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キーワード「足立巻一」の検索結果は以下のとおりです。

石の星座

  • 2021/03/14 06:50
  • カテゴリー:読み物

花隈の華岳邸には、おびただしい蔵書があった(略)。日本人の詩集も多く川路柳虹・千家元麿・日夏耿之介・萩原朔太郎・竹内勝太郎・宮澤賢治などの詩集が目立ち、そのかわり小説類はほとんどなく、あってもほとんど開いてなかった

宮澤賢治の詩集、それは、もしかして「春と修羅」(初版、關根書店、1924年)のことだろうか。「つねに思い悩んだ画家」華岳はそれを蔵書していたのだろうか。引用は、足立巻一著「石の星座」(編集工房ノア、1983年)に収載の「村上華岳自筆墓誌」から(p65)。1975年11月初出。

華岳と同世代の詩人である、柳虹や、元麿、耿之介、朔太郎は、皆、1920年までには処女詩集を刊行している。彼らの詩に親しんだ華岳が、1924年発行の「春と修羅」を買い求めたとしても何ら不思議ではない。当時、世間一般には見向きもされなかったけれど、詩を愛好する人たちの間では話題になったらしい。

「春と修羅」のことは、三上延著「ビブリア古書堂の事件手帖(3)-栞子さんと消えない絆」(メディアワークス文庫、2012年)で知った。その第4話は、「春と修羅」初版本を巡るミステリー。その初版の稀少性は高い。さらに、作者宮澤賢治による書き込み(推敲)があるという設定だった。

蜜蜂と遠雷(サイト内)。村上華岳(1888-1939)、川路柳虹(1888-1959)、千家元麿(1888-1948)、日夏耿之介(1890-1971)、萩原朔太郎(1886-1942)、竹内勝太郎(1894-1935)、宮沢賢治(1896-1933)、岸百艸(1902-1976)、足立巻一(1913-1985)。春と修羅|国立国会図書館デジタルコレクション

夕刊流星号

  • 2021/02/27 07:06
  • カテゴリー:読み物

いまごろは中学校の教頭か校長になっているにちがいなかった。が、いまさらそれを悔いる気にはならなかった。ただ、自分も戦後の歴史の激流に身を投げ、押し流されたひとりにすぎないはずだ。

あの日、誘いに乗らなければ、新興夕刊紙「新大阪」などの記者になることはなかった。足立巻一著「夕刊流星号-ある新聞の生涯」(新潮社、81年)から(p240)。

昭和31年に「戦後十年あまりを勤めた大阪の小さな夕刊新聞社をやめた。わたしはその新聞社に自分ながらあきれるほどの情熱をこめた」(足立巻一著「石の星座」、編集工房ノア、1983年、p258)。「戦後の数年は、足立巻一の成立にとって重要だった」(司馬遼太郎著「虹の誕生」、このエッセイは、足立巻一著「虹滅記」、朝日文芸文庫、1994年、その巻末に収載されている、p374)。

「夕刊流星号」の記者たちは仮名で描かれている。一つ前に読んだ早瀬圭一著「小谷正一伝説」では実名なので対照することができる。伊坂靖介が、著者足立巻一。瀬田源吉(社長)=瀬戸保太郎、黒沼大治郎(編集局長)=黒崎貞次郎、大木正次(整理部長)=木本正次、後藤田基治(編集総務)=後藤基治、石津経夫(報道部長兼企画部長)=小谷正一、そして「色鉛筆」は、古川益雄。高橋孟はペンネームのまま出ている(p178)。

小谷正一伝説足立巻一(サイト内)。新大阪 (新聞)矢野橋村|Wikipedia

大と真

  • 2021/01/07 06:31
  • カテゴリー:読み物

人は、親が生み育てるのだけれど、後半生は本人が自力でやってゆかねばならん。人の一生っていうのは親と子の合作のようなもの

足立巻一著「大と真-おじじ子育て記」(理論社、81年)から(p19)。著者は、評伝三部作で、祖父と父、恩師、そして学生時代からずっと追っ掛けて来た本居春庭を書いた。本書は、なんと、孫二人との物語。

二つの言葉の語源が語られる。「生まれる」(p6)と「梅雨(つゆ)」(p134)。

足立巻一(サイト内検索)

戦死ヤアワレ

  • 2020/11/24 06:43
  • カテゴリー:読み物

ところが、そのときわたしたちは澱粉を糖分にかえることに熱中していたのだ。

著者が二度目の応召で給養係にいたことは知らなかった。部隊は、鹿児島にあって、米軍との本土決戦に備え、演習を行い陣地を掘っていた。引用にある「そのとき」とは昭和20年4月のこと。大戦は大詰め。欧州ではムッソリーニが銃殺され、ヒトラーが地下壕で自殺した。太平洋の米軍は、沖縄へ上陸し、九州への侵攻は時間の問題だった。足立巻一著「戦死ヤアワレ-無名兵士の記録」(新潮社、82年)から(p123)。

著者の評伝三部作以外も読んでみようと、まずこの一冊を借りて来た。著者が二度応召した際の従軍記。戦後長らく経ってから、かつて部隊が駐屯した鹿児島の地を再訪する話もある(第8、9章)。さらに、最終章は、「骨のうたう」という詩を残した一兵士の挿話。その詩の一節が本書のタイトルになっている。

演習中の事故で負傷した著者が、鉄道で湯治に通う。その際に使う宮ケ浜駅(p87)、それは聞き覚えのある駅名だ。一度、出張で出かけて行った養殖場の最寄りが、確かその駅だった。地図で確かめた、やはりそうだ。JR指宿枕崎線の宮ケ浜駅。当時こんなことを書いている、鹿児島の「空港から指宿方面行きのバスに乗った。客はおれ一人。貸し切り状態、90分、2350円。途中、豪雨。現地に到着すると、雨は上がったが、猛暑」。バスの終着、指宿駅前で先方と落ち合い、養殖場へは車で移動した。宮ケ浜駅には立ち寄っていない。東シナ海を北上していった台風の影響がまだ少し残る、2015年7月のことだった。

# 対戦車肉迫攻撃(p12)、「忍耐は苦い、しかしその実は甘い」ルソー(p182)。宮ケ浜駅平成27年台風第9号|Wikipedia

海軍めしたき物語

  • 2020/11/11 06:51
  • カテゴリー:読み物

水加減といっても、シャバの一般家庭の小さな釜と同じだったことには驚いた(略)、だいたいのところ手のくるぶしの上位ということ

戦艦の烹炊所では、化学プラントの反応釜のような装置で飯を炊く。高橋孟著「海軍めしたき物語」(新潮文庫、82年)から(p116)。最近、棟田博の一連の著作を読む内に、この本のことを思い出し図書館で借りた。「面白半分」で連載(77年1月-79年3月号)を読み、単行本(79年8月刊)も読んだ。無性に懐かしい。

この文庫版には足立巻一による解説が付いている。出版の年、82年は、足立の名著「虹滅記」が刊行された年でもある。

1263夜『やちまた』(サイト内)、面白半分|Wikipedia

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