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ベッテルハイム

  • 2018/06/27 06:48
  • カテゴリー:読み物

ベッテルハイムの始めた種痘は、仲地紀仁という琉球人医者の援助がなければ決して成功しなかったであろう。仲地(1789-1859)は中国と薩摩で医学を学び、ベッテルハイムの来琉するまでの学問的業績によって著名であった。

この琉球人医者の名は、先日聴講した文化講座「近世琉球の医療技術―東アジアの中で―」の資料に登場していた。薩摩へ留学(医道稽古)した医師たちのリストに、1818-19年、泊村の松氏三世紀仁とある。中国姓になっているが、この人物だ。薩摩藩の側医師である宅間瑞庵らに学んでいる。

引用は、照屋善彦著「英宣教医ベッテルハイム - 琉球伝道の九年間」(人文書院、04年)から(p238)。この原著は半世紀前に英文で執筆された、Y. Teruya, Bernard J. Bettelheim and Okinawa: A Study of the First Protestant Missionary to the Island Kingdom, 1846-1854., 1969

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