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光る君へ、総集編

めぐりあひて見しやそれとも分かぬ間に雲隠れにし夜半の月かな

久しぶりに巡り会えたのにあなたは先に逝ってしまった、雲に隠れる月のように。百人一首にも採られたこの歌は、昨年のNHK大河ドラマ「光る君へ」にも登場した。が、その本編と総集編では扱いが違っていた。

本編の最終回。道長の死後、まひろは旅に出る。その前に、身辺を整理しつつ、これまでに詠んだ歌から選び一冊に綴る。「紫式部集」と伝わる書だ。それを道長の忘れ形見でもある娘賢子に託す。受け取った賢子はそこから一首読み上げる。それがこの歌だった。「幼なじみに会ったのですね」、母上にも友がいたのかと感想を漏らす。

総集編は、よくあるダイジェスト版ではなく、主人公まひろが人生を振り返るという趣向になっていた。伊東敏恵アナのナレーションは入らず、まひろ本人が語る。「私たちの始まりは、いずれの帝の御代だったのだろう」と源氏物語の冒頭を模して始まる。

歌の書き付けや手紙の類いを整理する場面が何度か挿し挟まれる。読み返してそれにまつわる出来事を回想する。賢子に託した綴りを書き進めているようでもあった。ただし賢子へそれを手渡す場面はない。それに道長の死もはっきりとは語られない。最後、まひろは旅の姿で一首を詠む。それがこの歌だった。

この同じ月をあの人も見ているだろうかと相手への想いを馳せた道長とまひろ。総集編はこの二人に月の歌を詠ませて締め括られた。道長はあの望月の歌。今宵の満月はほんとに良い月だなぁ、おまえに出会えて幸せな人生だった、まひろにそう語りかけているようだ。まひろは、雲隠れにし夜半の月かな、と返して、運命の人あなたは逝ってしまった、と鍾愛した道長を偲ぶのだった。

光る君へ(サイト内)。「光る君へ」総集編(NHK総合、2024/12/29 pm)終の巻「まひろ(吉高由里子)は、道長(柄本佑)に頼まれ、物語を執筆。すると狙い通り道長の朝廷での地位は盤石に。やがてまひろは道長の栄華を最後まで見守り、旅に出る。」

新春の音楽、25年

  • 2025/01/02 05:50
  • カテゴリー:音楽

きのう元旦のお昼、お正月らしいものをつまみながらお屠蘇をして、お雑煮を食べた。そのあいだ低い音で音楽を流しておいた。

箏の音が聴きたいという家人のリクエストに応えて「春の曲」などをかけたあとは、モーツアルトを選んだ。ベームのハフナー・セレナーデ(WPh、1970年)、レヴァインでアイネクライネナハトムジーク(WPh、1982年)、そして、パッシンらGerman Wind Soloistsのグランパルティータ(1987年)。

続いて、パスキエ・トリオのK563(60年代)を聴き始めた頃に食後のお茶になった。その機にモーツアルトは止めて、ラフマニノフのPf協2番に替えた、さらに音量を下げて。ソロはワイゼンベルク、指揮はカラヤン(BPh、1972年)。珍しくこの曲を引っぱり出したのは昨年の大河ドラマ「光る君へ」に感化されたからだろうか。

朱曉玫(Xiao-Mei Zhu)が弾くバッハのフランス組曲を聴きながら洗い物などキッチンの片付けを済ませた。

ベームレヴァインカラヤン光る君へ朱(Zhu)のフランス組曲(いずれもサイト内)。箏曲「春の曲」「初若菜」「吉野山」▽初春の調べ(NHK-FM、2019/1/2 7:20)

今年は巳年

謹賀新年。

ウサギが、自身の身丈ほどありそうな大きな魚を抱えている、そんな置物が土産物屋に並んでいるのを見た。2011年、中国四川省は成都の武侯祠でのこと。

同行した取引先のL嬢が教えてくれた。これは縁起の良い置物。ウサギは当年の干支。それが魚を抱えている。魚は、余と音(Yú)が同じ。お金が余る、財が貯まる意味、と。

ほかにも、同じ音の文字に関する話を折々に聞いた。

中国では、淡水魚が大量に養殖されている。例えば、ソウギョ、アオウオ、コクレン、ハクレン、フナ、そしてコイ。この内、コイは生産量が他に比べて極端に少ない。鯉は、その読みが帝の姓である李と同じ音(Li)なので食べるのが憚られた時代があった。それが現代にも影響しているということだった。

福の文字を大書している飾り物をレストランなどでよく見かけた。時々その文字がひっくり返って上下逆さまになっていた。ひっくり返ることを意味する倒が、到と同じ音(Dào)なので、福に到る(幸運を得る)と読ませるのだとか。

覚えているのはそれくらい、まだほかにもあったように思うけれど。

さて、今年は巳年。かの国では、果たして、ヘビと魚が絡み合ったような置物が並んでいるのだろうか。当家でも干支の飾り物を取り換えた。一年の役目を終えた張り子の辰から3センチほどの小さな巳へ交代。

2011/03/06 13:55 SHA-HND NH1260 B777-200 JA715A
2011/03/05 16:00 CTU-PVG MU5408 B737-800 B-5517
2011/03/03 09:00 PVG-CKG MU5419 A320-200 B-6601
2011/03/02 10:20 HND-SHA NH1259 B777-200 JA715A

養殖魚サバヒー(サイト内)。「豪勝」作

陶板レリーフの額装

夢を見た。

家人のかつての同僚2人が香港から沖縄へ遊びに来ている。一人は知っているがもう一人とは初めて会う。彼女たちと食事をしている時に時間の話になった。時間は、空間とともに世界を成立させる基本形式だけれど、空間と対等なのだろうか、という問いを一人が発したことがきっかけだった。えらく哲学的な話題に閉口しながらも、陶板のレリーフを額装しようとしている作業計画を例にあげて思うところを述べた。陶板は17センチ×21センチのサイズ。厚さ8ミリ。それが4枚ある。これを一枚ずつ額に入れるのか、それとも4枚すべてをまとめて入れるのか、その違いを考察する。そうすれば、時間が、空間にはない豊富な面を有することを説明できる。ヒントはこの本に書いてある。と取り出したのは、研究社の英和辞典だった。目が覚めた。

今年も暮れて行く。

夢を見た(サイト内)

ジャッジの落球

ボクサーがパンチをくらっても立ち続けるのと同じように、ジャッジは立ち続けていた。それが今年最も感動したシーンだった。

沢木耕太郎氏がそんな話をしていた。

ヤンキース対ドジャースのワールドシリーズ第5戦。ヤンキースは、4回までに5点リードして今日は勝ちだなと楽観ムードが漂っていた。ところが5回に一挙5点を失う。それは外野手のアーロン・ジャッジがごく平凡なセンター・フライをポロリと落球したことがきっかけとなった。その後、逆転され、ヤンキースはその試合に負け、シリーズにも敗れる。

大舞台でまさかのミスを犯したジャッジ。試合後に通路のようなところで、ぶら下がりのインタビューに応える。日本人なら、わかってる、悪いのはおれだ、はい終わり、と不貞腐れてそそくさと引き上げるところだろう。ジャッジは違った。多くのジャーナリストからの質問に向き合い一つ一つ丁寧に答えて行く。その間30分ほど、ジャッジはそこにいて立ち続ける。沢木さんは彼の男らしい姿に感動した、と。

年末の特集番組、2024年耳鼻科と眼科、24年10月(いずれもサイト内)。沢木耕太郎ミッドナイト・エクスプレス天涯へ2024(J-WAVE、12/24 24-27時)

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