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キーワード「戦争」の検索結果は以下のとおりです。

憲法記念日、22年

六紙社説は揃って憲法施行75年を採り上げ、憲法第9条について触れている。ウクライナがロシアに攻め込まれ、国家の主権が容易く侵害されてしまう現実を目の当たりにした。わが国は大丈夫だろうか。憲法の定めで、果たして、平和と安全を守り通すことができるだろうか。各紙の主張を見てみよう。

「前文や9条の改正は、憲法改正問題の一丁目一番地であるべきだ。戦力の不保持を定めた9条2項を削除し、軍の保持を認める本格改正が求められる」(産5/3)

「憲法改正の最大の焦点は、国の安全保障を担う自衛隊をどう位置づけるかだ」「自民党は2018年、9条を維持したまま、自衛隊の根拠規定を追加することを提案した」「各党はこれをたたき台にしてはどうか」(読5/3)

「憲法9条が定める戦争の放棄、戦力および交戦権の否認の考え方と、日本の安全を守るための防衛力強化の整合性が問われている。国会での冷静かつ丁寧な議論を通じ、国民のより幅広い理解を得ながら結論を導いていくべきだ」(経5/3)

産経と読売の2紙は改正派。日経は、議論を求める。意見が割れる場合に同紙はそう書くことが多いように思う。続いては、護憲の3紙。いずれも防衛の備えを持つことには反対はしていない。どんな表現をしているだろうか。

「東アジア情勢を踏まえ、憲法の枠内で防衛力を見直すことは必要」(毎5/3)、「他国に脅威を与えない範囲内で防衛力を整備する」「日米安全保障体制の信頼性を高める」「憲法にのっとった、こんな抑制的な対応」(東5/4)、「自衛のための必要最小限度の防衛力」その「着実な整備が必要」(朝5/3)

この3紙は、第9条とは書かずに第9条を語っている。主権国家が自衛権を有することは自明であり憲法に書くまでもない、かつ、自衛のための必要最小限度の防衛力は戦力ではなく、第9条2項の戦力不保持との整合性はとれている、との解釈に依っているのだろう。

また3紙は、専守防衛が日本の基本方針であると改めて説く。他国へ攻め込まないということだ。侵略する側にならない、それは、侵略される事態を防ぐ、と併せて議論される必要があるだろう。20世紀前半に日本が何をしたか、世界は忘れてはいない。

さて、5/2週の六紙社説では、そのほかに、ウクライナ情勢や、北ミサイル発射、デジタル規制改革、こどもの日、米大幅利上げ、首相欧州歴訪などが題材になった。

六紙社説、コロナ下の憲法記念日(いずれもサイト内)。「ウクライナ情勢と日本の安全保障」田中秀征▽聞きたい(マイあさ!、NHKラジオ第1、5/5 7時台)、憲法9条解釈のポイント(政府解釈を前提として)|衆議院

明治天皇という人

  • 2022/04/29 06:29
  • カテゴリー:読み物

明治天皇のもとでおこなわれた日清・日露の戦いは、上から下まで、「文明」の戦争をたたかうという意識が強かった。

近代西洋がつくったルールに則り、戦いを進め、戦後は賠償金や領土割譲を交渉する。松本健一著「明治天皇という人」(毎日新聞社、2010年)、見出し「山縣有朋の国際法意識」の部分から(p384)。

台湾出兵問題(明治7年、1874年)では、大久保利通が国際公法を重要視したことが述べられる(p178)。引用にある日露は、明治37(1904)年から翌年にかけての戦いだった。明治の日本は、世界の強国=文明国を目指し、国際ルールの遵守を徹底していた。ところが大正になるとその遵法精神があやしくなる。

大隈重信が、第二次内閣を組織した折、対支二十一か条要求(大正4年、1915年)を強行する。その辺りをスタート点として、日本は、増長して行く。その無茶な要求から十数年を経て、満州事変(昭和6年、1931年)での一方的な国際法違反に到る。

明治天皇は、大隈のことを嫌っていたという。「策士あるいは策謀を弄す政略家」「金づかいの荒い浪費家」という印象をもっていたようだ(p329)。これは、謙虚と質素を旨とした西郷隆盛が大隈を嫌ったことが影響している。その西郷は、大隈のことを、小人であり有徳の人ではないと評した(p332)。重職を任せると必ず国家の危機をもたらす、上位に置いてはならぬと。その大隈が首相になった時期があったのだ。

大正時代のことで興味深い記述がある。明治憲法に規定されている統治権の欠陥に気付いた原敬が、将来の天皇が「統帥権云々を振り回したりしないようにとの配慮から」、皇太子の英国外遊(大正10年)を計画した(p255)。国の統治を先進国で実見してもらう。その原は、元老山縣有朋のお気に入りだった(p414)。山縣の「人事や戦略にはあまり誤りがなかった」(p316)。

松本健一乃木伝説の思想(いずれもサイト内)

世界「新」経済戦争

  • 2022/04/25 06:30
  • カテゴリー:読み物

(1980年代、日本車の実力やCPの高さは誰の目にも明らかになっていたが)それでもドイツ人は、その後も長い間、日本車の実力を認めることはなかった。おそらく今でも認めていないのではないだろうか。

