カッコウの卵は誰のもの
- 2019/09/05 22:24
- カテゴリー:読み物
東京オリンピックに出るのが夢で、がむしゃらに練習したものですよ。だけど予選で大失敗をやらかして、最終選考に残ることもできなかった。それで地元に戻って、
64年の大会のことだ。来年の東京大会でも夢破れる人が多く出るんだろうな。引用は、東野圭吾著「カッコウの卵は誰のもの」(光文社、10年)から(p261)。小説の内容は今ひとつか。一枚の写真から調査を進める箇所(p252-265)に興味を持った。
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2019年09月05日の記事は以下のとおりです。
東京オリンピックに出るのが夢で、がむしゃらに練習したものですよ。だけど予選で大失敗をやらかして、最終選考に残ることもできなかった。それで地元に戻って、
64年の大会のことだ。来年の東京大会でも夢破れる人が多く出るんだろうな。引用は、東野圭吾著「カッコウの卵は誰のもの」(光文社、10年)から(p261)。小説の内容は今ひとつか。一枚の写真から調査を進める箇所(p252-265)に興味を持った。
その中心が、宮古島の真上を通って北上中。図は、気象庁のサイトからキャプチャーした。はっきりと判る台風の目、その中に宮古島がすっぽり入っている。那覇では、明日、未明から朝にかけて風雨がピークになる模様。
相次ぐ変電所の建設を受けて、大正7年(1918)には苛性ソーダ製造の旭電化工業(現ADEKA)が川沿いに大きな工場を建てるなど、いくつもの工場が進出した。
あの会社が荒川区のあの場所を選んだのはそういう事情だったんだな。水運そして電気分解のための電力を確保した。時代が下り、自前の発電所を持った化学メーカーは少なくない。引用は、今尾恵介著「地図で読む昭和の日本」(白水社、12年)から(p259)。副題、定点観測でたどる街の風景。
その地に相次いで建設された変電所というのは、例えば、利根川変電所や、猪苗代水電変電所(現田端変電所)、鬼怒川水電変電所(現尾久変電所)など。名前からして、遠くの水力発電所から首都東京へ送電されたことが判る。長距離送電が実用化されたのは明治末だったとか。