お知らせ

メール送信フォームを設けました。ブログ記事への問い合わせなどにご利用下さい。

 

エントリー

キーワード「転職」の検索結果は以下のとおりです。

八月の六日間

  • 2020/01/08 06:40
  • カテゴリー:読み物

先に予定を決めてしまい、後から事実が追いかけるパターンで行く。そうでもしないと、ことが進まない。

北村薫著「八月の六日間」(KADOKAWA、14年)から(p225)。単独行で北アルプスをうろうろしていた頃のことを思い出した。結婚してもしばらく行っていたそれも40歳を過ぎてぱったり止めてしまった。転職などで身辺が俄に慌ただしくなり、山に行っている暇がなくなってしまったのだった。ピッケルや60Lザックは処分した。テントやシュラフはどこかにあるはず。虫干しぐらいはした方がいいんだろうな。

# 戸板康二著「あの人この人」、室生犀星作「昨日いらしつて下さい」。折立から雲ノ平へ

ビジネス書十選

  • 2019/11/28 06:16
  • カテゴリー:読み物

シリーズ十選、今回はビジネス書を10冊選んでみよう。

「理科系の作文技術」(木下是雄、中公新書、81年)。最初読んだのは83年、大学3年の時。以来何度開いたことか、特に口頭発表のところ。スライド(ppt)の構成、その勘所をこの本で学んだ。

「失敗の本質」(野中郁次郎ら、中公文庫、91年)。組織が失敗を繰り返すのであれば、その体質に問題がある。よって、失敗の本質を探ることで、組織改革の手がかりが得られる。最初に勤めた会社の研修ですすめられた。

「組織の盛衰」(堺屋太一、PHP研究所、93年)。ずっと続く事業や企業はない。その事実を認識することは、新規開発を担当する者にとって強力な動機となる。

「経営者の条件」(P・F・ドラッカー、ダイヤモンド社、95年)。成果をあげるにはどうすれば良いか。時間管理や、コミットメント、優先順位、意思決定など、基本中の基本が説かれる。原題、"The Effective Executive"

「僕はこうやって11回転職に成功した」(山崎元、文藝春秋、02年)。著者ほどではないにせよ、おれも複数回の転職を経験した。その際にこの本は大いに参考になった。そもそも転職すべきなのか、するとしたらそのタイミングは、条件交渉はどうする、など。

「7つの習慣」(S・コビー、キングベアー出版、96年)。重要だけれど急がない案件、それを可視化するツール「時間管理マトリックス」をこの本で知った。Ivy Lee Method とともに、おれにとって必携のツール。Ivy 云々を最初に見たのは野口悠紀雄著「超」整理法シリーズでだったと思う。

「経営戦略を問いなおす」(三品和広、ちくま新書、06年)。この本との出会いはたまたまだった。南千住図書館の新着本コーナーに並んでいるのを借り来て読んだ。そのしばらく後に受講生が募集された社内ビジネス・スクールに応募した、それはこの著者、三品先生が監修、講義するものだった。

「経営革命大全」(J・ボイエットら、日本経済新聞社、99年)。ポーターら著名な Guru 達は何を説いたのか、それをどう使えば良いのか、その限界はどこにあるのか。原書の題は、"The Guru Gide: The Best Ideas of the Top Management Thinkers"

「ジョン・コッターの企業変革ノート」(J・P・コッターら、日経BP社、03年)。かなり実践的な、変革のための7ステップ、が示される。原題 "The Heart of Change" は、正鵠を得ている。

「プロ弁護士の思考術」(矢部正秋、PHP新書、07年)。この本は処分せずに今でも手元に置いている。正解よりも選択肢を求める(p55)、パレートの法則で人を見る(p102)、反対意見に学ぶ(p130)。

検索「十選」(サイト内)、The Death of Competition(J・F・Moore、Harper Paperbacks、97年)

ラグビーとの距離

  • 2019/10/02 06:00
  • カテゴリー:未分類

1974(昭和49)年の「われら青春!」、この熱血青春ドラマでラグビーという球技を身近に感じるようになった。おれは小学校の6年だった。北海道ロケの回(二話連続)が深く印象に残っている、調べてみるとそれは勘違いで、一つ前の「飛び出せ!青春」での挿話だったようだ。毎回欠かさず熱心に観た割には記憶は混線しつつある。

