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キーワード「アイデア」の検索結果は以下のとおりです。

「私と八木一夫」

ほんとに、酒を吞むと喧しいばかりの人。その喧しさというのは、全部、造形の話。そこへ帰納するか、そこから出て行くか。そんなことしか考えてない。だけど、相手が、着物を着てる場合には、ぎゃっと、脱がしたがる。それが厄介なだけ。

作家・司馬遼太郎(1923-1996)が、前衛陶芸家・八木一夫(1918-1979)を語る。日曜美術館「私と八木一夫 司馬遼太郎」(1981年)から。

脱がす、というのは比喩だ。直前にこういう話があった。八木は「裸になって」、つまり伝統やら何やら全てを「否定して」創作活動を行った。突き詰めて、突き詰めて、新たなものを創り出して来た。裸と着物の対比だ。着物を着ているとは、しっかり考えていない、ということか。

しっかり考えずに生半可なことを言う、そんな輩に、八木は激しい言葉で芸談をぶつけることが度々だったのだろう。

黒田辰秋 ものづくり問答アイデアが固まる時(いずれもサイト内)。おとなのEテレタイムマシン選・日曜美術館「私と八木一夫 司馬遼太郎」(NHK-Eテレ、10/18 22時、初回放送1981/2/22)

帰省、25年9月

今回もソラシドエアで。

2025/09/30 17:25 UKB-OKA 6J129 B737-800 JA803X
2025/09/27 11:15 OKA-UKB 6J126 B737-800 JA808X

往路、搭乗口38番は、飛行機までバス。ゲート前の待合室は混み合っていた。近くの人たちの話が聞こえて来る。向かいの人は神戸あたりの言葉だろう。同じ関西弁でも大阪の言葉とは聞いた印象はだいぶ違う。

昔、上野駅の広い構内を、啄木の歌碑を探して歩いたことがあった。「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」。歌人は、実際、聞くためだけに駅へ行ったのだろうか。それとも帰省などの際に歌のアイデアを思い付いたのだろうか。

バスを待ちながらそんなことを思った。

帰省・兵庫、25年5月(サイト内)

ジャッカルの日

  • 2025/08/22 06:00
  • カテゴリー:読み物

最終的にこのプランでいこうと決心するまでに、一ダース余りのアイデアを子細に検討した。"いつ"と"どこ"はすでに決定していたので、最後に残った"どうやって"を解決したのである。

F・フォーサイス著「ジャッカルの日」篠原慎訳(角川書店、1973年)から(p73)。

主人公ジャッカルは、一ダース余り、十数個のアイデアを検討。そして、一つの暗殺計画を練り上げた。採用されなかった残りのプランはどういうものだったのだろう。

似たような話があった。5つほど案を出して、まず手初めて第1のプランでやってみたら上手くいって一件落着。その顛末を聞いて、残り4つほどの未実施のプランを聞けないのは残念なことだ、と助手が悔やむエピソードがあった。確か、ホームズとワトソンの物語だと思うのだけれど、どういうタイトルか全く思い出せない。

事の成否は選択肢を並べられるかどうかに依る。数があればいいと言うものではない。どれを採っても有効な選択肢を、それも最低3つは用意したい。

フォーサイス氏死去名探偵の誕生選択を間違えた場合に矢部正秋(いずれもサイト内)。変装のエキスパート(p354)

べらぼう(15)

売れる売れないはどうでもいいのよ。こんなもんは遊びなんだから、楽しけりゃそれでね。で、誰とやるのが一番楽しいか、って言われたら、そりゃ、おまえさんなんだよ。

戯作者、道蛇楼麻阿(尾美としのり)が言う。彼にはちょっと下心がある。のだが、このセリフを聞いて、誰をバスに乗せるか、の話を思い返した。何かを始めようとする際、仲間選びこそ重要で、何をするかなんてことは後回しで良い、という事業開発の秘訣。

引用は、NHKの大河ドラマ「べらぼう」第15回「死を呼ぶ手袋」から。

この回、始まってすぐに(55秒あたり)、蔦重(横浜流星)が新たに構えた店に並ぶ本が何冊か映った。題簽が、はっきり読めたのは「娼妃地理記」。著者は道蛇楼麻阿。

この本は、鈴木俊幸教授(中央大学文学部)によると、日本国ならぬ月本国の地理書(のパロディ)。女郎屋を郡に、遊女を名所に、各々見立てた、遊女評判記なのだとか。そういえば、前回だったか前々回だったか、蔦重と麻阿がそんな本のアイデアを出し合う様子が描かれていた。それが具体化された。

著者の道蛇楼麻阿、どうだろう、まあ。人を喰ったようなネーミングだ。この人、色々な名前を持っている。その一つ、朋誠堂喜三二は、干せど気散じ、つまり、懐はさびしいが遊び暮らす、というような意味らしい。狂歌を詠む際には、手柄岡持や、浅黄裏成の号を用いたのだとか。実は、どこかの藩の江戸留守居役、平沢というお侍。

言葉遊びがなかなか気が利いている。「娼妃地理記」も「笙、篳篥」の駄洒落になっていると鈴木教授が話していた。

「娼妃地理記」が出版されたのは安永6年。西暦では1777年。モーツアルトが名作をどんどん書き始める頃。ディベルティメント第15番(K287)はその年の作曲と言われる。

べらぼうフレームワーク十選(いずれもサイト内)。大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺」(15)死を呼ぶ手袋(NHK総合、4/13 20時)、日曜カルチャー「蔦屋重三郎のまなざし」第2回(NHKラジオ第2、4/13 20時)【出演】中央大学教授…鈴木俊幸、「旭縁起那須野俤」、平沢常富(朋誠堂喜三二、道蛇楼麻阿、1735-1813)

トイレでの気付き

来た時よりも美しく

図面をプリントアウトするために時々立ち寄るコンビニ、そこのトイレでそんな貼り紙を見た。以前にはなかったような気がする。マナーの悪い利用客が増えているのだろうか。

随分昔その言葉を見たことを思い出した。まだ社会に出る前、何度もお世話になったお寺の宿坊にそれはあった。今も、公共の場や職場など共用スペースを使ったりする時に、来た時よりも美しく、と頭に浮かぶ。それは、あの墨書きされた言葉が、心の奥底に染みついているからなのだろう。

昨年だったと思う。そのコンビニのトイレには床に排水口があって、その金属製の蓋からヒントを得たことがあった。ある方のリクエストに応じて、スピーカーのエンクロージャづくりを進めていたのだけれど(#18)、正面グリルの意匠をどうするか考えあぐねていた。木工教室へ行く途中そのトイレに立ち寄り、排水口の蓋を見て、デザインをまとめることができた。

トイレで何かを思い出したり気付いたりする。別に意外なことではないのだろう。古くより三上と言われる。その一つ厠上もアイデアを得るところ。

梅雨明け、2024年(サイト内)、「春夏冬二升五合」、F02710H0、欧陽脩「帰田録」

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