検証戦争責任
- 2022/04/05 06:25
- カテゴリー:読み物
私は大隈内閣の「対支二十一か条要求」が日本の近代史の中の一番大きな過ちだと思う。中国の反日ナショナリズムと米国の世界戦略が手を握ることになったからだ。
これには大いに納得させられた。「私」は、評論家・作家の故松本健一。読売新聞戦争責任検証委員会著「検証戦争責任」(中公文庫、2009年)に収載のインタビュー記事から(上巻p60)。本書の帯に「だれが、いつ、どのように誤ったのか」とある。大隈内閣のその要求が答えの一つだろう。
日本とアメリカは、日露戦争(1904-05)、米西戦争(1898)にそれぞれ勝利し、遅ればせながら帝国主義的覇権争いに名乗りを上げた。両国は、当時列強が陣取り合戦をしていた中国に目を向ける、欧州勢に追い着こうと鼻息荒く。
第一次世界大戦(1914-18)の最中、日本が中国の袁世凱政権に対して21か条の利権拡大要求を突き付ける(1915)。これが米国の門戸開放政策とぶつかる。米国は、既に仮想敵国としていた日本を、はっきりと敵視するようになる。日本が満蒙での権益の延長、拡大を図るにつれ、日米間の対立が激化して行く。
本書「検証戦争責任」は、少し後の満州事変(1931)以降を対象として、昭和20(1945)年の敗戦に至る責任は誰にあるのかを「検証」する。要するに犯人捜しだ。「東条元首相に最大の責任」(下巻p257)など、一人ひとり問責する。それはそれで好奇心をくすぐられ興味深くはある。が、
誰がやっても同じことだったのでは、とも思う。つまり、図に乗ったら容赦しない、ボコボコにしてやる、こっちには鉄も石油もあるんだから、と米国が思い始めたのが21か条の要求の頃だとするなら、その後の30年、日本の国を誰がリードしたにせよ、似たような惨状を招いた可能性がある。なにせ日本は、官も、軍も、民も、メディアも、益々図に乗って行くわけだから。違う形の「検証」があってもいいかもしれない。
引用部分を読んでそんなことを考えた。満州事変よりもっと遡る方が昭和の戦争について理解が深まるような気がする。松本健一を読んでみようと思う。
# 渡辺恒雄 戦争と政治、日露戦争の世界史(サイト内)。松本健一|Wikipedia