お知らせ

メール送信フォームを設けました。ブログ記事への問い合わせなどにご利用下さい。

 

エントリー

キーワード「野呂邦暢」の検索結果は以下のとおりです。

草のつるぎ

  • 2022/01/19 06:27
  • カテゴリー:読み物

ぼくはかつて他人になりたいと思った。ぼく自身であることをやめ、無色透明の他人になることが望みだった。なんという錯覚だろう、ぼくは初めから何者でもなかったのだ。それが今わかった。何者でもなかった。

自分が同僚らを憎むように彼らも自分を嫌っていると思っていた。とんだ思い違い。みんな無邪気な仲間だった。引用は、「野呂邦暢小説集成3」(文遊社、2014年)に収録の「草のつるぎ」から(p98)。初出1973年。

並行して読んでいたシーラッハの短篇に「透明人間になれると信じていた」犯罪者のケースが紹介されていた。透明になりたがる人はどこにでもいるものだ。その作品は、シーラッハ著「犯罪」(創元推理文庫、2015年)に収載されている「愛情」(p237)。

野呂邦暢シーラッハ(いずれもサイト内)

ピークとは何か

  • 2022/01/14 06:32
  • カテゴリー:読み物

ピーク時に当該本人がはたしてそれと意識できるものなのか、どうか。すなわちそれと認識し対象化することはすこぶる難しいことなのではないか。それこそあとになって、振り返って改めて気づくことでこそあれ、ピークの渦中にあってそれと思い及ぶことは困難なのではあるまいか。

野呂邦暢は42歳で他界した。芥川龍之介や、梶井基次郎、中島敦らは三十台で夭折。皆ピーク時に病で斃れた。深谷考著「野呂邦暢、風土のヴィジョン」(青弓社、2018年)に収載の「ピークとは何か」から(p114)。

作曲家の吉松隆氏による分析では、著名な作曲家の多くは、26-29歳の頃に最初の傑作を書き、ほぼその十年後の35-45歳頃に代表作となるような力作を生むピークを迎えている。あの天才モーツアルトの場合、29歳で「フィガロの結婚」やハイドンセットを世に出し、死の年、35歳で、レクイエムを書いた。

当時それを読んで自分のことを考えた。大きな成果と言えるものを実行したのは、果たして何歳のときだったろうかと。「あのクロスライセンス契約をまとめたのは、34歳のときだった。そして、海外二社との大部な契約を行ったのは、48歳のとき」。そんなことを書いている(2013年12月)。音楽や文学の大家たちと比べるのはおこがましいけれど、自分にもピークらしきものがあったのかもしれない。還暦の今年、あらためて思い返してみよう。

野呂邦暢中島敦(いずれもサイト内)。吉松隆著「モーツァルトがもう少し長生きしたら、もっと傑作を残しただろうか?」(河出書房新社、2013年、KAWADE夢ムック文藝別冊モーツァルト、p103)

失踪者

  • 2022/01/06 06:27
  • カテゴリー:読み物

頭の中にあるのは三度三度の食物をどうするかということだけである。朝食をつめこんでいるときには昼食のことを、昼食を貪り喰っているときには夕食の心配をしている。さながら一個のイーティング・マシーンである。われながら厭になるときがあった。

程度の差はあれど、生きるとはそういうことではないだろうか。この主人公の場合には、追い詰められて採取生活を送らざるを得ない。口にするのは、縞蛇や、赤蛙、野ネズミ、ホンダワラ、昆布、牡蠣、そしてデザートはあけびの実、という状況。引用は、野呂邦暢著「冬の皇帝-野呂邦暢小説集成4」(文遊社、2016年)に収載の「失踪者」から(p282)。初出は1975年。

これはなかなかのサスペンスだ。最初に歴史小説を読んだ。青春ミステリーの作品があるかと思えば、私小説風や、このようにサスペンスものがあったりする。芸の幅が広い役者を見るかのようだ。

野呂邦暢(サイト内)

佐古啓介の旅

  • 2022/01/04 06:34
  • カテゴリー:読み物

人間っていつも失った何かを探しながら生きているような気がする。そう思わないか

と問うと、かっこいいこと言うのねと妹にひやかされる。野呂邦暢著「猟銃・愛についてのデッサン-野呂邦暢小説集成6」(文遊社、2016年)に収載の「愛についてのデッサン-佐古啓介の旅」から(p515)。1978年初出。

不思議な読後感を覚えた。主人公は阿佐ヶ谷の古書店主。副題にある通り旅をする。5月の長崎に始まり、直江津、神戸、京都。そして12月に再び長崎を訪ねる。それだけではない。自分も含め誰かの過去をたどり時間をも旅するかのようだ。

# 人生の残酷さ(p574)。野呂邦暢(サイト内)

諫早菖蒲日記

  • 2021/12/13 06:26
  • カテゴリー:読み物

小舟なら知らず十反帆二十反帆の大船は漕ぎ手、舵とりが心を一つに合せずば、思う方へすすみません。このこと家の内証をやりくりする女房の胸算と同断

仲間(ちゅうげん)の吉爺が言う。主人公志津はそれを聞いて彼にもかつて連れ合いがいたことに思い当たる。野呂邦暢著「諫早菖蒲日記」(文芸春秋、1977年)から(p59)。

連れ合いは「いかがした」と訊ねるが、吉爺はそれには応えずに別の話をする。互いの興味がずれたまま会話が続く。また、下女のとらに、はぐらかされてしまう場面(p122)も出て来る。下働きの彼らと志津とのやり取りがほのぼのとして心地良い。

この著者のことは知らなかった。別の作品も読んでみようと思う。

# ヘネチアテリヤアカ(p195)。文庫100冊(サイト内)。向田邦子が野呂邦暢の小説に惚れ込み、彼の全ての作品をドラマ化したいと言ったという逸話を確かめたい。|レファレンス共同データベース

朝刊休刊日

ページ移動

  • ページ
  • 1
  • 2

ユーティリティ

« 2025年06月 »

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -

検索

エントリー検索フォーム
キーワード

新着エントリー

富士山噴火の降灰対策
2025/06/15 05:34
マイナカード更新
2025/06/14 06:05
自己実現欲求の沼
2025/06/13 05:41
おくま嘘歌
2025/06/12 06:22
フォーサイス氏死去
2025/06/11 06:48
シャットダウン、E200HA
2025/06/10 07:00
梅雨明け、2025年
2025/06/09 06:02
ミスター、李氏、少子化
2025/06/08 05:46
ダブル・スタンダード
2025/06/07 06:58
天皇ご一家沖縄訪問
2025/06/06 06:05

過去ログ

Feed