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森本毅郎41年ぶりのNHK

1984年3月放送記念日のテレソン24時間番組、そのキャスターを森本さんがやることになっていた。電車の中吊りポスター用に写真も撮ったのだが、その前に(2月末)で森本さんはNHKを辞めたので写真もテレソン出演もパーになった。

布谷洋勝氏(元NHKプロデューサー)が言っていた。テレソンのキャスターは鈴木健二さんが代わりに務めたとか。

引用は、NHKラジオの放送100年企画「森本毅郎41年ぶりのNHK」(3/21)から。森本さんの「朝刊読み比べ」(TBS)を時々聴く。元はNHKの人なんだな、再認識した。

私にも同じような経験がある。転職にまつわる話。

二か月先の国際的な催しに使うパンフレットに担当者の顔写真が載ることになっていた。私もその一人だったので業者のカメラマンに撮ってもらった。のだが、撮影中、この写真は無駄になるかもしれないな、と考えていた。

と言うのは、ちょうどその頃、二度目の転職活動を進めており、撮影の数日前に一社の面接を受け、手応えを感じていたからだった。そこは複数ある候補の中の本命だった。

手応えは勘違いではなかった。採用通知が届いた。やはり、写真はパーになった。

しようがない。転職しようとしていても本決まりになるまでは、そんなことをおくびにも出さず、ずっとそこに居続けるかのように現職のお仕事を続けるものだ。

さあ、本決まりになった。即、退職の意向を伝えると、退職日はその催しの後にして欲しいと求められた。まさか、そんな先まで残るつもりはさらさらない。パンフレットの原稿を差し替え、引継ぎを終えたらさっさとおさらばだ。

一方、転職先の会社は、早めに移って来て、その催しの準備を仕事始めにしてはどうか、と言って来る。同業のその会社にとっても重要な催しだった。

結局、どちらにも義理立てせず、その催しには参加しなかった。有休を消化し、さらに数週間を無職で過ごした。たっぷり充電期間をとったのだった。

なお、このラジオ番組は、放送100年記念で、TBSでも同時放送されたようだ。似たような企画で、NHKとTokyo FMとのコラボ(3/20)なんかもあったし、テレビではクローズアップ現代(3/31)に、(元)他局のアナウンサーが出ていたりした。放送100年記念をNHKだけのお祭りにするのは具合が悪いと考える向きでもあるのだろうか。

放送100年転職(いずれもサイト内)。放送100年企画「森本毅郎41年ぶりのNHK」【出演】森本毅郎・布谷洋勝・上田早苗(NHKラジオ第1、3/21 20:05-)

歌謡スクランブル放送百年

  • 2025/04/08 06:50
  • カテゴリー:音楽

今年は放送100年。様々に展開された記念番組もピークは過ぎたようだ。ここでも、いくつかそんな番組に触れている。確定申告をやりながら、歌謡スクランブルのスペシャルを聞いていたとか。

その歌謡スクランブル放送100年スペシャルは12回続いた。個人の特集2つを挟んで、年代別に百年間のヒット曲などが紹介された。全部で250曲ほど。

1) 1920-50年代、2) 1960年代前半、3) 加藤登紀子特集、4) 1960年代後半、5) 1970年代前半、6) 1970年代後半、7) 1980年代前半、8) 1980年代後半、9) 由紀さおり特集、10) 1990年代前半、11) 1990年代半ば以降、12) 2000年以降

加藤登紀子と由紀さおりの日は、各々その人の曲ばかりが流れた。それ以外で、複数曲、登場した歌い手が、何人かいることに気付いた。3曲の人はいない。2曲の人たちは以下のラインナップ。

「素敵なランデブー」美空ひばり
「柔」美空ひばり

「東京ラプソディー」藤山一郎
「青い山脈」藤山一郎、奈良光枝

「チャンチキおけさ」三波春夫
「東京五輪音頭」三波春夫

「からたち日記」島倉千代子
「人生いろいろ」島倉千代子

「北帰行」小林旭
「熱き心に」小林旭

「ミヨチャン」平尾昌晃
「カナダからの手紙」平尾昌晃、畑中葉子

「時代」中島みゆき
「地上の星」中島みゆき

美空ひばりの「川の流れのように」は採られなかったんだな。なお、ユーミンは「真夏の夜の夢」、竹内まりやは「人生の扉」、キャンディーズは「春一番」、太田裕美は「木綿のハンカチーフ」で各々ご登場。あってもいいのにと思ったのは、例えば、藤圭子とか、岩崎宏美とか、テレサ・テンとか。

