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サリエーリ 生涯と作品

  • 2019/03/21 07:25
  • カテゴリー:音楽

風説は意図的に流された疑いが強い。なぜなら噂の流布と、ヴィーンで大成功を収めたロッシーニ作品をめぐってイタリア・オペラ支持派と国粋主義者との確執が高まった時期とが、完全に重なり合っているからだ。

サリエリによるモーツアルト毒殺説が浮上した時期は、1818-20年と特定されている。モーツアルトの死後30年ほど経とうとしている、その頃のウィーンは、イタリア・オペラに席巻されていた。大衆はロッシーニの作品に熱狂。それを快く思わない当地の音楽家、著者が言う「国粋主義者」、らが、意趣返しの相手に選んだのがサリエリだった。モーツアルト存命中から宮廷楽長の地位にあり、ウィーン音楽界のドンとして君臨するイタリア人作曲家。彼を殺すのに刃物は要らぬ。神のごとき天才モーツアルトを毒殺した、と黒い噂を流せばそれで足りる。それが実行に移された、ということだったらしい。サリエリによる毒殺説は根も葉もない嘘、誰かのでっち上げ、とは聞いていた。何か事情が判るかもしれないと思って、新着コーナーにあったこの本、水谷彰良著「サリエーリ 生涯と作品-モーツァルトに消された宮廷楽長」(復刊ドットコム、19年)を読んでみた。引用は、その第7章「モーツァルト毒殺疑惑に汚された最晩年と死」から(p282)。ロッシーニ(1792-1868)の名前が出て来たのは意外だった。

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