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2018年06月の記事は以下のとおりです。

シンガポールの集い

2018年4月27日の「板門店宣言」を再確認し、北朝鮮は朝鮮半島における完全非核化に向けて努力すると約束する

日本経済新聞(2018/06/13 朝刊 11ページ)「米朝首脳共同声明の全文。」から。世界最強の軍事力を持つ国のトップに、直接会って、非核化を約束をする、それは生半なことではない。会談の成果としてもっと高く評価されても良い。いわゆる CVID(完全かつ検証可能で不可逆的な非核化)の文言は入らなかったとか、時期や検証法など具体策は盛り込まれなかったとか、メディアや評論家たちは喧しいが。

それに、「ポンペオ米国務長官と北朝鮮の担当高官が主導して、できるだけ早い日程でさらなる交渉を行うと約束する」と明記されているのだから、続きを見てみようじゃないか。ビジネスでも、まず覚書を結んで、メインの取引基本契約、そして複数の個別契約へと進んでいくことは、ごく普通の道筋なのだから。(と一応前向きには考えたいが、また反古にされるじゃないかという邪推が全くないわけでもない)

さて今回、主役の首脳二人以外にも、色んな人がシンガポールを目指した。重要な役回りを担う人たち、そうでもなさそうな人たち、各々様々な思惑を持って。NHK や日経のサイトから見出しを拾ってみよう。メインのストーリーと並行して細々小さな事件が起きる、アガサ・クリスティーの物語を見るかのようだ。

  • 米朝首脳会談を前にメディアセンター開設
  • 米朝首脳会談に政府関係者派遣、菅官房長官。
  • 米朝首脳そっくりさんもシンガポールに
  • 米朝会談にあわせ ICAN もシンガポールへ 核軍縮訴え
  • 米朝首脳会談あす開催 両国代表団が詰めの調整へ
  • キム委員長の友人 元 NBA 選手もシンガポール着
  • 米朝首脳会談 関連取材中の韓国人記者2人逮捕

琉球・沖縄と海上の道

宮古・八重山から貢租の穀物や織物を積んで那覇(首里)へ行く船は(略)、一般には上国船とよばれた(略)。大木の育ちにくい宮古は古琉球以来近世に至るまで、ほとんど八重山で造船した。大型の上国船ばかりでなく、地船とよばれる宮古内各島間の船も八重山で造られている。

豊見山和行、高良倉吉共編「琉球・沖縄と海上の道」(吉川弘文館、05年)から。引用部分(p209)の執筆は、仲宗根將二氏の担当。

宮古島へ先月遊びに行ったという方からメールをもらった。その 6/4 付けのメールにこういう一節があった。

宮古島は大きな川は一つもなく、地上には水を蓄えるダムも無い島です。なのにサトウキビ畑にスプリンクラーで水を散布しており、用水が問題になっている様子が微塵もありません。不思議です。調べてみた結果、宮古島は世界で初めて地下ダムの運用に成功したとのこと。

先に引用した大木が育ちにくい云々と、現代において貯水に工夫しているというこの話は、何らかの関係があるだろうか。今度また調べてみよう。

オジサンとは

インプットが好きなオジサンなら朝は日経新聞を読み、あいた時間に週刊ダイヤモンドなどのビジネス誌を読み、帰宅してからはワールド・ビジネス・サテライトを視るという人もいるでしょう。これでは、オジサンが、オジサン目線を濃くしているだけで、

タモリはなぜAKBが相手でも、歴史学者が相手でもトークが続くのか(2018.6.6 渡辺龍太:放送作家、即興力養成講座講師)の、この部分を読んで違和感を覚えた。

比較対象、つまりトークを続けることができない人、として引き合いに出しているのだろうが、それにはもう少し適切な例があるのではないだろうか。それにオジサンという呼称で一括りにするのはどうなんだろう。

オジサンの定義が気になって調べてみた。手元にある現代国語辞典(三省堂パフォーマ辞典、1996年に購入した Performa 6210 の付録)には以下のようにある。関西弁(圏)で言う、おっちゃんだな。

【おじさん】小父さん[名]中年の男性に対して、敬意や親しみの気持ちをあらわす言い方。

さらに、web 上のhttp://dic.nicovideo.jp/a/おじさんを見た。

3. これを見ているお前のことだ。もう若くはないんだぞ。

笑った。

オジサンはトラックの運転手だ、と刷り込みのような記憶がある。高校時代、友人に借りて聴いた、中島みゆきの LP「みんな去ってしまった」の影響だ。

沖縄文化の遺宝

殷元良の人物画として、確証はないが、程順則名護親方寵文画像は特筆せらるべき遺作と推定する。そしてその顔面描写において、尚敬王御後絵と同様に陰影画法を用いているところにも、互いに共通する表現を見る。(略)江南画派という。琉球においては、殷元良に至って初めてこの画風の影響を受けて光線による写照の肖像画を作るに至ったと思われる。

先日聴講した「琉球絵画の技法 - 現状と課題」での謎解き(推定)は、これだったんだな。画聖と尊重された殷元良(いんげんりょう)は、第13代王尚敬の御後絵を描いた宮廷画家として知られる。彼は、また、程順則画像の作者でもある、という推定。

引用は、鎌倉芳太郎著「沖縄文化の遺宝」(岩波書店、82年)から。二分冊、53,000円の大著。最寄り図書館の郷土コーナー、そのひっそりと静まりかえった一番奥にあった。

御後絵

首里城の復元工事は今も進行中で、王のプライベートスペース「黄金御殿」には完成した御後絵の複製が掲げられている。

文庫版あとがきにそうある。与那原恵著「首里城への坂道 - 鎌倉芳太郎と近代沖縄の群像」(中公文庫、16年)から(p469)。

御後絵(おごえ、うぐい)は、琉球王の肖像画。歴代の王様が、その死後に、宮廷画家によって描かれた。実物はすべて戦災で焼けてしまったが、鎌倉芳太郎が大正14年に撮影したモノクロ写真が、御後絵十数枚分、残っており、それを基に複製事業が進められている。引用部分にある完成云々は、第17代王尚育(1813-47年)の御後絵のこと。

https://ja.wikipedia.org/wiki/御後絵
鎌倉芳太郎資料集

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