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キーワード「戦争」の検索結果は以下のとおりです。

白旗伝説

  • 2022/06/02 06:23
  • カテゴリー:読み物

平和とは非軍事である、という戦後日本の平和主義的思い込みがあるような気がする。欧米世界にあっては、平和とは軍事力を背景にした平穏状態を意味するにすぎない。

松本健一著「白旗伝説」(講談社学術文庫、1998年)から(p219)。最寄り図書館では郷土コーナーに並んでいる。

本書では、白旗や降伏に関するエピソードが縷々語られる。古来、白旗は、紅白戦で知られるように源氏の旗であり、また弔いの旗であった。

1853年に来航したペリーが、交戦となって降伏したければこれを掲げよと幕府に白旗を送り付けた(p34)。友好的な通商交渉などではなく、かなり露骨な砲艦外交だったのだ。これにより、日本は、白旗に降伏の意味があること初めて知った。

国内で最初に白旗を掲げたのは戊辰戦争での会津藩だった。降伏式で白旗を掲げる、「その知識は西軍参謀の板垣退助が授けたものではないか」(p83)。「板垣は国際法の本拠地であるオランダ式の兵学にくわしく」、後にフランス陸軍にも関心を持った。

日清戦争の際、連合艦隊が、当時における「国際法」学の第一人者、有賀長雄を顧問として連れていたのは、「国際法規を忠実にまもって戦おうとしたためだった」(p129)。有賀は、日露戦争でも国際法の担当として司令部に属した。ロシア軍ステッセル将軍からの降伏文書に対応したのは彼だった(p151)。

日清・日露戦争までは、「文明」たらんと、戦場において白旗の国際ルールを尊重した日本だったが、大東亜戦争ではそれを無視して「野蛮」な戦いを強行した(p140)。当時の戦争指導者がいかに国際法に無頓着であったことか。

「白旗をかかげた沖縄の少女」、本書のカバーにも掲載されているこの写真が撮影されたのは昭和20年6月25日だった(p15)。壕(ガマ)から出る時に白旗を持っていれば米兵に撃たれないと、ある老人が知っていた。それは「日露戦争に従軍したときに得た知識なのではないか」(p161)。

松本健一ペリー(いずれもサイト内)

畏るべき昭和天皇

  • 2022/05/28 06:22
  • カテゴリー:読み物

在ることの証明は容易であるが、無いことの証明はそう簡単ではない

松本健一著「畏るべき昭和天皇」(毎日新聞社、2007年)から(p219)。

〈記憶の王〉がその記憶に強く刻み付けながらも、決して口に出したくない人名、その第一は北一輝だろう。と、二・二六事件を深く研究した著者が、〈記憶の王〉と北一輝を結び付ける。引用部分を読むと、口に出さなかったことがどう証明されるのか期待してしまうけれど、事実として「口にしたことは、ない」とだけ記されている。

「御聖断とは、何か」(p27)。一つは、二・二六で蹶起した青年将校らを反乱軍とみなし討伐したことであり、一つは、ポツダム宣言を受諾し米英との戦争に降伏すると決めたことであった。

降伏より前に、そもそも米英との無謀な戦いを避ける「もう一つの御聖断」(p45)があり得たのではないだろうか。和平を希求し一貫して外交交渉を主にせよと意見していたのだから。結局のところは、大本営が戦争を決め政府が同意していては開戦を裁可するしかなかった、と著者は記す。

遡ること十数年前、張作霖爆殺事件(昭和3年、1928年)に際し、責任者処罰の前言を翻して「うやむや」に処理しようとした田中義一首相を叱責し辞めさせる。この人事は立憲君主制から逸脱している、と元老の西園寺公望に咎められる(p137)。田中がすぐ後に悶死したこともあって(p39)、それ以後は閣議決定には意見はするが拒絶しないと心に決める。また、大本営が決定し政府が同意した開戦に反対すれば、軍部が二・二六の時と同じようにクーデターを起こすことが懸念された(p61)。これらが、もう一つの聖断が下されなかった理由だったと。

明治の名将らとは違って、昭和の東条英機・陸相(首相)らは、「大局を考へることができなかったし、戦争を止めるときというのも知らなかった」(p237)。ふと、「降る雪や明治は遠くなりにけり」が頭をよぎった。中村草田男がその句を詠んだのは、昭和6年のことだったらしい。日本が足掛け15年に渡る戦争をおっ始めた年だ。

著者の「明治天皇という人」「原敬の大正」、そしてこの「畏るべき昭和天皇」と読み進め、日露戦争と一次大戦に勝ち増長して行くわが国の姿をざっと追った。歴史にifはないと言うけれど、例えば、原敬が暗殺されなければとか、大隈重信が対支二十一か条要求を強行していなければとか、伊藤博文がもっと完成度の高い憲法を作成していたらとか、山縣有朋が統帥権など唱えなければとか、維新三傑が長く活躍していればとか、そんなことを思ってしまう。国も組織も勝手に動く装置ではない、誰かの意思によって動く、それを改めて思い知った。

