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ドビュッシー最後の一年

芸術の抽象化がすすんでいた。

それに続けて象徴的な作品が紹介されている、ピカソの「アヴィニョンの娘たち」(1907年)、シェーンベルグ作品11「3つのピアノ曲」(1909年)、そして、カンディンスキー初の抽象画(1910年)。キュービズム最初の大規模な展覧会(1911年)にも触れている。青柳いづみこ著「ドビュッシー最後の一年」(中央公論新社、18年)から(p22)。

この本の主人公、ドビュッシー(1862/8/22 - 1918/3/25)はどうだったのか。ごく少ないながら一線を越えてしまった作品はある。例えば、前奏曲集第二巻の「霧」など。前衛的な作風を試してみたと見るべきか。伝統に囚われない自由な和声や音律を多用したドビュッシーにとって、線の向こう、「抽象化」は、すぐそこだったはず。しかし、彼の多くの、特に代表的と言われる作品は、いずれも聴いて心地良い(おれの私見)。彼が工夫した新しい音の数々は「高次倍音列」から外れていない。

芸術の抽象化が進む、百年前のその時代に、世界初の本格的デザイン学校バウハウスが設立される。当然の流れ、もしくは時代の要請だったと認識すべきなのだろうか。実際、抽象画の先駆者カンディンスキーが、その学校で教鞭を執ったことは知られている。芸術の抽象化とバウハウス設立、その関係をどう捉えるべきか少し考えてみよう。

# 構想された6つのソナタ、未完の3曲内一つは Sonata for Tp, Cl, Fg & Pf

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