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2020年06月の記事は以下のとおりです。

藤井七段棋聖戦五番勝負へ

中学生と戦う心の準備は出来てない。せめて高校生になってからにしてよ

そんなことを渡辺明三冠が、当時、「天才藤井聡太」(松本博文ら著、文藝春秋、17年)の中で述べていた。その渡辺三冠に挑む藤井七段は、今、高校三年生。棋聖戦五番勝負第一局は来週月曜日(6/8)。棋界に藤井時代到来、それを印象付ける勝負になるだろう。

天才藤井聡太(サイト内)、棋聖戦 藤井聡太七段 最年少でタイトル挑戦 31年ぶりに更新へ(6/4)

どんぐり

  • 2020/06/04 06:45
  • カテゴリー:読み物

寺田寅彦の随筆で忘れられない一篇がある。タイトルは「どんぐり」。妻を若くして失う。結核だった。忘れ形身の子が、こいもこいも(これもこれも)と、どんぐりを数える声が切なく響く。

亡妻のあらゆる短所と長所、どんぐりのすきな事も折り鶴のじょうずな事も、なんにも遺伝してさしつかえはないが、始めと終わりの悲惨であった母の運命だけは、この子に繰り返させたくないものだと、しみじみそう思ったのである。

話はそう終わる。悲惨であった運命、始めと終わりとある。終わりは病に関わることだろう。始めはどういうことだったのだろうか。当初読んだ時にも気になった。この度検索してみてそのことに言及しているサイトを見付けた。名前からすると親戚筋の方だろうか。

夏目漱石先生の追憶(サイト内)、寺田寅彦「どんぐり」|青空文庫「団栗」:寅彦と夏子、一瞬の夏、永遠の夏|寺田泰比古研究室

夏目漱石先生の追憶

  • 2020/06/03 06:55
  • カテゴリー:読み物

ずいぶん熱心に句作をし、一週に二三度も先生の家へ通ったものである。そのころはもう白川畔の家は引き払って内坪井に移っていた。立田山麓の自分の下宿からはずいぶん遠かったのを、まるで恋人にでも会いに行くような心持ちで通ったものである。

漱石との出会いを記した、寺田寅彦の随筆を読んだことがある。タイトルに、確か、夏目漱石の文字が入っている。青空文庫で確認した、「夏目漱石先生の追憶」だ。強く印象に残っている、まるで恋人云々の箇所を抜き書きした。

引用部分にある、立田山麓の下宿から内坪井の漱石宅まではGoogleマップで2キロ半ほど。現在なら徒歩で半時間。明治の当時であれば、どのくらいの時間がかかったんだろうか。

「夢十夜」第六夜(サイト内)、寺田寅彦「夏目漱石先生の追憶」|青空文庫寺田寅彦 - Wikipedia

「夢十夜」第六夜

  • 2020/06/02 07:12
  • カテゴリー:読み物

自分は積んである薪を片っ端から彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵しているのはなかった。ついに明治の木にはとうてい仁王は埋っていないものだと悟った。それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った。

この第六夜の最後が何を意味するか、あらためて、考えてみた。ここまでの話はこうだ。主人公(自分)は、仁王像を刻んでいる運慶を見物に行く。見事な出来栄えに、よく思うように眉や鼻が刻めるもんだと呟くと、作るんじゃなくて木の中に埋まっているのを掘り出しているだけだ、と近くにいた若い男に言われる。それなら誰にでも出来るとばかり、実際に自分でもやってみる。

若い男が言うことをその言葉通りに受け取ったことが間違いだった。本当は木の中に仏像が埋まっているわけではなく、あたかも土の中の石を掘り出すかのように、それ程までに運慶の腕前が達している、と彼は言ったまでのことだったのだ。仁王像は、芸術性や真理を象徴する物だろう。誰でも掘れば見付けられる安易なものではなく、才能がある者のみが見出すことができる。運慶の昔から「今日まで生きている」不変の道理だ。主人公はそのことに気付いた。

「ほぼ解った」と終わる。なぜ、ほぼ、なのか。漱石は自身が芸術家や科学者ではないので彼らに対する気遣いがあったろう。その遠慮が、作者漱石の投影である主人公にほぼと言わせたのかもしれない。弟子の一人、物理学者の寺田寅彦に、君はどう思うかねと訊ねる姿が目に浮かぶようだ。

蜜蜂と遠雷(サイト内)、夏目漱石「夢十夜」|青空文庫

蜜蜂と遠雷

  • 2020/06/01 07:19
  • カテゴリー:音楽

君は元々知っていたんだ。たぶん、僕らは君に教えているわけじゃない。元々君の中にあったものを、君に思い出させているだけなんだ。

師匠は、大昔の立派な仏師の挿話を引いて、優れた弟子に対してその才能の高さに賛辞を贈る。その仏師とは、おそらく、運慶のことなのだろう。恩田陸著「蜜蜂と遠雷」(幻冬舎、16年)から(p239)。全編、ピアノ弾きコンクールの物語。いい話を読んだ。

夏目漱石が「夢十夜」の第六夜で、運慶のことを書いている。「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」。

漱石が見た芸術と科学の美(サイト内)、生活者の音楽(p53)、天才に対する凡人の屈折した優越感(p142)、オーケストラ・リハーサル(p450)、審査結果(p508)、中村紘子著「チャイコフスキー・コンクール」

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