代第一級」と記されている。

慣れ親しんだ地名が随所に登場する、半田山、奉還町、旭川などなど。それもそのはず、そこは、おれが学生時代の6年間を過ごした街だ。我が母校(49年発足)は、著者らが応召した陸軍師団の兵営跡地に建設されたのだ。建設と言っても、当初、教室など大学施設には「兵隊屋敷」を流用したようだ。入学した81年、主要な棟は既に建て替え済みだったけれど、当時でさえ、元は兵舎の古い木造が構内のあちこちに残っていた。身近なところでは、オーケストラが練習場にしていたボックス棟や、保科先生の宿所に使った建物、合宿所と言ったかな、それに、書籍部が入っていた平屋建て。確か、大学の本部棟もそうだった。農学部の裏手にも何棟かあった。隅の方にあった男子寮も木造だった。あれから40年、師団時代の建築からだと百年を超える、今はどうなっているだろうか。またその内に、新旧の地図や航空写真で確かめてみよう。

# 営門通り(大学筋)、師団道(国道53号線)、練兵場(運動公園)、万町の踏切、一人一殺(血盟団事件、五・一五事件)、台児荘戦(38年)、宇垣一成、おそれ多くも、わやく、物干場、三装の乙、ポコペン(不彀本)、死了(スーラ)、明白(ミンパイ)。今昔マップ on the web地図・空中写真閲覧サービス

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