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キーワード「漱石」の検索結果は以下のとおりです。

警視庁草紙

  • 2020/09/02 07:18
  • カテゴリー:読み物

石の道標によくよく眼を近づければ、左日ヶ窪、右堀田原と読めないこともない。

この道標のことを何かで読んだ覚えがある、と気にしつつ読み進める内に、盲の丸坊主を背負う場面があって、最後に夏目金之助(漱石)が出て来る。はたと気付いた。これは「夢十夜」の道標だ。引用は、「山田風太郎明治小説全集」第1巻「警視庁草紙」(筑摩書房、97年)の第4話「幻談大名小路」から(p97)。

さっそく青空文庫で確認した。果たして、道標が出て来るのは、あの恐ろしい「第三夜」だった。「なるほど八寸角の石が腰ほどの高さに立っている。表には左り日ヶ窪、右堀田原とある」。色んな話があちこちに顔を出す、この著者山田風太郎ならではと言うべきか。

日曜日に「ドンタク」とルビが振られている。例えばp218。オランダ語のzondagから、日曜日、休日、博多ドンタクのこと、と辞書にある。そういえば、就職先の工場実習で職長さんが、二日続きの休みを「ドンドン」と呼ぶ、土曜日(当時は半日休み)は「半ドン」と言うだろ、と教えてくれた。あの会社の連操三交代(四班)勤務には、16日の一周期あたり班毎に、1日の休みが2回と2日連続の休みが1回が組み込まれていた。

夏目漱石「夢十夜」|青空文庫。落語「らくだ」、小泉八雲「耳なし芳一」、錦織剛清「神も仏もなき闇の世の中」、夏目漱石「道草」。「警視庁草紙」初出73-74年。

坂の上の雲第6部

  • 2020/07/03 06:07
  • カテゴリー:読み物

神明はただ平素の鍛錬に力(つと)め戦わずしてすでに勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、一勝に満足して治平に安んずる者よりただちにこれをうばふ。古人曰く、勝つて兜の緒を締めよ、と

秋山真之が書いた連合艦隊解散ノ辞はそう終わる。司馬遼太郎全集第26巻(文藝春秋、73年)「坂の上の雲」第六部から。明治期に入って甚だしく混乱した文章日本語が「いくらかの型に整理されてゆくについては規範となるべき天才的な文章を必要とした」。漱石や子規の独創的な仕事がそうであり、真之の文章もまたその役目を果たした(p496)。

「坂の上の雲」全6部を読み終えて考えた、これは果たして歴史小説なのだろうかと。「百パーセントに近い」事実をベースとしている。新たな物語が紡ぎ出されているわけじゃない。歴史小説とは、ちょっと違うように感じる。著者の意図は、歴史上の事実や定説を紹介しそれらを評価することにあるようだ。それならば、いっそ、評伝、正岡子規や秋山兄弟の評伝、と捉える方が余程しっくり来る。

坂の上の雲(サイト内検索)。日本の新聞はむしろ流行を代表する(p284)、天気晴朗ナレド浪高シは天気予報から流用(p368)、準備に5年ほど執筆に4年三カ月(p510)

どんぐり

  • 2020/06/04 06:45
  • カテゴリー:読み物

寺田寅彦の随筆で忘れられない一篇がある。タイトルは「どんぐり」。妻を若くして失う。結核だった。忘れ形身の子が、こいもこいも(これもこれも)と、どんぐりを数える声が切なく響く。

亡妻のあらゆる短所と長所、どんぐりのすきな事も折り鶴のじょうずな事も、なんにも遺伝してさしつかえはないが、始めと終わりの悲惨であった母の運命だけは、この子に繰り返させたくないものだと、しみじみそう思ったのである。

話はそう終わる。悲惨であった運命、始めと終わりとある。終わりは病に関わることだろう。始めはどういうことだったのだろうか。当初読んだ時にも気になった。この度検索してみてそのことに言及しているサイトを見付けた。名前からすると親戚筋の方だろうか。

夏目漱石先生の追憶(サイト内)、寺田寅彦「どんぐり」|青空文庫「団栗」:寅彦と夏子、一瞬の夏、永遠の夏|寺田泰比古研究室

夏目漱石先生の追憶

  • 2020/06/03 06:55
  • カテゴリー:読み物

ずいぶん熱心に句作をし、一週に二三度も先生の家へ通ったものである。そのころはもう白川畔の家は引き払って内坪井に移っていた。立田山麓の自分の下宿からはずいぶん遠かったのを、まるで恋人にでも会いに行くような心持ちで通ったものである。

漱石との出会いを記した、寺田寅彦の随筆を読んだことがある。タイトルに、確か、夏目漱石の文字が入っている。青空文庫で確認した、「夏目漱石先生の追憶」だ。強く印象に残っている、まるで恋人云々の箇所を抜き書きした。

引用部分にある、立田山麓の下宿から内坪井の漱石宅まではGoogleマップで2キロ半ほど。現在なら徒歩で半時間。明治の当時であれば、どのくらいの時間がかかったんだろうか。

「夢十夜」第六夜(サイト内)、寺田寅彦「夏目漱石先生の追憶」|青空文庫寺田寅彦 - Wikipedia

「夢十夜」第六夜

  • 2020/06/02 07:12
  • カテゴリー:読み物

自分は積んである薪を片っ端から彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵しているのはなかった。ついに明治の木にはとうてい仁王は埋っていないものだと悟った。それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った。

この第六夜の最後が何を意味するか、あらためて、考えてみた。ここまでの話はこうだ。主人公(自分)は、仁王像を刻んでいる運慶を見物に行く。見事な出来栄えに、よく思うように眉や鼻が刻めるもんだと呟くと、作るんじゃなくて木の中に埋まっているのを掘り出しているだけだ、と近くにいた若い男に言われる。それなら誰にでも出来るとばかり、実際に自分でもやってみる。

若い男が言うことをその言葉通りに受け取ったことが間違いだった。本当は木の中に仏像が埋まっているわけではなく、あたかも土の中の石を掘り出すかのように、それ程までに運慶の腕前が達している、と彼は言ったまでのことだったのだ。仁王像は、芸術性や真理を象徴する物だろう。誰でも掘れば見付けられる安易なものではなく、才能がある者のみが見出すことができる。運慶の昔から「今日まで生きている」不変の道理だ。主人公はそのことに気付いた。

「ほぼ解った」と終わる。なぜ、ほぼ、なのか。漱石は自身が芸術家や科学者ではないので彼らに対する気遣いがあったろう。その遠慮が、作者漱石の投影である主人公にほぼと言わせたのかもしれない。弟子の一人、物理学者の寺田寅彦に、君はどう思うかねと訊ねる姿が目に浮かぶようだ。

蜜蜂と遠雷(サイト内)、夏目漱石「夢十夜」|青空文庫

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