高校の体育の授業でラグビーがあった。1978、79、両年度のこと。授業では色々な競技をする中、寒い時期のメニューはラグビーが主だった。ラインアウトからのモールを何度も何度も練習させられた覚えがある。3年次になると体育の授業はなくなり、ほっとしたような物足りないような妙な気分だった。

フランスの作曲家オネゲルの作品に「ラグビー」という曲がある。交響的断章第2番「ラグビー」H.67(1928年)。大学のオケにいた頃、第1番の「パシフィック231」を好んで聴いた一方で「ラグビー」の方はそうでもなかった。ただ、これに触れたことで、ラグビーという競技がフランスで盛んなことを知った。

就職した会社のラグビー部が、関西社会人リーグで戦っていた。バブルの頃だ。トンガだかニュージーランドだか南半球の国から助っ人も一人ならず迎え入れ奮闘。残念ながら、トップの神戸製鋼などには遥かに及ばず下位のリーグにあった。上位のリーグへ上がれそうな年には、動員がかかって皆で応援に行ったもんだ。あの頃が一つのピークだった。その後、部は十年ほど続いて解散した。web で調べると2002年とある。その年だったのか。その年の秋、おれは別の会社へ転職した。

われら青春!飛び出せ!青春ラグビー (オネゲル)関西社会人リーグ (いずれも出典は Wikipedia)、Arthur Honegger (1892-1955)

定年後(中公新書、17年)

  • 2018/12/17 07:21
  • カテゴリー:読み物

なぜか『3年が一区切りだった』と語る人が多い」という発言にも興味を持った。やはり1年や2年ではなく、また5年という話も聞かない。なぜか1クール3年なのだ(略)。一つの立場で物事をなすためには、3年程度の時間が求められるのだろう。

楠木新著「定年後-50歳からの生き方、終わり方」(中公新書、17年)から(p114)。大工や寿司職人などが一人前になるのに必要な10年程は3年が3クール、大学と大学院で3年が2クール、と、3年の組合せで捉えることができる、そんな風に書いている。

おれにとっての一区切りは、6年でやって来る。周りにもそう言って来たしここにも書いたことがあったと思う。意識し始めたのは、会社での研究所勤めがちょうど6年で終わったときだ。考えてみると、幼少期や、小学校、中高、大学と大学院、6年ずつで計24年。就職して研究所勤めに6年。果たして、その後も6年間が一区切りとなる、事業部へ転勤して6年、結婚して転職の準備とその試行に6年。そして、2005年、42歳の春、再度の転職で新しいシリーズを迎える。ここで、自身のホームグラウンドで本格的な事業づくり、全く未知の領域で事業づくり、各々に、やはり、6年ずつ費やした。今は、還暦に向かう6年間の中にいる。

# クール〖(フランス) cours〗放送で,連続番組の一区切りの単位。一三週(三か月)が一クール。出典:大辞林第2版

貴意に添いかねる・・・

これまでにその通知を、何度、受け取ったことか。今回も十中八九そうなるだろうと思っていた。なにせ、その領域はまったく経験なし、だいぶ年をくっている、そして、県外から引っ越して来て一か月経たない、と三拍子そろっている。それをカバーするほどには、動機や将来性を上手くプレゼンテーションすることが出来なかったということだ。今夕、通知が届いたあとの食事は、やはりと言い切るには多少の悔しさはあるものの、予想通り、残念会となったのだった。転職ほどの深刻さはないけれど、気分は重い。

何年か前にこんなことを書いている(有備無患 26、2010/03/14 08:14)。「職歴を送ってアプライした数、その内、面接に至った数、さらに転職回数、私の場合、これは順番に、19、7、2 だった。歩留まりは、三割、三割で、アプライから転職は一割となる。十通送って転職一回。そんな率なのか。意外な発見だ」。新しい道は隘路だ。その覚悟が要る。

ページ移動

ユーティリティ

« 2025年03月 »

- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

検索

エントリー検索フォーム
キーワード

新着エントリー

Feed