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戦争調査会

  • 2025/10/04 06:58
  • カテゴリー:読み物

明治維新にまでさかのぼるのは長すぎる。幣原にとって満州事変の勃発が敗戦の原因ではなかった。行き過ぎた「平和とデモクラシー」をもたらした第一次世界大戦にのちの戦争の起源を見出した。

先の大戦後、戦争調査会を立ち上げた幣原喜重郎首相はそう考えていた。井上寿一著「戦争調査会-幻の政府文書を読み解く」(講談社現代新書、2017年)から(p135)。

同書の帯に、「日本人自らの手で開戦、敗戦の原因を明らかにしようとしたものの、GHQによって1年弱で廃止された未完のプロジェクト」とある。

二部構成になっている。第二部「なぜ道を誤ったのか?」の第V章「戦争の起源」を興味深く読んだ。あの戦争は、軍部の暴走が原因だった、とも言われる。そこに至るまでに軍がどのようにエネルギーを蓄積して行ったのかが判るような気がした。

第一次大戦(1914-18年)後、世界は軍縮に取り組み、日本もそれを受け入れる。軍や軍人は、白い目で見られ社会における立場を失い、不平、不満を募らせていく。

そんな折、国家社会主義者の北一輝が「国家改造案原理大綱」を発表する(1919年)。不満分子、特に青年将校たちは、その著作に大いに傾倒し、武力行使へと走る。五・一五事件など反乱事件を巻き起こし、結果的に、軍部の発言力を強める。

また、軍縮の受容は、内閣が天皇の編成大権を侵犯したものであると非難される。いわゆる統帥権干犯の問題。これが内閣への軍の介入を許していく入口となる。

「シミュレーション」「開戦への道」日本の失敗(いずれもサイト内)。第2部会の部会長「飯村穣(元憲兵司令官、陸軍中将)」(p23)、「統帥権干犯とは北一輝の造語といわれる」(p149)、「南部仏印進駐は対英米蘭戦争への分岐点だった」(p196)

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