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キーワード「戦争」の検索結果は以下のとおりです。

タリバン復権か

今年4月、六紙は揃って、米軍アフガン撤収を社説で採り上げた(4/16-20)。その後、撤収が進むにつれて、反政府勢力タリバンが復活し、支配地域を急速に広げていることが伝えられて来た。この容易ならざる事態について、最近、社説はどう書いているだろうか見てみよう。本数は多くない。ここ一か月でわずか4本。

  • 米アフガン撤退 後始末が残されている(東京、7/20)
  • アフガン混迷 米中ロの協調が必要だ(朝日、7/25)
  • アフガン情勢 タリバンの復権を許すのか(読売、8/3)
  • アフガン情勢 タリバンの復権は悪夢だ(産経、8/12)

なぜ撤収するのか。介入の目的はテロ組織の掃討だった、「タリバンは米国との合意でテロ組織との関係を断つことを確約した」(産経)。「同時テロ20年の節目に米史上最長の戦争を終わらせる」(読売)。米国は、「アフガン問題よりも最重要課題である中国との競争に注力したい」(産経)

何が起きる。「タリバン復権とイスラム過激派の伸長は、中露にとっても、自国や周辺国へのテロの脅威を増す要因になる可能性が大きい」(読売)。いやいや、「タリバン復活でアフガンがテロの温床になるとの見方は早計」「懸念すべきは米軍の撤退に伴う混乱だ。米軍協力者はもとより、反タリバン系住民の難民化と国外流出が案じられる」(東京)

どうせよと。「今日の事態は軍事介入が失敗だったことを示している」「米国には介入の後始末を済ませる責務が課せられている」(東京)。米国は、中露に対し、「アフガニスタンを「共通の関心のもとで協力できる分野の一つ」と呼びかけている。その実行の時だ」(朝日)。中国は、タリバンと会談し、和平や復興について話し合った、「反政府勢力を一国の代表であるかのように遇して肩入れするのはおかしい。今は、戦闘をやめさせることが急務であるはず」(産経)。「中露はタリバンに対する影響力を米国との覇権争いの道具にするのではなく、地域の安定のために使わなければならない」(読売)。タリバンと関係の深いパキスタンや、イラン、トルコは、「いずれも米国との関係はぎくしゃくしているが、中ロは外交や経済面でパイプがある。国連などを通じて協調の枠組みをつくることも検討に値する」(朝日)

日本の役割については一切語られない。遠い国の出来事でしかないのだろうか。

8/9週の六紙社説は、東京五輪閉幕、IPCC報告書、入管収容者死亡、コロナ自宅療養増加、ニクソンショック50年、終戦の日などが題材になった。

「90日以内にアフガン首都陥落も」米政権分析か(8/12)、タリバン、首都カブールを包囲 北部要衝も攻撃(8/14)

ねじの回転

  • 2021/08/10 06:27
  • カテゴリー:読み物

そうなのだ、決して戦争は軍だけが行うのではない。殺せ、奪え、あの陣地を取ってこいと銃後で囃したてたのは国民なのである。目の前に提示された情報を吟味することなく、すぐに浮き足立って他人の尻馬に乗り、その場の雰囲気に酔うのは日本国民の特性である。

恩田陸著「ねじの回転-February moment」(集英社、2002年)から(p116)。

過去を変えようとする三者の思惑が錯綜する。安藤ら青年将校は決然として維新完遂を目指す。石原莞爾は、国を悲惨な戦争へ引きずり込む東条英機をこの段階で消そうとする。そして、組織(国連)は、後に終戦工作をする岡田鈴木両名の殺害を図る。

2.26事件恩田陸北支事変(いずれもサイト内)

送ったメールから

先週は台風でずっと雨。湿気は高いものの気温はやや低め。きのう今日、晴れ間が出て、ようやく30度くらい。明日は31か32度ほどか。全国の気温を見ていると、夏は、沖縄の方が東京や大阪に比べて低いことがよくあります。避暑地です。(7/26)

