黄泉から
- 2019/09/09 06:30
- カテゴリー:読み物
死したるものは、その死したるものに葬らせよという聖書の文句は素晴らしいね。
そう言って、戦争で死んだ教え子18人の墓がどれ一つ掃除されていないことを嘆く。誰も弔わないことに対する皮肉なのだろう。久生十蘭著「黄泉から」から。聖書とあるのは、web で調べてみると、マタイによる福音書のこと。その第8章、求道の辛さ厳しさをキリストが説く場面で、「死したるものは~」の言葉が出て来る。
Welcome and thanks for visiting!
キーワード「戦争」の検索結果は以下のとおりです。
死したるものは、その死したるものに葬らせよという聖書の文句は素晴らしいね。
そう言って、戦争で死んだ教え子18人の墓がどれ一つ掃除されていないことを嘆く。誰も弔わないことに対する皮肉なのだろう。久生十蘭著「黄泉から」から。聖書とあるのは、web で調べてみると、マタイによる福音書のこと。その第8章、求道の辛さ厳しさをキリストが説く場面で、「死したるものは~」の言葉が出て来る。
戦後74年のこの年に、戦後という店が畳まれようとしている、そういう感じがする
報道スペシャル「戦争はあった」(文化放送、8/28 19時)から。詩人アーサー・ビナード氏が、首都圏各地に残る戦争の跡地を訪ね歩く。巣鴨プリズン、成増陸軍飛行場、相模原陸軍施設、川口送信所、そして陸軍中野学校。なかなか良い番組だった。長く記憶に残ることになるだろう。
# 【8/28特番】アメリカ生まれの詩人アーサー・ビナードが首都圏に隠れる5つの戦争跡地をめぐる、小松左京著「戦争はなかった」(城西国際大学出版会、10年、全集完全版第15巻収載)、初出:河出書房新社「文芸」1968年8月号
広島と長崎に原爆が落とされ、玉音放送が流されたのは八月。日本では新聞やテレビがこぞって、第二次世界大戦を特集する。「八月ジャーナリズム」と聞いたことがある。
【ドナルド・キーンの東京下町日記】夏の記憶原爆消えぬ「なぜ」(東京新聞、2013年8月3日)は、冒頭そのように始まる。8月ジャーナリズムと揶揄されるようになってどれくらい経つだろうか。今年もその様相は変わらない。放送局にとって、8月の特別編成は、レギュラー番組の担当者に夏休みを取らせるという事情もあるのかもしれない。
今月、ラジオの番組表でも8月ジャーナリズムがいくつか目に付いた。特別番組のようなものだと例えば以下。多いのか少ないのか判らない。例年このぐらいはあるのだろうか。
安倍首相によれば、集団的自衛権行使に道を開いたとたん、憲法改正に向けた米国からの矢の催促が嘘のようにやんだ、という
未確認の伝聞としてそう書いている(p64)。加藤典洋著「どんなことが起こってもこれだけは本当だ、ということ。幕末・戦後・現在」(岩波ブックレット、18年)。これは、憲法第9条の空文化が、日米間ではほぼ完了していることを意味する。米軍は自衛隊を指揮して一緒に戦えると考えているわけだ。我が国は、依然、戦争をしない国なのだろうか。
# 都留重人著「日米安保解消への道」(岩波新書、96年)
悪魔は一人では来なかった(略)。二八日早暁には、皇軍の二九軍膺懲戦が開始された。ジャーナリズムは政府の決意を礼讃して怪しまず、民衆は戦争熱に浮かされた。情勢は急転、火は燃え上がって手のつけようもない(略)。悪魔は三人連れであった。
その三人とは誰なのか。明示されていないけれど、引用部分に見るように、軍部(政府)、ジャーナリズム、そして、民衆、三者を指すのだろう。石射猪太郎著「外交官の一生-対中国外交の回想」(太平出版社、72年)の「東亜局長時代-中日事変」から(p245)。二八日とは、1937(昭和12)年7月28日のこと。
# 膺懲(ようちょう、敵や悪者を打ちこらしめること)、悲しみの前には熱狂が(サイト内)