冬の標
- 2022/01/21 06:42
- カテゴリー:読み物
あのまま絵の道をすすんでいたら、どうなっていただろうかと、十八年も経ってから思うのは馬鹿げているが、このまま何もはじめなければ次の十八年が繰り返されるだけであった。
嫁に行くことになり、あれほど好きだった絵を続けることを諦める。それから18年が経ち、主人公の明世は36歳になっていた。乙川優三郎著「冬の標」(中央公論新社、2002年)から(p58)。
著者の作品はいくつか読んだことがある。印象に残っているのは、例えば「かずら野」「向椿山」など。これからは、この「冬の標」を、まず思い浮かべることになるだろう。
36歳になった主人公は、柵(しがらみ)を振り払って、絵の道を行くことを決心する。突き詰めて考えた末の結論だった。彼女ほどの切実さはなかったけれど、私にも18年間の逡巡と36歳の決心があった。
私が就職した先は、ある化学メーカーだった。大学で専攻した化学の知識や技術を活かす無難な選択だったと思う。それは確固たる信念に基づいていなかったこともあって、これで良かったんだろうかという思いが時として頭をもたげた。18から20歳の頃に別の道を見ていた。大学を入り直すことさえ考えた。働き始めてからも、それが、いつも心のどこかに引っかかっていた。大した才能はないし意志も弱い、そっちの道はない、それは判っていたけれど、煮え切らなかった。ようやく吹っ切れて、別の化学メーカーに転職し新たなチャレンジを始めたのは結婚が契機となった。36歳だった。私の場合、36歳の決心は、切り替えではなく、迷いながら歩んできた道にどっぷり浸かり直すことだった。
あれから疾うに18年は過ぎた。さらに6年が経とうとしている。第二の転職などそこそこ波乱はあったけれど、やはり無難な選択、その域からは出なかった。主人公のその後の苦難を想像してみて、そんな風に思う。