お知らせ

メール送信フォームを設けました。ブログ記事への問い合わせなどにご利用下さい。

 

エントリー

2021年03月の記事は以下のとおりです。

Re: 石の星座

  • 2021/03/16 06:49
  • カテゴリー:読み物

その人の一生の事歴をたどって墓前に立つと、いかにも墓がその人の生涯にぴったりしているという感銘を受けることが多い。あるいは逆には墓を知って、その人の生涯を考え直すということもある。わたしは墓に、霊魂が眠っているとは信じない。しかし、墓にはその人の全体像が凝縮していると思われることが多く、それで墓めぐりをするのである。墓はたいてい石を用いて作られている。石たちの造形は、そこに完結した人の生涯を象徴するかのようである。

「富本憲吉の遺言」は、冒頭、墓めぐりの小見出しで始まる。足立巻一著「石の星座」(編集工房ノア、1983年)から(p138)。「富本~」の初出は1974年9月。

本書で著者は、富本憲吉のほか、富岡鉄斎、村上華岳、三好好太郎、佐伯祐三、小出楢重、吉原治良らの生涯をたどり墓を訪ねる(1973-75年)。墓石の写真が掲載され、一風変わった評伝になっている。

いつだったか、先祖の墓碑を調べたことがあった。5代前まで遡ることができる。おそらく分家の始まりだろう、その戒名は、だいぶ摩耗しているけれど判読可能。没年の年号は文久と読める。俗名はわからない。特に言い伝えもなく、「その人の生涯を考え」ようにも想像が及ばない。墓石に刻まれた文字を見て頭に浮かぶことは、ああ幕末の頃を生きた方なんだな、ぐらいのことだ。

石の星座(サイト内)。石の宝殿(p171)

処方薬局にて、21年3月

二週間ほど前のこと、少し遠回りしていつもとは違う処方薬局へ行った。いつだったか前を通りがかった折に扉にクレジットカードのマークがあるのが目に入ったので一度行ってみようと思っていた。その日、ジェネリック薬50mgを切らしているとかで、薬剤師に25mg×2錠をすすめられた。それを日数分もらって帰った。

帰宅後つらつら考えた。毎日1錠だったのが2錠になる、これは間違えそうだな、それに、今見ると、25mg錠のメーカーは世を騒がせている日医工ではないか。薬店へ電話した、処方通りの50mgに交換してもらえないか、それも他のメーカー、例えば〇〇か〇〇でお願いしたいと。特に支障なく受け入れられて、入荷したら連絡しますとの応答だった。

後日連絡があり交換しに行った。なんと、返金があった。それってどういうことだ、1錠の代わりに2錠を押し付けておいて、高い金額を取ったということか。文句言ってやろうかとも思ったけれど、受付の人は、事情を知ってか知らずか、やけに低姿勢なので何も言わずに帰ったのだった。

ところで、日医工の処分(医薬品製造停止32日間など)の件、各紙、社説で書き立てても良さそうなものだけれど、六紙では昨日1本出たのみ。もしかして、ジェネリック薬大手はたくさん広告出稿してるのだろうか。小林化工の事件(処分は業務停止116日間など)については6本あった(朝1毎2読2産1、20/12/19-21/2/11)。

日医工に業務停止 後発薬の信頼を取り戻せ(産経、3/14)

石の星座

  • 2021/03/14 06:50
  • カテゴリー:読み物

花隈の華岳邸には、おびただしい蔵書があった(略)。日本人の詩集も多く川路柳虹・千家元麿・日夏耿之介・萩原朔太郎・竹内勝太郎・宮澤賢治などの詩集が目立ち、そのかわり小説類はほとんどなく、あってもほとんど開いてなかった

宮澤賢治の詩集、それは、もしかして「春と修羅」(初版、關根書店、1924年)のことだろうか。「つねに思い悩んだ画家」華岳はそれを蔵書していたのだろうか。引用は、足立巻一著「石の星座」(編集工房ノア、1983年)に収載の「村上華岳自筆墓誌」から(p65)。1975年11月初出。

