琉球・沖縄と海上の道
- 2018/06/12 07:07
- カテゴリー:工芸・美術
宮古・八重山から貢租の穀物や織物を積んで那覇(首里)へ行く船は(略)、一般には上国船とよばれた(略)。大木の育ちにくい宮古は古琉球以来近世に至るまで、ほとんど八重山で造船した。大型の上国船ばかりでなく、地船とよばれる宮古内各島間の船も八重山で造られている。
豊見山和行、高良倉吉共編「琉球・沖縄と海上の道」(吉川弘文館、05年)から。引用部分(p209)の執筆は、仲宗根將二氏の担当。
宮古島へ先月遊びに行ったという方からメールをもらった。その 6/4 付けのメールにこういう一節があった。
宮古島は大きな川は一つもなく、地上には水を蓄えるダムも無い島です。なのにサトウキビ畑にスプリンクラーで水を散布しており、用水が問題になっている様子が微塵もありません。不思議です。調べてみた結果、宮古島は世界で初めて地下ダムの運用に成功したとのこと。
先に引用した大木が育ちにくい云々と、現代において貯水に工夫しているというこの話は、何らかの関係があるだろうか。今度また調べてみよう。