松本健一(サイト内)。張群|Wikipedia、春秋(2020/1/3)|日本経済新聞

沖縄復帰50年と日米安保

沖縄県は国土面積のわずか0.6%を占めるに過ぎない。その島々に在日米軍基地の約7割が集中している。復帰の日の新聞は、この件について何と言っているだろうか。六紙社説の意見を見てみよう。7割集中をどう認識し、どうせよと述べているか。また辺野古での新基地建設についてどう主張しているか。

毎日(5/15)。「7割が集中し続ける状態は、異常だ」。「沖縄だけが過重な基地負担を引き受ける不条理をこれ以上、放置してはならない。日米安保体制の安定性、持続性を考えても、適切な政策判断とは言えない」「グアムなど海外へのローテーション配備をさらに進めたり、本土への移転を検討したりすべき」。国は「民意を無視し」「辺野古沖で工事を強行している」。

朝日(5/15)。「7割が集まる異様な姿」。米軍が「大規模な基地に依存」から「分散配置」へ戦略の転換を進めている今、県の有識者会議は「米軍を県外に移転させることは可能とする報告書をまとめた」、それを果たす「責任は本土の側にある」。国は「脱法的な手法も駆使して異議申し立てを抑え込む。辺野古の海の埋め立てを」進めている。

東京の社説は、二日にわたって復帰50年を採り上げた。県民が望む「基地のない平和の島はかなわず」、今も「約70%が残ります」。「多くの米軍基地が残り」「沖縄は本当に復帰したと言えるのか」(5/15)。「辺野古での米軍新基地建設」は「当事者である沖縄抜きで決められてきました」(5/16)。

日経(5/15)。「7割が沖縄に偏在」。「安全保障上、米軍基地の存在はある程度理解してほしい。これが私たちの思いだ」「沖縄では自衛隊も増強されている。本土はもっと基地負担を引き受けたい」。「辺野古移設は進めざるを得ない」。

読売(5/15)。「約7割がなお沖縄にある」。「アジアの安全保障環境が厳しさを増すなか、基地の重要性が改めて認識されている」、「この地域に米軍が存在していることは、日本の安全保障体制の土台である。日米同盟の抑止力を強化し、有事への備えを万全にしておく」。「辺野古への移設を巡り、国と県が不毛な対立」「早期に打開すべき」。

産経は、7割云々への言及はない(5/15)。「自衛隊と米軍は平和を守る抑止力だ。基地負担軽減は、沖縄を含む日本の安全保障確保の努力と両立させなければならない」(沖縄の基地はそのままに本土に米軍の基地を増やし、沖縄の負担を相対的に下げよ、という意味だろうか)。県は、辺野古への「移設を容認すべき」。

こうやってピックアップしてみて気付いた。各紙、米軍基地が日本にあることに、つまり日米安保体制に、疑問を呈しているわけではない。朝日と東京の2紙は、今回は明言していないけれど、日米安保を否定していないことを別の日の社説で確認した。偏重は「7割」どころか100%だ。

在日米軍には、平時駐留を終え、お引き取りいただく。日本は独立国として国の防衛については自分たちで考える。その上で自衛隊(国防軍)を持ち続けるとなれば、沖縄含め各地への配備はどの程度が適切かを検討する。1紙ぐらい、そう唱えてもバチは当たらないと思うけれど、六紙の社説には見当たらない。なぜだろう。所謂、忖度だろうか。それとも、もっと露骨に、政府や同盟国から圧力がかかっているのだろうか。

と考えると、朝日の社説(5/15)にある謎の言葉「いったい、日本とは何なのか」は、沖縄ばかりか日本の国全体が未だ米国の統治下にあって真の独立を果たせていない、それが実態ではないか、と問うているように読める。事情があってストレートには書けない、察してくれよ、と社説は言っているのかもしれない。

さて、5/16週の六紙社説では、そのほかに、北欧2国NATO加盟申請や、企業収益好調、コロナ検証会議、北朝鮮コロナ感染急拡大、熱海土石流の報告書、GDPマイナス、福島原発の処理水放出了承、米韓首脳会談などが題材になった。

六紙社説、なぜ日本に米軍基地が尖閣戦争(いずれもサイト内)。沖縄復帰50年 いったい日本とは何なのか(朝5/15)

原敬の大正

  • 2022/05/16 06:23
  • カテゴリー:読み物

原敬という政治家にとって、国家統治のための政党政治の確立は生涯にわたる目標であった。その目標のために、その前半生において藩閥とたたかい、その後半生において新たに生まれはじめていた軍閥とたたかった。その政党の「力」によって手に入れた内閣で軍の力を抑えこんでいた

