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明治天皇という人

  • 2022/04/29 06:29
  • カテゴリー:読み物

明治天皇のもとでおこなわれた日清・日露の戦いは、上から下まで、「文明」の戦争をたたかうという意識が強かった。

近代西洋がつくったルールに則り、戦いを進め、戦後は賠償金や領土割譲を交渉する。松本健一著「明治天皇という人」(毎日新聞社、2010年)、見出し「山縣有朋の国際法意識」の部分から(p384)。

台湾出兵問題(明治7年、1874年)では、大久保利通が国際公法を重要視したことが述べられる(p178)。引用にある日露は、明治37(1904)年から翌年にかけての戦いだった。明治の日本は、世界の強国=文明国を目指し、国際ルールの遵守を徹底していた。ところが大正になるとその遵法精神があやしくなる。

大隈重信が、第二次内閣を組織した折、対支二十一か条要求(大正4年、1915年)を強行する。その辺りをスタート点として、日本は、増長して行く。その無茶な要求から十数年を経て、満州事変(昭和6年、1931年)での一方的な国際法違反に到る。

明治天皇は、大隈のことを嫌っていたという。「策士あるいは策謀を弄す政略家」「金づかいの荒い浪費家」という印象をもっていたようだ(p329)。これは、謙虚と質素を旨とした西郷隆盛が大隈を嫌ったことが影響している。その西郷は、大隈のことを、小人であり有徳の人ではないと評した(p332)。重職を任せると必ず国家の危機をもたらす、上位に置いてはならぬと。その大隈が首相になった時期があったのだ。

大正時代のことで興味深い記述がある。明治憲法に規定されている統治権の欠陥に気付いた原敬が、将来の天皇が「統帥権云々を振り回したりしないようにとの配慮から」、皇太子の英国外遊(大正10年)を計画した(p255)。国の統治を先進国で実見してもらう。その原は、元老山縣有朋のお気に入りだった(p414)。山縣の「人事や戦略にはあまり誤りがなかった」(p316)。

松本健一乃木伝説の思想(いずれもサイト内)

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