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戦死ヤアワレ

  • 2020/11/24 06:43
  • カテゴリー:読み物

ところが、そのときわたしたちは澱粉を糖分にかえることに熱中していたのだ。

著者が二度目の応召で給養係にいたことは知らなかった。部隊は、鹿児島にあって、米軍との本土決戦に備え、演習を行い陣地を掘っていた。引用にある「そのとき」とは昭和20年4月のこと。大戦は大詰め。欧州ではムッソリーニが銃殺され、ヒトラーが地下壕で自殺した。太平洋の米軍は、沖縄へ上陸し、九州への侵攻は時間の問題だった。足立巻一著「戦死ヤアワレ-無名兵士の記録」(新潮社、82年)から(p123)。

著者の評伝三部作以外も読んでみようと、まずこの一冊を借りて来た。著者が二度応召した際の従軍記。戦後長らく経ってから、かつて部隊が駐屯した鹿児島の地を再訪する話もある(第8、9章)。さらに、最終章は、「骨のうたう」という詩を残した一兵士の挿話。その詩の一節が本書のタイトルになっている。

演習中の事故で負傷した著者が、鉄道で湯治に通う。その際に使う宮ケ浜駅(p87)、それは聞き覚えのある駅名だ。一度、出張で出かけて行った養殖場の最寄りが、確かその駅だった。地図で確かめた、やはりそうだ。JR指宿枕崎線の宮ケ浜駅。当時こんなことを書いている、鹿児島の「空港から指宿方面行きのバスに乗った。客はおれ一人。貸し切り状態、90分、2350円。途中、豪雨。現地に到着すると、雨は上がったが、猛暑」。バスの終着、指宿駅前で先方と落ち合い、養殖場へは車で移動した。宮ケ浜駅には立ち寄っていない。東シナ海を北上していった台風の影響がまだ少し残る、2015年7月のことだった。

# 対戦車肉迫攻撃(p12)、「忍耐は苦い、しかしその実は甘い」ルソー(p182)。宮ケ浜駅平成27年台風第9号|Wikipedia

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