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2023年01月の記事は以下のとおりです。

イミテーション・ゲーム

「みんなはノーって言うね」「あなたはみんなじゃない」

ベネディクト・カンバーバッチ扮するアラン・チューリングが刑事に訊ねられる、「マシンは考えるのか」と。映画「イミテーション・ゲーム」(米、2014年)から。副題、エニグマと天才数学者の秘密。

キャスティングは良好。エニグマの解読をピークとするドラマ性もある。ただし、筋書きは単純過ぎるほどに単純。偉人の一生をシンプルに描く、それが制作側が意図したことだったのだろう。無理して、反戦のメッセージを読み取る必要もないし、性的少数者の虐げられた歴史に光が当てられたと考えることもないように思う。

「時の娘」の読後に色々見ている際、カンバーバッチの名を見かけた。彼は15世紀のイングランド王・リチャード3世の血縁であることがDNA分析により判明したとか。

ジョーン・クラーク役のキーラ・ナイトレイは、つい先日観た「はじまりのうた」に出ていた。独特のチャーミングな歯並びですぐその人だと判った。

時の娘はじまりのうたABEMA(いずれもサイト内)。リチャード3世 (イングランド王)|Wikipedia、カンバーバッチさん、リチャード3世の血縁と判明

国内マスコミの根本課題

日本のマスコミの特徴は、情報ソースの元に密接な関係を持って、警察関係なら警察庁、外交関係なら外務省、その説明を重視し、そのブリーフを主として報道する。独自で調査、勉強する部分は、外国のメディアに比べて非常に小さい。そうすると、どうしても、外務省や警察庁の説明で新聞の紙面が作られる。そういう傾向がある。

高橋和夫、孫崎享両氏の問答。北方領土の返還は客観的に見てかなり厳しい。が、そう伝える国内メディアはない。「国民に対してあまり正直ではないのでは」と高橋氏が問う。引用はそれに対する孫崎氏の答え。

PRESIDENT Onlineの記事(1/2)を読み、似たような話をいつか聞いたなぁと思い、昔の音声ファイルを探した。放送大学の講義の中にあった。高橋氏による領土問題の講義に孫崎氏がゲスト出演していた。

PRESIDENTのその記事は、日本の記者クラブについてその課題を論じている。日本の個別の記者クラブは、官公庁や、政党、大企業ごとに細かく分けられ、所謂「縦割り」になっている。そのため、クラブに所属する記者たちは、傾向として、問題意識が官僚らと同じになる、日々お世話になっている組織へ忖度する、そして、専門バカになり分野が少しでもずれるとニュース性すら判断できない、と。

日本のメディアにおいて、ジャーナリズムは正常に機能しているのだろうか。だいぶ怪しそうだ。報道に接する側の我々は、常に、眉に唾しておかねばならない。

なぜ被害者たちは「日本記者クラブ」ではなく「外国特派員協会」を選ぶのか…国内マスコミが抱える根本課題(PRESIDENT Online、1/2)、第12回「北方領土問題」▽国際理解のために(放送大学ラジオ、2013開講、2019改訂)高橋和夫(2019/12/18)、報道におけるタブー|Wikipedia

薔薇の殺意

無責任なお楽しみは、すべてあなたたちの物だ。何かないかときょろきょろしていれば、突飛で残酷な事件がいくらで生まれて来る。自分さえ安全な場所にいるなら、どんなすさまじい光景でも喜んで眺めていようという、それがあの化け物の正体だ。

氷沼蒼司(仲村トオル)が言う。犯人探しの探偵ごっこは、他人が不幸に見舞われるのを見て喜ぶ高みの見物と根が同じではないかと非難する。引用は、NHKのドラマ「薔薇の殺意~虚無への供物」(1997年)から。

まさかもう一度観られるとは思ってもみなかった。深津絵里を初めて目にしたのはこのドラマでだった。そのことを思い出してwebで検索してみたところ、幸いYouTubeに登録されていた。総合テレビ版(74分×3話)。

八田皓吉(國村隼)が、初対面の奈々村久生(深津絵里)に「いやぁ噂通りの別嬪さんですなぁ」と関西弁で言う。実際この頃の深津さんは麗しさが輝いている。このドラマの中ではヘップバーンと比べられていたし、何かの批評で久我美子の再来と称賛されているのを読んだ覚えがある。

悪人、「テレビ・トラベラー」(いずれもサイト内)。ドラマ「薔薇の殺意~虚無への供物」<6回シリーズ>(BS日曜ドラマ、NHK-BS2、1997/1/26-3/2 21:00-21:44)、<3回シリーズ>(NHK総合、1997/9/21・9/28・10/5 01:00-02:14)、ヴァン・ダイン著「カナリア殺人事件」、梶原善、虚無への供物|Wikipedia

革命的半ズボン主義宣言

  • 2023/01/03 06:26
  • カテゴリー:読み物

全体が見渡せないで、気がついたらズーッと自分の前にブラ下がっている"義務"という不思議なものの存在を、疑うことなしに受け入れて、その"義務"と自分とを何かがつないでいる筈だと勝手に思いこんで、その間の欠落を"使命感"というもので埋めるというのは、自分で自分の首を締めてるようなもんです。

使命感なんか発明したから全体像が見渡せる別の地点へ一歩身を引くことができなくなってしまった。橋本治著「革命的半ズボン主義宣言」(冬樹社、1984年)から(p227)。読みたい本リストの底の方にあった。この本のことを何で知ったのか覚えていない。

著者は「私が書いた本の中で一番分りの悪い本である筈」(p264)と書いているし、読む側のこちらの理解度にも問題があって、この本、よくわからん。「夏の暑さに半ズボンを穿かない」をキーワードに、義務、特に男の義務、について縷々考察しているようなのだが。

# 橋本治(1948-2019)

悪人

今まで生きとるかも死んどるかも、よお分からんかった。

祐一(妻夫木聡)が吐き出すように言う。李相日監督の映画「悪人」(2010年)から。吉田修一著原作。いい役者が揃った、特に光代に扮する深津絵里がたいへん良い。

色んな人が「悪」を口にする。舞台となった九州の言葉で。「おまえは悪なか」「あんたが悪かわけじゃなか」「わたしのせいね」「悪かことしたと思とるさ」「太か(悪か)人間に育ててくれたよ」「あまえが悪いって言うたがありゃ間違えとった」「あの人、悪か人じゃなかと」「うちが悪かと」「あの人は悪人なんですよね」。

各々の自覚もあれば、他人からの評もある。誰一人として清廉潔白な者はいない。一人一人の小さな悪意が積み重なって、知らず知らずの内に大きな「悪」に育って行く。それがいつかどこかで姿を現す。

日の出を見る最後のシーンでも流れる音楽はオリジナルだろうか。何かに似ているような気がする。そうそう、ブラ4(ブラームス作曲交響曲第4番)だ。第1楽章の第1主題。この映画の音楽担当者を確認した。ああ、その人か。他人の作品に取材したとしても不思議じゃない。ここにも小さな悪意が潜んでいるかもしれない。

ABEMA(サイト内)。悪人 (小説)|Wikipedia、オマージュ・パロディー・パクリ、五島市福江島の大瀬崎灯台、クライバー(WPh、1980年)、ラトル(BPh、2008年)

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