歌謡スクランブル(サイト内)。歌謡スクランブル▽放送100年SP(NHK-FM、3/6-24)

ラジオと総動員帝国

マスメディアは需要に合わせて供給が行われるような面があるので、国民が求めていることを伝えるということが、どうしても起きやすい。どんどん需要と供給が相互に作用することによって、一つの見方しかできなくなる。

牧野邦昭教授(慶應義塾大学経済学部)がそう語る。NHKの放送100年特集「ラジオと総動員帝国~旧満州の放送音源が問いかける教訓」後編(3/20)から。

満州事変は国際法違反である、という説は、日本放送協会(NHK)のラジオ放送で伝えられることは一切なかった。当時、協会は逓信省の傘下にあったため、当然、国に都合の悪い説は流さない。しかし、それだけではなかったのだ。

満州を手放せという国際社会からの圧力に抵抗する国民感情があった。ロシアなどとの戦争で多くの犠牲を払って獲得した満州だ。そこは血で贖った土地だ。易々と手放すようなことができるはずない。英霊に申し訳ない。

国民がそういう物語を求めていた。ラジオはその需要に応えて、満州で多くの犠牲を払ったと繰り返し伝える。満州を手放したくない国民の気持ちは、益々、高まって行く。

そういうお話だった。のだが、それもこれも国や軍部が書いたシナリオではなかったのかと邪推してしまう。満州は日本のものだと、直接、語りかけるだけでなく、じわりじわりと国民の気持ちをそっちの方へ向けさせて行く、そんな高等なテクニックを駆使することを誰かが考えたのではなかろうか。

旧統一教会に解散命令Re: 中居氏問題でフジ会見明治天皇という人(いずれもサイト内)。コンコルド効果(sunk cost effect)、放送100年特集「ラジオと総動員帝国~旧満州の放送音源が問いかける“教訓”~」前後編(NHKラジオ第一、3/20 21:05-)【アナウンサー】野村優夫【語り】柴田祐規子

旧統一教会に解散命令

信仰心につけ込み、違法な献金勧誘を続けて来た、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に対し、解散を命じる決定を東京地裁が出した。

在京六紙は揃って本件を社説で採り上げた。

旧統一教会の不法行為は1980年代には始まっていた。今まで「抜本的な手が打たれなかったのはなぜか。それこそが教団を巡る問題の核心である」(経3/26)

自民党の「政治家と教団のつながり」「教団と政界の一部に持ちつ持たれつの関係」「それが行政の対応を鈍らせた面はなかったか」実態を解明せよ(同)

「故岸信介首相以来の教団と自民党との密接な関係」「選挙で教団票を差配したとされる安倍氏の役割」「下村博文文科相当時に教団の名称変更が認められた経緯」(東3/26)

自民党と教団、その「関係を清算するには、徹底的な調査と検証が不可欠」(毎3/26)

自民党は、その「責任は見過ごせない」が、「説明責任を果た」そうとしない。「教団だけを解散手続きに持ち込み、政治の責任はうやむやにする構図」だ(朝3/27)

以上4紙は、「問題の核心」は、教団と自民党政治家との古くからの関係にあると睨んでいる。「ここまで放置してきたことには、国の責任も大きい」、被害者の救済では「国が一定の責任を負うべき」(産3/26)という声もある。

残る一紙、読売はどうだろう。「今回の司法判断は妥当」「組織ぐるみで不当に献金を集める体質が続いている点を重く見て、宗教法人として存続させるべきではないと考えたのだろう」(読3/26)。自民党とか、政治とか、国とか、は一切登場しない。あくまでも悪いのは教団だ、そうしておきたいのだろう。

