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満州事変から日中戦争へ

  • 2020/11/03 06:32
  • カテゴリー:読み物

書記官長の森は「フロックコートを着て馬賊に対するような、国際正義外交を日本が一方的にやってみたところで何の効果もない」と放言するような人物であり、それは関東軍の方針と一致するものであった。

政権の要職にこんな好戦的な人物がいたんだな。引用は、加藤陽子著「満州事変から日中戦争へ-シリーズ日本近現代史(5)」(岩波新書、07年)から(p124)。

森恪(もりつとむ、1883-1932)、内閣書記官長。マイペディア97にこうある、「1920年三井物産を退社し,政友会代議士となる。東方会議を事実上主宰。1929年政友会幹事長,1931年犬養毅内閣の書記官長となる。対満強硬策を高唱し,軍部と結び満州事変ほか大陸侵略政策を推進」。

日中戦争の初年に投入された10個師団の役種内訳(1938年8月陸軍省調べ)、「現役兵の率16.9%、予備兵28.3%、後備兵41.5%、補充兵13.5%」(p216)。石原莞爾(参謀本部第一部長)は、対ソ戦に備えて満州での軍拡を企図し、上海や南京などの中国戦線には現役兵率の高い精鋭部隊を投入しなかったのだ。

戦争まで(サイト内)、森恪石原莞爾|Wikipedia

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