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キーワード「山田風太郎」の検索結果は以下のとおりです。

幻燈辻馬車

  • 2020/09/14 06:35
  • カテゴリー:読み物

わしが見るのに、西洋の文明開化というやつは、わしらの見る通りの文物の開化とともに、自由民権というものを支えとしておる。それがなけりゃ、民のまことの倖せはない、と見ておるのじゃな。車の両輪じゃよ。それを、日本は、片っぽうの車輪だけとりいれたのじゃ

儒者、錦織晩香がそう語る。やっと明治十年代になって、もう一方の車輪も取り入れようと自由民権運動が起こるが政府に押しつぶされる。「山田風太郎明治小説全集」第2巻「幻燈辻馬車」(筑摩書房、97年)から(p272)。

日本の国民が、真の自由と民主主義を享受するに至るまでに、結局、それから半世紀以上を要した。第二次世界大戦の後、憲法が新しくなってからのことだ。自分たちでは果たせず、戦争、そして占領という外圧によって初めて成し得た。戦争は敵対国の憲法を書き換えようとする行為とも言われるが、たいへん説得力のある説と思えて来る。お隣の大国はどうだろうか。日本と同じようなプロセスで、民主化への道を辿ることになるのだろうか。

警視庁草紙(サイト内)。「幻燈辻馬車」初出75年。加藤弘之(1836-1916年、但馬出石出身、政治学者、初代東大総長)。錦織晩香(1816-1888年)、山川健次郎(1854-1931年、白虎隊、物理学者、東大総長)、福島事件(1882年)、加波山事件(1884年)。天安門事件(1989年)

警視庁草紙

  • 2020/09/02 07:18
  • カテゴリー:読み物

石の道標によくよく眼を近づければ、左日ヶ窪、右堀田原と読めないこともない。

この道標のことを何かで読んだ覚えがある、と気にしつつ読み進める内に、盲の丸坊主を背負う場面があって、最後に夏目金之助(漱石)が出て来る。はたと気付いた。これは「夢十夜」の道標だ。引用は、「山田風太郎明治小説全集」第1巻「警視庁草紙」(筑摩書房、97年)の第4話「幻談大名小路」から(p97)。

さっそく青空文庫で確認した。果たして、道標が出て来るのは、あの恐ろしい「第三夜」だった。「なるほど八寸角の石が腰ほどの高さに立っている。表には左り日ヶ窪、右堀田原とある」。色んな話があちこちに顔を出す、この著者山田風太郎ならではと言うべきか。

日曜日に「ドンタク」とルビが振られている。例えばp218。オランダ語のzondagから、日曜日、休日、博多ドンタクのこと、と辞書にある。そういえば、就職先の工場実習で職長さんが、二日続きの休みを「ドンドン」と呼ぶ、土曜日(当時は半日休み)は「半ドン」と言うだろ、と教えてくれた。あの会社の連操三交代(四班)勤務には、16日の一周期あたり班毎に、1日の休みが2回と2日連続の休みが1回が組み込まれていた。

夏目漱石「夢十夜」|青空文庫。落語「らくだ」、小泉八雲「耳なし芳一」、錦織剛清「神も仏もなき闇の世の中」、夏目漱石「道草」。「警視庁草紙」初出73-74年。

Re3: 図書館の感染症対策

緊急事態宣言が出されたことを受け、三度、図書館の利用制限始まる。県立はさっそく今日から、那覇市立は明日から、いずれも15日まで臨時休館。感染者が県内で20人、40人、70人と増えて来ていたので、早晩こうなると思っていた。先日から、立花隆「天皇と東大」上下、山田風太郎明治小説全集など、大部な本をたっぷり借りている。これでしばらく読み物には困らないだろうけれど、休館が長引くかもしれず、今夕、まだ市立が開いている内にもう少し借りておいた方が良いかもしれない。

沖縄県が独自の「緊急事態宣言」(7/31)

笊ノ目万兵衛門外へ

  • 2020/05/01 07:02
  • カテゴリー:読み物

「雪の日やあれも人の子樽拾い」誰もが知るこの句の作者は、吉宗時代の老中で磐城平五万石の大名、安藤対馬守信友である。

山田風太郎著「笊ノ目万兵衛門外へ」は、そんな風に始まる。あれと思った。対馬守(つしまのかみ)信友の藩は、磐城平だったろうか。いつだったか、備中松山城を訪ねた際、その藩で起きたお家騒動の顛末を案内板か何かで読んだ。騒ぎの後に転封して来たのが、確か、安藤氏だった。信友の名もあった。その句の作者と紹介されていて、あ、その人かと思ったことを覚えている。なお、そのお家騒動を収めたのは赤穂藩の家老、大石内蔵助だった。あの大石だ。

安藤信友の藩について調べてみた。備中松山藩へ移って来たのは、安藤重信系(対馬守系安藤家)三代の重博。その長男が信友で、やはり、備中松山6.5万石の家督を継いでいる。のちに同家は、美濃加納藩を経て、六代信成の時代に磐城平藩へ移った。その後は、この小説に登場する十代信正を含めて、ずっと同藩にあった。その時代が長いからだろうか、対馬守系の安藤と言えば、藩は磐城平となるのかもしれない。石高は、磐城平藩へ移った際、引用のように5万石に減封となったが、それは一時のことで、信成の代の内に6.7万石へ加増されている。

# 「笊ノ目万兵衛門外へ」初出72年、時代小説の楽しみ第9巻「維新の群像」(新潮社、91年)、「おれは不知火」(河出文庫、93年)、三河安藤氏重信系 - Wikipedia、城めぐり(12年10月)松江城-備中松山城-丸亀城-高松城

同日同刻

  • 2020/02/16 08:37
  • カテゴリー:読み物

おそらく日本にとって真に「一番長い日」は、昭和二十年八月九日であったろう。

山田風太郎著「同日同刻-太平洋戦争開戦の一日と終戦の十五日」(ちくま文庫、06年)から(p186)。最寄り図書館の棚にあるのが目に留まりざっと読んだ。そのうちまたじっくり読んでみようと思う。元の単行本は、立風書房から79年刊。

# 半藤一利著「日本のいちばん長い日-運命の八月十五日」(65年)、"The Longest Day. 6 June 1944 D-Day": Cornelius Ryan (1959)

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