オリンピックは、webでニュースを見るばかりですが、日本は割とメダルをとっているようですね。さっき実家の母に電話したら、柔道で兄妹が揃って金メダルをとったのよと感激しておりました。(7/25)

こういう記載が目に留まりました。「先の太平洋戦争然り、今回の五輪然り、日本の為政者は撤退戦略=プランBの選択ができない」。代替策を用意しない、選択肢を持てない、それはわが民族の悪しき伝統なのかもしれません。桶狭間や真珠湾での奇襲が下手に成功してしまったことと無関係でないように思います。(7/29)

台風経路図 2021年|気象庁、メダルラッシュ、強化費が後押し(7/30)、オリンピック 金15個 日本のメダルラッシュの背景は(7/30)、音楽日誌|KechiKechi Classics、“森案件”の市川海老蔵、小池の“火消しと木遣り”…東京五輪の開会式は「政治利用」の答え合わせがたまらなかった!(7/27)

マイナス・ゼロ

  • 2021/07/16 06:32
  • カテゴリー:読み物

中河原伝蔵は、予備役の陸軍歩兵一等兵だったのである。最近、よそで召集令が来たという話はぜんぜん聞かない。おととし、満州で事変が起こったときは、東京からも出征兵士がだいぶ出たそうだが、その後、事変のほうもある程度落ちつき、現役の兵隊だけで間に合っているのだろう。それなのに、中河原伝蔵にとつぜん召集令が来たのは、彼が共産党員だということで、懲罰の意味なのに違いない。

これから「地下にもぐる」共産党員の戸籍を買いその人物に成り済ましたところが、えらい目に遭う。広瀬正著「マイナス・ゼロ」(河出書房新社、1977年、広瀬正小説全集1)から(p193)。

歩兵第一五旅團司令部からの令状。召集部隊は歩兵第三〇聯隊、到着地は新潟県高田市。応召は、昭和8年(1933年)4月。「二年ぐらいだと思ってたのに、あっちこっちいかされて」(p201)、「最初はホーペイ、それからシャントン、チャンスー」、そして1942年フィリピンに転属、45年米軍の捕虜に、その時の階級は「兵長」(p219)だった。復員したのは、昭和23年(1948年)1月のこと。

この本を読むのは何度目だろうか。これまでさらっと読み流していた部分が、ずいぶん印象が違う。ここ一年ほど、1930年代や50年戦争に関する本をいくつか読んだからだろうか。

# 河北、山東、江蘇。台児荘の戦い(山東省最南部、1938年3-4月)

日露戦争の世界史

  • 2021/07/14 06:31
  • カテゴリー:読み物

日露戦後の日本の優先課題は、先ずこのような報復と圧力を回避することであった。日本としては韓国の《保護》を《併合》にするためにもこれは必ず解決しなければならない緊急の課題だった。このことは、列強は常に満州と韓半島を同じ枠のなかで考えていたということでもある。

露による「報復」であり、満州の門戸開放を要求する英米による「圧力」だった。それこそ既成事実あるいは時間の問題とされた韓国併合までに、日露戦争(1904-05年)後、5年もの年月を要した理由はこれだった。引用は、崔文衡著「日露戦争の世界史」朴菖煕訳(藤原書店、2004年)から(p261)。原著韓国版タイトルの直訳は「国際関係史から見た日露戦争と日本の韓国併合」。

米国の「フィリピン占領政策と中国門戸開放政策とは表裏一体」であった(p48)。1898年から翌年にかけてこれら政策が成立する。この辺りが「アメリカ世界戦略の出発点」と見れば良いだろうか。同時期にハワイ併合も済ませている。

訳者が、あとがきで、「日露戦争の目的の核心といえる日本の朝鮮併合」はまともに研究されておらず、司馬遼太郎「坂の上の雲」でさえ、「韓国(朝鮮)問題は出ていない」と指摘している(p408)。まともに研究されているかどうかは判らないけれど、少なくとも「坂の上の雲」には出ていたように思う。

坂の上の雲 (3)(サイト内)

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