お知らせ

メール送信フォームを設けました。ブログ記事への問い合わせなどにご利用下さい。

 

エントリー

キーワード「万葉集」の検索結果は以下のとおりです。

竹取の翁

  • 2024/09/17 05:53
  • カテゴリー:読み物

万葉集のこの歌は、長寿を祝福している、と誰かが言った。20年ほど前のこと。敬老の日のきのう、そんなことを思い出した。この歌というのは、竹取の翁が9人の美しい乙女に出逢う場面を詠んだ長歌。

その歌(巻16-3791)をあらためて眺めてみた。これには、どう読むのか定まっていない箇所がいくつかある。けれど、大意はつかめる。今はすっかり老いてしまったが、幼い頃は大事にされ、誰しもが振り返る美男子に育った。女性にも、もてた、と翁が語る。

そして、最後の部分。それなのに、情けないことに、今あなた方からは、どこのじじいかと侮られる、と嘆く。続いて、孝行息子の故事が引用されて終わる。つまり、この歌は、老人をからかったりしてはいけない、大切にせよ、と歌っている。

この歌の解釈についてwebで探した。金という方がこう書いている。「青春の美しさはほんの一時のかりそめの姿に過ぎず、人は誰でも年を取って老いるのであるから、老人の醜さを嘲笑してはならないというところにある」と。

長寿を祝福している、と誰かが言った。そう言われてみると、そうなのかもしれないと思うけれど、ちょっと違うような気もする。

万葉集(サイト内)。巻16-3791|万葉百科、金文京, (2024), 『万葉集』の「竹取翁の歌」と「詠水江浦嶋子」について, 万葉古代学研究年報, 22, 123-131、子供叱るな来た道だ老人笑うな行く道だ

浜畑賢吉さん死去

7月に亡くなられたとか。追悼2024でアラン・ドロンの訃報を読んだあと、8月そして7月と遡ってスクロールする内に浜畑さんの名前に行き当たった。

「日めくり万葉集」(2008年)に出演しているのを観た。その折、彼が選んだ一首は、蟹を憐れんで乞食者(ほかいびと)が詠んだ長歌だった(巻16-3886)。ちょっと驚いた。

詠み人の乞食者は、文字通りの乞食ではない。現代で言うところの芸能人。芸を売り見返りを得ていた。芸を売る乞食者が、蟹を擬人化して詠む。その蟹も芸を売る。

蟹にお座敷がかかる。「歌うたいとして呼ばれるはずもない。笛吹きとしても呼ばれることがあろうか。琴弾きとして呼ばれるはずもない」と、本人は承知している。が、とにかく出かけてみる。すると、蟹は、縄で縛られ料理され食われてしまうのだった。

どんな気持ちでこの一首を選んだのか、番組の中で述べられたかどうか記憶にない。現代の俳優がこれを選んだ、それに驚いたことをよく覚えている。

「日めくり万葉集」メモ(サイト内)。巻16-3886|万葉百科、追悼2024 写真特集|時事ドットコム

アイデアが固まる時

芸術家が、一つの作品に取り組む。まずアイデアがあって、それは、ほぼ完成している場合もあるだろうけれど、多くの場合は、色んな要素を盛り込みつつ変化しながら、表現されるテーマや骨格になっていく。アイデアや表現は、どの段階で固められていくのだろうか。

NHK教育テレビの「一点中継 つくる」(初回放送1988年)を何本か観た。

下絵は草稿の段階で十分に練られている。が、描かれたものが一枚の着物として女性が着た場合を考え立体的な視点から修正されることもある。

「友禅作家 羽田登喜男」の場合。花をデッサンする。鳥をデッサンする。それらが巧妙に図案化される。勝負は下絵の草稿以前にあるようだ。

下絵をきっちりなぞらない。下絵はウォーミングアップ。下絵を描いている時に別の発想がどんどん出てくる。それを上に、ダブらせて描いて行く。

「画家 絹谷幸二」の場合。出たとこ勝負。それもフレスコの素地が乾いていく切羽詰まった状況下に繰り広げられる。

アイデアをメモしない。

「グラフィック・デザイナー 福田繁雄」の場合。最初の印象が自分の中で既成事実のようになることを嫌う。頭の中で、心の中で、何かが醸成されていくのを待つ。

アイデア「日めくり万葉集」メモ(いずれもサイト内)。おとなのEテレタイムマシン「一点中継 つくる」(リストア版)、「美術家 篠田桃紅」(7/20 22:21)、「グラフィック・デザイナー 福田繁雄」(7/20 22:00)、「友禅作家 羽田登喜男」(7/27 22:00)、「画家 絹谷幸二」(7/27 22:21)、梅津正樹アナウンサー

沈没船からみる世界の歴史

  • 2024/05/27 06:03
  • カテゴリー:読み物

この機械の技術的な知識は古代のある時点で失われてしまう。後に同じような技術を使った機械が登場するのはビザンツ帝国とイスラム世界においてだが、アンティキテラ島の機械ほどの複雑な構造が再び世界に登場するのは、西暦14世紀になって機械式の天文時計が発達してからのことである。

古い沈没船が、ギリシャ本土の南端とクレタ島の間に位置するアンティキテラ島沖で発見された。この船の遺物に「青銅の塊のなかに変則レバーと思しきものが見つかった」。これがのちに「アンティキテラ島の機械」と呼ばれることになる。引用は、アラン・G・ジェイミソン著「沈没船からみる世界の歴史」(原書房、2023年)から(p47)。

県立図書館の新着コーナーにあるのを見かけた。そのタイトルを見て、アンティキテラ島沖の沈没船のことがきっと出ているだろうと思って借りて来た。

「アンティキテラ島の機械」を載せた船は紀元前60年頃に沈没した。残念ながら、その機械に関連する技術、知識は失われてしまい、同じような装置が次に出現するまでに千年を超える月日を要した。それほどの特別性を持つ機械だった。制作者はアルキメデスの可能性があると何かの本で読んだことがある。

ふと、山上憶良の偉大さを思った。憶良は万葉集の中で貧富の差について語っている。これが、わが国の文学でそのテーマを取り扱った最初だと言われる。8世紀のことだ。次に貧富の差を書いたのは江戸時代の井原西鶴。しかし憶良ほどの真剣な議論となると近代まで待たねばならなかった。8世紀から19世紀まで、ここにも千年の空白があった。

アンティキティラ島の機械|Wikipedia、山上憶良|Wikipedia

石見相聞歌

恋人が住む場所であれば、どんなところであっても素晴らしい。他人が何と言おうと最高だ

PCでNHKらじる★らじるにアクセスすると、万葉集の歌を解説していた。それは、柿本人麻呂が詠んだ「石見相聞歌」だった。一首目の長歌、巻2-131。

石見には、良い浦(入り江)はない、良い潟(浅瀬)もない、と他人は見るかもしれないけれど、そんなことはいいんだ、と人麻呂は詠む。風景描写に妹(恋人)を掛けている。現地に置いて来た妹のことを他人は良くは言わないかもしれないが、自分にとっては愛しくてしようがない女だと。

上で引用した解説を聞いて、ユーミンの「夕闇にひとり」に少し通じるものがあるように感じた。その歌は「あの人の噂が聞ける街なら私は流れて行くわ」と始まる。

験なき物を思はずは(サイト内)。こころをよむ「万葉びと、その生と死と」(4)「愛と別れと」、【出演】國學院大學文学部教授・上野誠(NHKラジオ第2、5/4 17:45)

ページ移動

  • ページ
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5

ユーティリティ

« 2025年03月 »

- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

検索

エントリー検索フォーム
キーワード

新着エントリー

Feed