華岳と同世代の詩人である、柳虹や、元麿、耿之介、朔太郎は、皆、1920年までには処女詩集を刊行している。彼らの詩に親しんだ華岳が、1924年発行の「春と修羅」を買い求めたとしても何ら不思議ではない。当時、世間一般には見向きもされなかったけれど、詩を愛好する人たちの間では話題になったらしい。

「春と修羅」のことは、三上延著「ビブリア古書堂の事件手帖(3)-栞子さんと消えない絆」(メディアワークス文庫、2012年)で知った。その第4話は、「春と修羅」初版本を巡るミステリー。その初版の稀少性は高い。さらに、作者宮澤賢治による書き込み(推敲)があるという設定だった。

蜜蜂と遠雷(サイト内)。村上華岳(1888-1939)、川路柳虹(1888-1959)、千家元麿(1888-1948)、日夏耿之介(1890-1971)、萩原朔太郎(1886-1942)、竹内勝太郎(1894-1935)、宮沢賢治(1896-1933)、岸百艸(1902-1976)、足立巻一(1913-1985)。春と修羅|国立国会図書館デジタルコレクション

ブラームスの4番

  • 2021/03/13 07:33
  • カテゴリー:音楽

FMの番組で、ヤンソンス指揮バイエルン放響のブラ4を聴いた。冒頭のテンポ取りが今一つなのか、冴えない感じでスタート。段々良くなって来るのだろうと期待したけれどそうでもなかった。巨匠が亡くなる2か月ほど前、本拠地でのライブ録音。

ベストオブクラシック選(NHK-FM、3/5 19:30-21:10)
ブラームス、交響曲第4番ホ短調作品98
マリス・ヤンソンス指揮、バイエルン放送交響楽団
2019年10月11日、ヘルクレス・ザール(ミュンヘン)
バイエルン放送協会提供

この曲を大学2年の冬に聴いた。生で聴くのはそれが初めてだった。1983年1月、京都大学交響楽団の定期演奏会。このために京都まで行ったのか、ファゴットのレッスンか何かのついでだったのか、一人だったのか、誰かと一緒だったのか、思い出せない。ただ、京大オケの、ブラームスらしさに溢れた演奏が強く印象に残っている。

京都大学交響楽団第132回定期演奏会
1983年1月13日(木)18:30開演、京都会館
山田一雄客演指揮
ワーグナー、「リエンツィ」序曲
レスピーギ、交響詩「ローマの祭」
ブラームス、交響曲第4番ホ短調作品98

マリス・ヤンソンス(サイト内検索)。京都大学交響楽団

先生との「その後」

  • 2021/03/12 06:54
  • カテゴリー:読み物

実際にお会いしてはいなくても、いつも近くで見守ってもらっているという意味では小学校五年生のときと同じ関係ともいえます。

瀬川晶司著「泣き虫しょったんの奇跡」(講談社文庫、2010年)から(p335)。この文庫版に「完全版」とあるのが目に留まった。あれから4年経ち、果たして、著者は恩師と会うことができたのだろうか。書き加えられた第六章に、先生との「その後」、という小見出しがある。まだ再会できていないが、手紙やメールでのやりとりをするようになったと記されている。

泣き虫しょったんの奇跡(サイト内)。1975年3月小学校卒業、2013年1月同窓会。TAG(安田泰幸、百木一朗)共著「ハンドワークノート 京阪神版」(プレイガイドジャーナル社、1979年)

ページ移動

ユーティリティ

« 2021年03月 »

- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -

検索

エントリー検索フォーム
キーワード

新着エントリー

北部の山沿いって、どこ
2024/05/02 06:05
ホームベーカリー
2024/05/01 06:01
衆院3補選で自民全敗
2024/04/30 05:57
Re: 二重小協奏曲ヘ長調
2024/04/29 06:00
社会不安高めるSNS悪用
2024/04/28 05:57
走り梅雨、2024年
2024/04/27 06:05
協奏交響曲K364、東フィル
2024/04/26 05:44
さよならマエストロ
2024/04/25 05:50
WANDERERS
2024/04/24 06:08
定家の原本発見
2024/04/23 05:56

Feed