お知らせ

メール送信フォームを設けました。ブログ記事への問い合わせなどにご利用下さい。

 

エントリー

キーワード「死去」の検索結果は以下のとおりです。

浜畑賢吉さん死去

7月に亡くなられたとか。追悼2024でアラン・ドロンの訃報を読んだあと、8月そして7月と遡ってスクロールする内に浜畑さんの名前に行き当たった。

「日めくり万葉集」(2008年)に出演しているのを観た。その折、彼が選んだ一首は、蟹を憐れんで乞食者(ほかいびと)が詠んだ長歌だった(巻16-3886)。ちょっと驚いた。

詠み人の乞食者は、文字通りの乞食ではない。現代で言うところの芸能人。芸を売り見返りを得ていた。芸を売る乞食者が、蟹を擬人化して詠む。その蟹も芸を売る。

蟹にお座敷がかかる。「歌うたいとして呼ばれるはずもない。笛吹きとしても呼ばれることがあろうか。琴弾きとして呼ばれるはずもない」と、本人は承知している。が、とにかく出かけてみる。すると、蟹は、縄で縛られ料理され食われてしまうのだった。

どんな気持ちでこの一首を選んだのか、番組の中で述べられたかどうか記憶にない。現代の俳優がこれを選んだ、それに驚いたことをよく覚えている。

「日めくり万葉集」メモ(サイト内)。巻16-3886|万葉百科、追悼2024 写真特集|時事ドットコム

松岡正剛さん死去

全1144夜に大幅な加筆と構成変更を行い、全8冊の大型本『松岡正剛 千夜千冊』として2006年10月に求龍堂より出版された。定価99,750円という高額にもかかわらず初版1000部を完売し、2006年の出版界の事件として話題となる。

「松岡正剛」の項にそう記されている。訃報に触れ、Wikipediaを覗いてみた。

最寄りの市立、もしくは県立、どちらかの図書館に蔵書されているだろうか。あるとしたら県立かな、と思いつつ、OPACで検索してみると果たして市立の方に全8冊揃っていた。

千夜千冊、つまみ食いするかのように、webでいくつか読んだことがある。身近に蔵書されているようなので冊子体でぼちぼち読んで行くのもいいかもしれない。

松岡正剛(サイト内)。松岡正剛|Wikipedia、著述家 松岡正剛さん死去 80歳「編集工学」の方法論など(8/21)、松岡正剛の千夜千冊

ナニワの編曲塾

  • 2024/07/08 05:52
  • カテゴリー:音楽

この曲は、権利が切れていると自分の中でデータベース化しておいて、何かの時にはお世話になっている

パブリック・ドメインになった音楽について嘉門タツオ氏が語る。著作権と戦いながら31年やって来た、関西大で著作権の講義をしたこともある、そんな話もあった。

キダ・タローさん追悼「ナニワの編曲塾 夏期特別講座」から。元は、2014/8/10放送。

環太平洋連携協定(TPP)が、2018年12月に発効になり、著作権の保護期間が著者没後70年に延びた。この番組が制作された2014年当時、保護期間はまだ50年だった。司会の方もそう述べる。だからなのかどうか判らないが、番組の初めと終わりに、二度、「2014年8月10日に放送された」とアナウンスが入る。

キダ・タローさん死去TPP 発効と著作権(いずれもサイト内)。キダ・タローさん追悼「ナニワの編曲塾 夏期特別講座」(NHKラジオ第一、6/9 14:05-14:55)【出演】キダ・タロ―、嘉門タツオ、サカモト教授、【司会】小林千恵

佐々木昭一郎さん死去

私はただ質問になりたいと思っていたのです。いつでも、なぜって問うことの質問。決して年老いることのない瑞々しい質問に。

ラジオドラマ「二十歳」(NHKラジオ第1、1966/1/15)から。吉永小百合出演、寺山修司脚本、佐々木正一郎演出。

このドラマのことは佐々木さんの訃報記事で知った。録音が発見され、昨年放送されたのだとか。放送は聴き逃したけれど、検索してみるとYouTubeにあったのでそれを聴いた。

佐々木さんのテレビドラマ「四季~ユートピアノ」(1980年)でマーラーの交響曲第4番を知った。中尾幸世扮する栄子のこの物語をこれまでに何度観たことだろう。また引っぱり出して来よう。

佐々木昭一郎|Wikipedia、追悼・佐々木昭一郎さん 是枝裕和、河瀬直美らに大きな影響を与えた唯一無二の映像作家(6/22)、寺山修司作 吉永小百合出演 二十歳|伊集院光の百年ラヂオ

葬儀の後で

1994/11/24(木)
13:00 葬ギ(武田副社長)、O/B、ドイツ行きの件

月曜日の訃報を見てちょっと思い出すことがあって、昔の手帳を引っ張り出した。

30年ほど前に、大阪市内の大きなお寺で焼香した。亡くなった方は同社の社長だと思っていたのだけれど、それは記憶違いで、手帳に副社長と記している。1994年11月のこと。

その時は、上司の部長(O/B)に同行して葬儀へ行った。その帰り道、上司から、今のプロジェクトが落ち着いたらドイツ支社への赴任はどうか、と打診を受けた。その話のために同行を求められたようだった。結局、何やかやとあって、ドイツ行きは実現しなかった。化学を志した者として、もしくは音楽の徒として、一度は住んでみたいと思っていただけに残念な思いをした。

研究所から事業部へ転勤して一年、まだ何者でもないあの頃、それから色んな事が起こるあの頃。製薬企業トップの訃報は、そんな頃の記憶へと繋がって行った。

ドイツ行きの望みはその十年ほど後に転職した先で叶う。ドイツ企業の本社勤務だった。

武田国男氏が死去 武田薬品工業元社長、84歳(6/17)

ページ移動

ユーティリティ

« 2025年03月 »

- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

検索

エントリー検索フォーム
キーワード

新着エントリー

Feed