川口マーン惠美著、世界「新」経済戦争(KADOKAWA、2020年)から(p68)。副題は、なぜ自動車の覇権争いを知れば未来がわかるのか。

ドイツに駐在している頃に感じた。ドイツ人はこと自動車に関しては過剰なほどのプライドを持っている。ドイツが自動車発祥の国だからなのだろう、著者が言うように「ほとんど選民的意識」(p9)なのだ。こちらが日本人と判るや、何かと自動車の話題を振って来る。デリケートな領域に足を突っ込まないように、気のない返事をするようにしていたものだ。

最早ドイツだ日本だと言っている場合じゃない。世界市場は、テスラや中国勢に席巻されてしまいそうだ。既存の自動車メーカーや、それを主たる産業として来た国は、さあて、どんな手を打とうとしているのだろうか。

そういえば、今年のサッカーW杯、日本とドイツは同じE組になった。こちらも自動車ビジネスのように熱戦が繰り広げられるだろうか。

英、EU離脱1年住んでみたヨーロッパ~(サイト内)。EV世界販売460万台、HV超え ホンダは5兆円投資(nikkei.com、4/12 18:00)

なぜ日本に米軍基地が

  • 2022/04/20 06:31
  • カテゴリー:読み物

占領が終わっても、日本があの憲法を使いつづけるとは思わなかった。日本が独立を回復したら必ず憲法を改正して、自分たちの軍隊をもつようになるだろうと思っていた

日本国憲法を起草したGHQのメンバー、ケーディス大佐の発言。松本健一著「なぜ日本にアメリカ軍の基地があるのか」(牧野出版、2010年)から(p52)。

国際法を一方的に破ってアジア太平洋戦争を仕掛けた日本。敗戦の後、連合国から新しい憲法が押し付けられる。それには、懲罰的に「戦争の放棄」条項が書き込まれていた。であれば、占領状態が終わり、罰則が解けたらすぐにでも、独立国に相応しい憲法に改めたはず。ところがそうしなかった。そればかりか日米安全保障条約を締結し、国を守るのは自分たちではなく米国に任せる道を選んだ。

「自衛軍をもって、五兆、六兆円を支出する」のに比べれば、「一兆円程度の金額で」米軍に基地を貸しておくだけで、日本の防衛はアメリカがやってくれる(p164)。自分で守るという自尊心を放棄して従属国と蔑まれても損得勘定で決めてしまったのだ。

昨年12月、東京新聞が「週のはじめに考える 沖縄は植民地ですか?」と題する社説を掲載した(東2021/12/19)。タイトルの沖縄を日本に置き換えて問うべきかもしれない。

日本の失敗(サイト内)

日本の失敗

  • 2022/04/19 06:24
  • カテゴリー:読み物

再確認のためにいっておけば、戦後憲法における「戦争の放棄」という条項は、一九二八年の「不戦条約」における「国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スル」条項を、日本が一九三一年の満州事変以来、一方的に破ったこと。その結果として、連合国から一国の憲法に懲罰的に「戦争の放棄」条項が書きこまれたのである。

罰則で十字架を背負わされたと理解すべきだろうか。松本健一著「日本の失敗」(岩波現代文庫、2006年)から(p164)。本書副題は、「第二の開国」と「大東亜戦争」。もっと早くに読んでおくんだった。1998年刊。

欧米諸国は、第一次世界大戦でのあまりに酷い戦禍を目の当たりにし、互いに戦争を制限し防止することを約した。結果、通称「不戦条約」と呼ばれるパリ条約(1928年)や、支那ニ関スル九ヵ国条約(1922年)などが樹立された(p156)。日本は、それら国際的な取り決めに参加していながら、それを踏み躙ったのだ。

日本は「日清・日露では開戦の詔勅において、国際法を守って戦う、と宣言」(p294)。それなのに、なぜ、後の戦いでは遵法の観念が失われてしまったのか。

欧米で「その観念が急速に強まる」のとは対照的に、ヨーロッパ戦線の惨状を見ていない日本は「時代と情勢によってときどきに変化する」国際法に敏感ではなかった。どうやら依然「帝国主義の覇権競争のまっさかり」と思い込んでいたようだ。袁世凱政権に対して対支二十一か条要求(1915年)を突き付け、中国での権益の延長、拡大を企てる。

本書は、人材の欠如を指摘している。昭和の軍人たちは、「国家指導者としての意識と責任感が希薄で」「ましてや、国際的なルールのうえで戦争をおこなう、という発想が」欠落していた(p302)。明治の頃は、「伊藤博文や山縣有朋などの元老が」国際法を意識し、かつ軍部をコントロールできていたのだが(p174)。

検証戦争責任象徴の設計明治維新とは何だったのか(いずれもサイト内)。国際連盟規約(1920年)、北一輝(p30)、譚人鳳(p41)、小澤開作(p120、三男・征爾)、斎藤隆夫(p209)、西田幾多郎(p240)。世界新秩序の原理|青空文庫

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