原敬は、戊辰戦争で賊軍とみなされた南部藩出身だった。松本健一著「原敬の大正」(毎日新聞社、2013年)から(p502)。軍閥政治の危険性を見抜き、軍部が独走するのを防ごうとした、平和主義者、原敬(1856-1921年)の評伝。

大正時代(1912-26年)の日本では、国際協調主義と軍国主義がせめぎ合っていた。第一次世界大戦で、同盟国イギリスからの要請によりドイツに宣戦布告(1914年)。ドイツの租借地、青島などを占領した。ロシア革命への干渉戦争では、アメリカとの共同でシベリア出兵を敢行(1918年)。政府は、英米との同調を重視した。が、軍部は、それには飽き足らずアジア太平洋地域での軍事的覇権を握らんと野心を剥き出しにする。引用にあるように、原敬内閣の頃には、まだ、政府が軍の力を抑え込むことができていた。

軍部の暴走を許すことになった原因は、統帥権干犯問題にあると言われる。その根は大正時代にあった(p502)。第一次世界大戦後のワシントン会議(1921-22年)で締結された軍縮条約で、日本の主力艦は「対米六割」と決められる。海軍主席随員だった加藤寛治は、これが気に入らない。のちに軍令部長となった加藤は、同じ轍は踏むまいと、ロンドン軍縮会議(昭和5年、1930年)に際し補助艦の比率に「対米七割」を主張する。が、希望量に達しないまま条約は調印される。そこで、統帥大権を盾に、政府が兵力量を統帥部の承諾無しに決めたのは違憲だとする、いわゆる統帥権干犯が提起されるのだった。

原敬は、18歳の一労働者に暗殺される。大正10年(1921年)11月のことだった。

松本健一改元は、5/2 かひとびとの跫音(いずれもサイト内)。秋山好古、加藤恒忠(号は拓川、正岡子規の叔父)、陸羯南

憲法記念日、22年

六紙社説は揃って憲法施行75年を採り上げ、憲法第9条について触れている。ウクライナがロシアに攻め込まれ、国家の主権が容易く侵害されてしまう現実を目の当たりにした。わが国は大丈夫だろうか。憲法の定めで、果たして、平和と安全を守り通すことができるだろうか。各紙の主張を見てみよう。

「前文や9条の改正は、憲法改正問題の一丁目一番地であるべきだ。戦力の不保持を定めた9条2項を削除し、軍の保持を認める本格改正が求められる」(産5/3)

「憲法改正の最大の焦点は、国の安全保障を担う自衛隊をどう位置づけるかだ」「自民党は2018年、9条を維持したまま、自衛隊の根拠規定を追加することを提案した」「各党はこれをたたき台にしてはどうか」(読5/3)

「憲法9条が定める戦争の放棄、戦力および交戦権の否認の考え方と、日本の安全を守るための防衛力強化の整合性が問われている。国会での冷静かつ丁寧な議論を通じ、国民のより幅広い理解を得ながら結論を導いていくべきだ」(経5/3)

産経と読売の2紙は改正派。日経は、議論を求める。意見が割れる場合に同紙はそう書くことが多いように思う。続いては、護憲の3紙。いずれも防衛の備えを持つことには反対はしていない。どんな表現をしているだろうか。

「東アジア情勢を踏まえ、憲法の枠内で防衛力を見直すことは必要」(毎5/3)、「他国に脅威を与えない範囲内で防衛力を整備する」「日米安全保障体制の信頼性を高める」「憲法にのっとった、こんな抑制的な対応」(東5/4)、「自衛のための必要最小限度の防衛力」その「着実な整備が必要」(朝5/3)

この3紙は、第9条とは書かずに第9条を語っている。主権国家が自衛権を有することは自明であり憲法に書くまでもない、かつ、自衛のための必要最小限度の防衛力は戦力ではなく、第9条2項の戦力不保持との整合性はとれている、との解釈に依っているのだろう。

また3紙は、専守防衛が日本の基本方針であると改めて説く。他国へ攻め込まないということだ。侵略する側にならない、それは、侵略される事態を防ぐ、と併せて議論される必要があるだろう。20世紀前半に日本が何をしたか、世界は忘れてはいない。

さて、5/2週の六紙社説では、そのほかに、ウクライナ情勢や、北ミサイル発射、デジタル規制改革、こどもの日、米大幅利上げ、首相欧州歴訪などが題材になった。

六紙社説、コロナ下の憲法記念日(いずれもサイト内)。「ウクライナ情勢と日本の安全保障」田中秀征▽聞きたい(マイあさ!、NHKラジオ第1、5/5 7時台)、憲法9条解釈のポイント(政府解釈を前提として)|衆議院

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