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元日に社説を読む

何か得体の知れないものが、深いところで静かに進行している。ここしばらく、そんな心地悪さを感じていた。
 
その正体はいったい何か。元日、在京六紙の社説に目を通していてそれが判ったような気がした。六紙の論調はきれいに二分されている。威勢の良い半分に対し、もう半分は、悲嘆に暮れた。
 
つなぐ’26 退潮する民主主義 「分断の罠」に陥らぬよう(朝日新聞、1/1)
海図なき世界 「ポスト真実」超えて 未来を描き社会を変える(毎日新聞、1/1)
年のはじめに考える 「怒」を「恕」に変える(東京新聞、1/1)
 
悲嘆するのはこの左派系3紙。朝日は、民主主義の退潮をひたすら憂い嘆く。特に提案はなく対話を重ねよと言う。毎日は、海図はない、つまり、方策はない、と吐露する。とりあえず思いやりや協力を大切にせよと。東京新聞は、ぐっとこらえて、怒を恕(ゆるし)へ替えよと提案する。どれも、嘆きながらも諦めるなと言っている。
 
知力、体力、発信力を高めたい 世界秩序の受益者から形成者に(読売新聞、1/1)
<年のはじめに>「台湾有事の前年」にしないために(産経新聞、1/1)
混迷を好機にする行動の1年に(日本経済新聞、1/1)
 
威勢の良い3紙。読売は、米国べったりではなく、自分たちのことは自分たちでしようと叱咤する。産経は、隣国に攻め込まれないように抑止力を高めと主張する。日経は、混迷の時代にも攻めの姿勢を忘れるなと説く。が、いずれも一見、たいへん威勢が良いが、空元気と評すべきか。
 
左と右、両陣営各々に共通点がある。左派(朝毎東)、は、民主主義、思いやり、心というソフトウェアの崩壊に、絶望、そして適応しようとして必死。一方の右派(読産経)は、強い国、強い産業というハードウェアの維持に必死。
 
一台のコンピュータに喩えるなら、激しく衰退していく国家というハードウェアの上で、幸福の定義を書き換え、軽やかで強靭な個人を探し求めようとするソフトウェアが走り始めている。このミスマッチを抱えたまま、クラッシュせずに何とか稼働し続けている状態。これが、私が感じている、深く静かに進行している何かの正体ではないだろうか。巨大な分裂とでも言えばいいのだろうか。
 
六紙社説(サイト内)

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