雷鳥の森
- 2021/01/04 06:46
- カテゴリー:読み物
二十年が過ぎたが、彼にはまるできのうのことのように思われる。人が生きていくなかで、時の長さは、暦ではなく、生じた出来事によって計られるからだ。道の長さが、実際の距離ではなくて、道行きの困難さによって記憶されるのと同じように。
マーリオ・リゴーニ・ステルン著「雷鳥の森」(みすず書房、04年)に収載の「向こうにカルニアが」はそのように始まる(p1)。カルニアは、中央ヨーロッパから西に歩いてアルプスを越えてきた者が、最初に踏むイタリアの地、と注にある。著者もまた、アルプスを越え、ナチスの強制収容所から生還したのだった。
持ったる懐剣なげうったが背筋へ当たってのう。暑さ寒さ陽気の変わり目に痛んでならん。二十年以前の傷だが、治るか。
古傷、切り傷に効き目があると口上し、がまの油を商っておれば、背中に後ろ傷を負った親の仇にいつか巡り合えるに違いない、と香具師に身をやつした姉弟。今まさに討つべき仇が眼前に現れた、のだが。引用は、三代目三遊亭金馬の落語「高田の馬場」から。放送、NHK第1、1/3 ラジオ深夜便1時台。初出、同局、56年3月の「演芸独演会」。
それから20年たった今、コロナ感染拡大を受けた給付金支給の混乱などを見れば、行政のデジタル化は進んでいなかったことが分かる。
2001年、時の森喜朗内閣が、IT国家戦略をぶち上げたのだったが、結局は何も進まなかった。引用は、「デジタル庁」元年、DX挽回なるか 菅首相肝煎り―番号カード・行政システム焦点(jiji.com、1/1 7時19分)から。縦割りや縄張りでデジタル化を阻む官僚機構、果たしてそれに風穴を開けることができるだろうか。
場所も時代も異なる3つの話。共通するのは「20年」、ただそれだけ。
# Mario Rigoni Stern (1921-2008)。石丸謙二郎の山カフェ「山びとの生き方~服部文祥さん」(NHKラジオ第1、11/21 8時)