避けられた戦争
- 2025/10/08 06:30
- カテゴリー:読み物
日本にとって、山東利権とともに、重視したのが1923(大正12)年で切れることになっていた旅順・大連を含む関東州の租借権をどう延長させるかという問題であった。そのため、日本は、西洋列強の関心がヨーロッパに集中していた第1次世界大戦中の1915年1月に「21カ条要求」を中華民国の袁世凱政府に突き付けた。
この「21カ条要求」が、門戸解放の方針を取っていた米国の不興をかう。米国が、極東の日本を鬱陶しい存在と認識する。引用は、油井大三郎著「避けられた戦争~一九二〇年代・日本の選択」(ちくま新書、2020年)から(p36)。
関東州の租借権は、元々ロシアが、中国から獲得したものだった。1898年から25年間という期限付き。それを日露戦争後に日本がそのまま引き継いでいた。
日露戦争(1904-05年)には勝ったものの、得るものが少なかったと民衆の多くは不満を募らせ、日比谷焼打事件などの騒ぎにも発展した。ロシアから関東州を、ドイツからは山東半島や南洋の島々を、各々引き継ぐ。それら領土拡大を「21カ条要求」で、より確たるものとする。それは、日本の国民皆が望んだことだった。
著者は、エピローグで、戦後70年の安倍談話(2015年)に触れている。日本はなぜ戦争への道を歩んだのか。安倍談話は、どこか「他人のせい」にしていて、主体的な反省が抜け落ちている。「それでは日本の戦争によって多大な被害を受けた近隣諸国民から共感を得られないだけでなく、日本国民の反省にもつながらない」(p300)と。
反省が足りないと、我々国民は、また、好戦的なリーダーを選び兼ねない。
# 「国策の誤り」、戦時下の宰相たち、戦争調査会、戦争が終結しない理由、「彼ら」に映る「私たち」(いずれもサイト内)