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キーワード「沖縄」の検索結果は以下のとおりです。

転職とは、そして台風2号

きのう(6/1)の午後は、工房が休みとなり、昼寝したり、SNSでやり取りしたり、のんびり過ごした。SNSに書いたことは、例えば、

暴風警報が出て、バスやモノレールが運休。こうなると何もかもお休みになる。朝、出社したものの、肉体労働はお昼には終業。食事して昼寝してました。帰省の疲れが残っていたみたい。眠ったらスッキリ。

そうそう、やりたいことやるのがええよ。会社勤めの頃も、そう心掛けてたけど、企業は企業で、こちらを駒のように扱う、適材適所とかキレいごと言ってね。こちらの意志と、組織の力がぶつかって、それが転職という形になったんやと思う。このトシになれば、好きなことやりましょ。

ところで、台風2号です。毎度のように、沖縄はヒドいことになっている、と報道されているかもしれません。が、今回は大したことなかった、ということになりそうです。

沖縄は、県域がやたらと広い。東西で1千キロあるかな。遠くの大東島や与那国島で荒れても、那覇にいると、どこ吹く風になってしまう

夜の内に沖縄本島あたりを通過して行くようです。既に暴風域はなくなって、大人しくなっています。ヒドい場合には、サッシの下から雨がしみ込んで来るので、窓の下に雑巾を詰め込む事態になるのですが、今回は余裕。ちょっと強い雨と風、そんな感じ

今回帰省した折に、母を連れて、ドライブがてら加西市のフラワーセンターへ行った。往きは、加古川バイパスを西に行ってまっすぐ北上。帰りは、内陸を小野、三木と、たどり、道の駅に寄って明石へ戻った。あのエリアを走るのは何十年ぶりかな、率直な印象では、良くも悪くも昔のまま、あんまり変わってなかった。

6時現在の那覇は、強風の警報は解除され、西北西の風9.0m/s、気温25.6度。降水量は昨日からの24時間で52.0mmあったのが、ここ一時間は0.5mm。湿度97%。

帰省、23年5月LINEといふ物をしてみむ転職(いずれもサイト内)。台風2号 交通への影響 空・海の便に影響(NHK、6/2 05:49)

読谷山焼北窯

松田米司、松田共司、宮城正享、與那原正守の四名が親方を務める読谷山焼北窯は、今後数十年の単位で沖縄の陶芸に影響を与える重要な窯の一つである。

数十年の単位で影響を与える。どんなジャンルにせよ、そんな風に言われてみたいものだ。

倉成多郎著「沖縄現代陶芸の中の読谷山焼北窯」から引用。北窯刊行会著「読谷山焼北窯-四人の親方とやちむんづくり一年の記録」(グラフィック社、2022年)に所収(p160)。最寄り図書館の新着コーナーに並んでいるのを借りて来た。

4人の親方は、読谷村で、13連房の巨大な登り窯を運営する。ここで、ガス窯では表現できない味わい深いやちむんを焼く。読谷山焼は、沖縄風には「ゆんたんざやき」と読む。

やちむん(サイト内)。焼き物(陶器)→やきもん→やちもん→やちむん

沖縄復帰51年

15日は、沖縄本土復帰の日。51年経った。50年だった昨年は、在京六紙が揃って社説で採り上げた。が、今年はわずか2本(朝東)。

この一年、在日米軍施設の7割が集中する沖縄の基地事情はどうなっているだろうか。

在沖米軍は「海兵隊を改編し、離島に機動的に展開する即応部隊を創設する方針」。「基地強化の流れはいつの間にか既成事実化し、国は基地負担軽減どころか、沖縄との溝を深める方向へ突き進んでいる」(朝5/16)。

そればかりか、岸田政権は昨年12月、安保三文書を改訂し、沖縄を安全保障上極めて重要な位置にあると明記。敵基地攻撃能力保有のため、南西諸島に「自衛隊の配備が相次ぎ」、沖縄が「再び戦火に巻き込まれる」懸念が高まっている(東5/14)。

社説は意見する、

「有事への舞台作りに邁進するのではなく、近隣諸国との連携や外交努力もあわせ、基地のあり方を幅広い視野に立って考え直すべき」(朝5/16)、「沖縄が基地のない平和な島にならなければ、真の本土復帰とは言えず、日本の戦後も終わらない」(東5/14)と。

政府や本土の人たちは、一体、これら意見をどんな気持ちで読むのだろう。沖縄は「本土を守るための盾や捨て石」(東5/14)、それでいいではないか、ということなのか。

さて、5/15週の六紙社説は、そのほかに、G7財務相会議、ジャニーズの性加害問題、タイ総選挙、企業決算好調、LGBT修正案、マイナカード混乱、日米首脳会談、G7広島サミットなどを話題にした。

六紙社説、実質的にまだ占領下にある米製兵器を買わされる日本沖縄復帰50年と日米安保(いずれもサイト内)。沖縄 本土復帰51年「基地の過重負担 いまだに変わっていない」(5/15)、沖縄 本土復帰から51年 安全保障に伴う負担いっそう重く(5/15)

9人の翻訳家

優秀な教え子たちは経営者になった。創作の苦しみよりも金儲けを選んだ。芸術では食べていけない。

映画「9人の翻訳家-囚われたベストセラー」(仏ベルギー、2019年)から。

時々立ち話をする近所の窯元の奥さんが、こんなことを言ったことがある。芸大で学び、沖縄に来て長年、夫婦で陶作を続けて来たけれど、食べて行くのはそう簡単じゃなかったのよと。窯が故障したのは昨年だったか。それを機に、ご夫婦は、高齢に差し掛かっていることもあって制作を終えることにしたのだった。

芸術を追い求めるのか、それとも、商売での成功を目指すのか。これは音楽や文学でも同じだろう。内なる声に耳を傾けるのか、聴き手や読み手に媚びるのか。おそらく、両立は難しい。真の芸術家は、金儲けとは無縁で、孤高を持する。市場で認められたいと考えた途端に商売人になる。

この「9人の翻訳家」は先月末に観た。GYAOでの最後の映画になった。[Filmarks 3.7]

おまえの家華日記ABEMA(サイト内)。GYAO

「避粉地」

避粉地。そんな表現をwebで見かけた。粉は花粉症の原因となるスギやヒノキなどの花粉のこと。それを避けられる地、沖縄や、奄美、小笠原、北海道などを指すようだ。

そう。沖縄では花粉は飛んでいない。いや、皆無ではないだろうから、極々少ないと言うべきなのだろう。こちらに引っ越して来て以来、花粉症の症状は全く出ない。あれほど悩まされたのにピタリと止んで春も快適。

5年も花粉症を免れているとその存在を忘れてしまう。先日も、本州へ出掛ける計画を立てる際にうっかり花粉シーズン中の便を予約しそうになった。あぶないあぶない。東京にいる頃は1月半ばからGW頃まで症状は続いた、それを忘れないようにしないと。

帰省、20年1月健康診断、19年2月(いずれもサイト内)。花粉少ない「避粉地」へ 目も鼻も快適に旅行や仕事(3/11)

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