教団と自民党の関係を云々かんぬん言われたくない、そんなこと考えたくない、という読者は一定数いるだろう。そういう需要を満たす社説があるわけだ。どっちが先かは判らないけれど、とにかく需要があるから供給される。例えばTVのバラエティ番組と同じだ。

さて、3/24週の六紙社説は、そのほかに、日米金融政策、一票の不平等、自衛隊の統合作戦司令部発足、日本郵政の不正、富士山の噴火対策、ガザ停戦崩壊、教科書検定、兵庫県斎藤知事の違法認定、IOC初の女性会長、米国が自動車に高関税、フジ日枝氏退任、山火事多発、ブラジルとの連携、放送100年、などを話題にした。

六紙社説、被害の責任認めぬ教団旧統一教会の解散請求銃撃事件と旧統一教会内閣改造と旧統一教会旧統一教会と社説4本(いずれもサイト内)。遅きに失した旧統一教会への解散命令、80年代から社会問題化していたのになぜ政府は放置してきたのか(3/28)

進路選択のきっかけ

テレビの影響力はすごいなと思います。

視聴者からのリクエスト曲がかかった折にそのコメントがあった。曲は、TVドラマ「おれは男だ!」(1971-72年)の主題歌「さらば涙と言おう」。歌謡スクランブルの「放送100年スペシャル」にて。

ドラマの主人公、小林弘二(森田健作)は、東京商船大学へ進むと言っていた。リクエストした方はそのドラマの影響で、商船大へ進学し船乗りになったのだとか。

私も、御多分に洩れず、テレビ番組を観て進路を選ぼうとした。NHK特集「行-比叡山千日回峰」(NHK総合、1979/1/5)に強く心を動かされ、出家しようと決意した。結局、僧にはならず大学へ進学したことは以前ここにも書いた。

考えてみた、理系の学科を専攻した理由を。あれはテレビの影響ではない。小学校時代に理科の実験に親しんだことが遠因だろう。理科が得意な担任の下、二酸化マンガンと過酸化水素水による酸素の発生や、食塩水の電気分解など、興味深い実験の数々を実地に経験させてもらった。

中学時代には、どういう経緯だったか、課外の時間に実験をやっていた。例えば、植物の細胞を脱分化してカルスをつくる。雑菌対策が上手くできず何度も失敗しながらも、熱心に取り組んだ記憶がある。

大学では、化学と生物学の接点、農学部農芸化学科を選んだ。天然物有機化学を専攻。医農薬に応用できる新規な化合物を天然に求めた。就職先は化学メーカー。生物化学の研究所からスタートし、二度の転職を経ても、55歳で早期退職するまで、ずっと技術系の開発部門に身を置いた。

音楽はどうだったか。職業にすることを、一時期、真剣に考えた楽器、それに出会ったのは高校の吹奏楽部だった。当初、部活をするつもりはなかったが、いくつかの理由が重なって入部。トランペット吹きの親友に誘われた。従姉が以前その部にいた。決め手は、小学校時代の音楽教師の言葉、音楽する心を忘れないで、それがずっと耳に残っていたからだ(正確には、うたうこころを忘れないで!、と書いてくれた)。

大学でオーケストラに入り、その後も市民オケなどで吹いた。演奏することから遠ざかった今も音楽のない生活は考えられない。

小学校で受けた教育、それも、理科室で実験したことや、音楽室で歌ったことなど、五感すべてで感じたことが、人生の選択においては重要な意味を持ったようだ。

と、つらつら回想するわけだけれど、もし、あの時、意志を通して出家していたら、一人の僧が、昔、修行僧のドキュメンタリーをテレビで観て、この道を選んだ、と思い返すことになったはず。幼い頃の体験とその後の人生との繋がりなんて、呆気なく、ぶっ飛んでしまうわけだ。テレビの影響力、その威力はすごいとつくづく思う。

Re: 文庫100冊確定申告、25年3月最も危険な毒を含む食べ物ファゴット(いずれもサイト内)。歌謡スクランブル▽放送百年SP(5)(NHK-FM、3/11 12:30-)逢地真理子

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