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キーワード「戦争」の検索結果は以下のとおりです。

国への集権が強まる

コロナ禍のような危機時に、個別分野の法律に国の権限が規定されていなくても、国が役割を果たすため地方自治に関与できるようにする。首相の諮問機関が、国の「指示権」を創設する答申案をまとめた。政府は来年の通常国会で、地方自治法の改正を目指す。

確かに、ダイヤモンド・プリンセス号の集団感染では、基本的な対応は横浜市が行い、県域をまたぐ患者搬送は、権限はないものの、国が調整した。ワクチン接種や、病床確保、施設の使用制限なども、都度、国と地方自治との間で個別に取り決めを行った。次の非常時に手際よく進めるために、あらかじめ法改正しておこうという発想は当然あるだろう。

社説はどう書いているだろうか。在京六紙の内3紙(朝読経)の意見を見てみよう。

「緊急時にこそ行政の迅速な対応が必要になる。国と地方のルールとして、あらかじめ国の指示権を定めておく意味は小さくない」(読12/2)。

地方分権で国と自治体の関係は、対等・協力、これが基本だが、「国と自治体の連携が求められる危機時は、平時の地方分権とは別のルールがあってよい」。ただし「危機と平時をどう線引きするか。難しい課題であり慎重に考えるべき」(経12/1)。

「国による関与は必要最小限で、自治体の自主性・自立性への配慮が原則だと地方自治法に明記され」ている。今回の答申はこの精神に「明らかに逆行する」。「自治への安易な介入を招きかねない」(朝11/27)。

憲法がなぜ地方自治を謳うのか。それは「地方の自主性が高まれば国を挙げた戦争などに向かいにくいとされたためだ」(経12/1)。今回の地方自治法改正云々は、憲法のその理念を今一度考える良い機会かもしれない。中央集権は独裁への入口。桑原桑原。

さて、11/27週の六紙社説は、そのほかに、日中韓外相会談、政府の基金見直し、自民派閥パーティー券疑惑、旧統一教会被害者救済法案、補正予算成立、台湾総統選、COP28、日大アメフト廃部、キッシンジャー氏死去、米オスプレイ墜落、前原新党などを話題にした。

六紙社説、サイバー対策(いずれもサイト内)

ハーリ・ヤーノシュ

  • 2023/11/15 05:51
  • カテゴリー:音楽

NHKらじる★らじるの聞き逃しで組曲「ハーリ・ヤーノシュ」を聴いた。

N響第1995回定期公演
コダーイ作曲
組曲「ハーリ・ヤーノシュ」
指揮)ゲルゲイ・マダラシュ

この人、ハンガリー出身の指揮者だとか。自国の大先輩コダーイの作品は自家薬籠中の物だろうに、こんな毒にも薬にもならない演奏をするんだな。第3曲「歌」はタイトル通りに歌を期待するが見事に裏切られる。第4曲「戦争とナポレオンの敗北」の真面目くさった表現には拍子抜け。

LP時代には、セル(クリーヴランド管、1969年)の演奏に親しんだ。いつまで経ってもこれと比較してしまう。聴いたのは何十年も前だし、もはや手元に音源はないのに。

N響(サイト内)。ベストオブクラシック▽N響第1995回定期公演(NHK-FM、11/10 19時半)NHKホールから中継

私たちと戦後責任

  • 2023/11/10 06:07
  • カテゴリー:読み物

日清戦争と日露戦争は、どちらも朝鮮半島の支配をめぐる争いでしたから、これらをきちんと論じないままでは、日本の植民地支配のもつ深刻さを、十分に捉えられません。

宇田川幸大著「私たちと戦後責任」(岩波ブックレット、2023年)から(p21)。本書副題は、日本の歴史認識を問う。

侵略戦争ではなく「自衛のための戦争」と、政治家は国会で答弁した。明治時代のこの2つの戦争を無批判に肯定するのは何も政治の場に限ったことではない。同時期の世論調査(内閣府政府広報室、1968年)によると、「明治時代の日本の歩み」に対する評価では、「良かった」が50.7%で多数派を占めていた。

中村草田男が昭和初年に「降る雪や明治は遠くなりにけり」と詠んだ。その気分が国民全体に行き渡っていたのだろう。21世紀の今もきっとそうだ。明治は良い時代であった、何も悪いことはしていない、と皆思っている。

加害者はなかったことにする。被害者は決して忘れない。朝鮮半島の国と日本、根本的なところで認識の違いがあると思わざるを得ない。

検証戦争責任(サイト内)

耳を傾け対話に参加する

耳を傾けることは簡単なことだと思われるかもしれませんが、単に他人の話す言葉を聞く、という受動的な行動ではありません。より能動的な営みです。異なる意見を持つ人たちとの対話に参加することを意味します。なぜ私とあなたは意見が異なるのか。理解を深める対話に関わることです。

能動的に耳を傾ける、これは訓練しなければ身につけることはできない。ハーバード大学のマイケル・サンデル教授が指摘する。asahi.comのインタビュー記事(10/3)から。

耳を傾け対話に参加する、その訓練は教育の現場が担うはずだがそうはなっていない。今の学校は出世のため競り勝つことに主眼を置く。対話ではなく競争を教えているのだ。それは戦争や紛争が絶えない原因の一つではないだろうか。

サンデル教授の近著「実力も運のうち-能力主義は正義か?」(2021年)を読んでみようと思う。

戦争 なぜ殺し合うのか運も実力のうち(いずれもサイト内)。サンデル教授が指摘する「議論の危機」 分断や無力感を超えるには(10/3)

ドイツ都市部はカオス状態

ドイツ社会では、70年代にやってきたトルコ(クルド)、イタリア、レバノン系などの移民がすでに定着している

ところが、メルケル首相時代以降、中東やアフリカからぞくぞくとやって来る大量の難民を受け入れ、今ドイツはパンク寸前なのだとか。引用は、川口マーン惠美氏のコラム「ウクライナ戦争の裏でエスカレートするEUの難民問題…ドイツの都市部はもはやどこの国なのかわからないカオス状態に」(10/6)から。

20年ほど前、仕事でドイツに駐在していた、その頃のことを思い出した。

3つほど向こうの駅で爆発騒ぎがあった。当時、地域で発生したテロっぽい事件はそれくらいだった。レバノン系だかトルコ系だかの移民がやらかしたらしい、ちょっと物騒になって来たね、と職場の連中が話していたことを覚えている。

が、もっと物騒なことがあった。それも頻繁に。地元サッカー・チームのゲームがある日は熱心なファンが騒ぐ。勝っても負けても駅前や広場で大いに騒ぐ。そっちの方がよっぽど物騒だと思ったものだ。移民や難民による凶悪犯罪が多発する現在に比べると、まだまだ長閑な時代だったのだ。

そういえば、当時親しくしていたイタリア系の同僚がいた。彼は70年代の生まれだ。もしかすると移民2世なのかもしれない。

フェルディナント・フォン・シーラッハ著(サイト内)。ウクライナ戦争の裏でエスカレートするEUの「難民問題」…ドイツの都市部はもはやどこの国なのかわからないカオス状態に(10/6)

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