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キーワード「謙虚」の検索結果は以下のとおりです。

謙遜か、謙虚か

  • 2023/05/08 06:15
  • カテゴリー:読み物

へりくだる謙遜は日本人の美徳でもあるが、一歩間違えれば萎縮、卑下にもなる。

産経新聞のコラムにそうあった。「謙遜」は美徳なのだろうか。

手元の辞書で「謙遜」を引くと「自分の能力・価値などを低く評価すること。控え目に振る舞うこと」とある。どうも、あざとさが感じられてならない。

類義語に「謙虚」がある。控え目に振る舞う点は同じ。こちらは、素直な態度で学ぶ姿勢に通じており、言葉のニュアンスとして、より好感を持てる。

# コラム直球&曲球「中江有里 WBCが教えてくれたこと」(3/30)

終戦の日、22年

先の大戦で、日本は無謀な戦いに挑み破局に至った。無条件降伏して77年経つ今年、在京六紙の社説(8/15-17)はどう書いているだろうか、ざっと見てみた。

最も目を引いたタイトルは「岸田首相式辞 加害と反省なぜ語らぬ」(東8/16)。「日本が広島・長崎への原爆投下や各地の空襲、沖縄戦を忘れないように、日本に侵略された国も被害を忘れない。歴史をなかったことにはできない」。敗戦後の日本は「戦火を交えることなく、経済発展を遂げ、民主主義も定着させた」、それを「誇れるのも戦前への反省があってこそ」「政治には節目に当たり歴史と謙虚に向き合い、語っていく責任がある」。

「生命と自由を踏みにじる侵略戦争は最大の人権侵害だ」「権力の暴走に歯止めをかけるのは、政治の役割である」(毎8/15)。以上、左派系2紙は、政治が、と言う。

「時の政権と世論が一方向に偏り、暴走してしまう恐れは免れない。肝要なのは、戦争が招く結果を見失わぬよう自由で多様な論議を保障する民主主義の健全さ」だ(朝8/15)。「民意の支持を得た軍部は政治テロを起こして政党政治を萎縮させ、軍部主導で戦争への道を突き進んだ」、それを「防げなかった政治と民主主義の未熟さが大きな教訓」(経8/15)。この2紙も、政治が、と言っている。さらに民主主義を強調し、それを正しく守り通せなかったメディアの反省をニオわせている。

読売(8/15)は、現在の話としてこう述べる。同紙世論調査で「防衛費増額に賛成する人が約5割に達した。国民が危機感を強めていることの表れといえる」と。これは一種の煽りだろう。百年経っても、懲りずにまたそんなことをやるのか。

残る一紙、産経。同紙には驚かされることが多い。「当時の日本を侵略国と決めつけ、断罪していいものか」「人種平等や欧米植民地支配打破をめぐって、日本を評価する見方があることも知っておきたい」(産8/15)。なんと、あの侵略戦争を正当化する意見が新聞の社説欄に載る、そんなことが現代の日本で起こるんだな。ほんとにびっくりした。

この2紙の社説(読産8/15)に政治の文字は登場しない。

さて、8/15週の六紙社説は、そのほかに、韓国大統領演説や、GDPの回復、外国人技能実習制度、タリバン復権1年、杉田政務官問題などを採り上げた。もちろん旧統一教会の件も引き続き出ている。

中国がらみの話題が並ぶ。ウイグル報告書(東8/17)、中国の科学力(産8/17)、スリランカの港(読8/18)、台湾白書(産8/19)、自律致死兵器(朝8/20)、そして、近海の海底資源(読8/20)。

六紙社説、北支事変(サイト内)

役所広司▽私の人生手帖

想像力だけではなかなか上手くいかない

録音しておいたインタビュー番組を二つ続けて聴いた。引用は、謙虚な姿勢が強く印象に残った、役所広司さんのお話から。

再生を止めてしばし考えた。基本を身につけると、応用が利くようになる、未経験のことも想像力でカバーできるようになる、はずだ。想像力だけでは上手くいかないとは、いったいどういうことだろう。「忘れようとしても思い出せない」の類いだろうか。奥が深い。

役者という商売について、「満足しないで当たり前だなあと思う。まあ、後悔してるぐらいがいいのかなあ。次やると上手くいくかもしれない」、そう思うからこそ長く続けられている、そんな風にも語っていた。

# 佐藤浩市▽インタビュー(NHKラジオ深夜便、5/27 23時台)、役所広司▽私の人生手帖(同、5/28 4時台)

明治天皇という人

  • 2022/04/29 06:29
  • カテゴリー:読み物

明治天皇のもとでおこなわれた日清・日露の戦いは、上から下まで、「文明」の戦争をたたかうという意識が強かった。

近代西洋がつくったルールに則り、戦いを進め、戦後は賠償金や領土割譲を交渉する。松本健一著「明治天皇という人」(毎日新聞社、2010年)、見出し「山縣有朋の国際法意識」の部分から(p384)。

台湾出兵問題(明治7年、1874年)では、大久保利通が国際公法を重要視したことが述べられる(p178)。引用にある日露は、明治37(1904)年から翌年にかけての戦いだった。明治の日本は、世界の強国=文明国を目指し、国際ルールの遵守を徹底していた。ところが大正になるとその遵法精神があやしくなる。

大隈重信が、第二次内閣を組織した折、対支二十一か条要求(大正4年、1915年)を強行する。その辺りをスタート点として、日本は、増長して行く。その無茶な要求から十数年を経て、満州事変(昭和6年、1931年)での一方的な国際法違反に到る。

明治天皇は、大隈のことを嫌っていたという。「策士あるいは策謀を弄す政略家」「金づかいの荒い浪費家」という印象をもっていたようだ(p329)。これは、謙虚と質素を旨とした西郷隆盛が大隈を嫌ったことが影響している。その西郷は、大隈のことを、小人であり有徳の人ではないと評した(p332)。重職を任せると必ず国家の危機をもたらす、上位に置いてはならぬと。その大隈が首相になった時期があったのだ。

大正時代のことで興味深い記述がある。明治憲法に規定されている統治権の欠陥に気付いた原敬が、将来の天皇が「統帥権云々を振り回したりしないようにとの配慮から」、皇太子の英国外遊(大正10年)を計画した(p255)。国の統治を先進国で実見してもらう。その原は、元老山縣有朋のお気に入りだった(p414)。山縣の「人事や戦略にはあまり誤りがなかった」(p316)。

松本健一乃木伝説の思想(いずれもサイト内)

大延長

  • 2022/01/26 06:22
  • カテゴリー:読み物

卑屈と謙虚は違う。謙虚さを忘れたら人は駄目になるが、卑屈になったらもっと駄目になる

堂場瞬一著「大延長」(実業之日本社、2007年)から(p41)。舞台は、高校野球夏の甲子園。決勝戦が15回で決着がつかず翌日再試合となる。それもまた延長戦にもつれ込む。

投手は一年前に右膝の半月板を手術して再びマウンドに戻って来た。決戦の土壇場になってその古傷が彼を苦しめる。初場所の照ノ富士も似たような状況にあったようだ。12日目に土俵下に転落し古傷を痛めてしまう。左の膝だ。「今後の事を考えると、とても相撲が取れる状態ではなかった」と北の富士さんは記している。投手はその夏の怪我で選手生命に幕を閉じた。横綱はどうだろう。何事も無かったようにまた土俵に戻って来るだろうか。

チーム(サイト内)。相撲の神様は時に意地の悪いことをする 照ノ富士は膝をしっかり治して(1/24)|北の富士コラム

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