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2021年08月05日の記事は以下のとおりです。

浦島太郎伝説とは

  • 2021/08/05 06:30
  • カテゴリー:読み物

獄内の発掘によって外耳土器とともに鉄滓と石炭が発見された、という。

石垣島にも浦島太郎に似た話が伝わる。その聖所、崎原獄(さきはらおん)が発掘調査されたのは1971年のこと。引用は、高橋大輔著「浦島太郎はどこへ行ったのか」(新潮社、2005年)から(p207)。「フィクションとノンフィクションが重なり合う接点を求める旅」、今回は浦島太郎伝説の旅。

皆が知るこの伝説は、どんな実話が基になったのだろうか。話の主要素は、海難救助(カメの救済)、報恩(竜宮城での接待)、禁断の贈物(玉手箱)、そして、災禍(急激な老化=死)。これに上で引用した部分から想起されることを組み入れて一連の物語を思い描いてみた、

日本がまだ倭と呼ばれていた頃の丹後地方。太郎は、嵐で難破し浜辺に漂着した異国の漁民を手厚く介抱し、傷が癒えた後、母国へ送り届ける。先方では命の恩人とばかりに歓待を受け、帰国する際に、たっぷりの土産物を持たされる。それには鉄の農具や、その鍛冶の手法も含まれていた。別れ際に約束させられる。鍛冶で作るのは農具だけ、決して、刀や矢尻を作らないと。しかし約束は反故にされる。殺傷力抜群の武器が、その製法とともに、たちまち、国中に拡散して行く。これを手にした人びとは、凄惨な戦を繰り広げるようになってしまうのだった。

実際のところは、そうなのかどうなのか判らないけれど、何にせよ、時の為政者にとって不都合な事実が、ぼやかされて伝えられているような気がする。伝説や神話とは大体がそのようなものなのだろうから。

高橋大輔(サイト内)。唐や宋の古い建物はほとんど残っていない(p103)、478年の謎(p229)。浦島太郎はなぜあんなに有名?実は深い話が…。(2021/3/5)。温羅(うら)|Wikipedia

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